ブックマーク / ameblo.jp/kamiegakibito (63)

  • 『シルバー・バーチ霊訓の危うさ』

    「神」が存在しているのは間違いがない「事実」で、神と人間の中間である「天使」や「指導霊」などが存在しているかどうかは「不透明」なのですが、私的には、「人々を正しい方向へと導きたい」という思いが込めれらているメッセージなら、「否定したくない」というのが音です。 「指導霊からのメッセージ」の1部に、明らかなミスを発見したとしても、全てのメッセージを否定することなく、「素晴らしいメッセージ」の部分は、「素晴らしいメッセージ」として、素直に受け取りたいな、と思っています。 今回は、「シルバー・バーチ霊訓の危うさ」についてお話ししたいと思います。 「シルバー・バーチ霊訓」は、主に、 人間「~という考え方は正しいですか?」 シルバー・バーチ「いいえ、違います、それは、~という考え方が正しいのです」 人間「何故、~なのですか?」 シルバー・バーチ「それは、~だからです」 という風に、人間と指導霊の「会

    『シルバー・バーチ霊訓の危うさ』
  • 『江原啓之さんとシルバー・バーチ霊訓』

    「シルバー・バーチ霊訓」の存在は、江原啓之さんのを読んで知りました。 だいたい、私が、こういった有名どころの存在を知るキッカケは、江原啓之さんと船井幸雄さんので、この2人は、そういった意味でも、かなり重要な役割を果たしてくれているのだと思います。 「シルバー・バーチ霊訓」とは、古代霊シルバー・バーチが霊媒モーリス・バーバネルの口を借りて語った霊訓で、1920年から50年間くらい語り続けた霊訓。 主に、人間側が「言葉」で質問すると、指導霊が「言葉」で答えを返してくれる、という、「会話形式」の通信となっています。 「シルバー・バーチ霊訓」は、スピリチュアル界では、かなり有名な存在で、「江原啓之さんの教え」の原点にもなっていて、私も、「古代霊は語る」(2005年出版)(著者:近藤千雄)というを買ってきて読んだことがあるので、後々、「シルバー・バーチ霊訓」についても語ってみたいな、と思ってい

    『江原啓之さんとシルバー・バーチ霊訓』
  • 『浅見帆帆子さん的な奇跡のグレーゾーン』

    先日、眼科でもらってきた目薬が残り少なくなってきたので、「今がグッドタイミングだ」と思い立って、「思い立ったが吉日だ」と意気込んで病院に行くと、休診日で、目薬が手に入りませんでした(泣) このように、「グッドタイミングで動ける」という「浅見帆帆子さん的な奇跡」をよく体験している私ですが、直感が外れて、上手くいかないことも多いのです。 でも、よ~く考えてみると、今回のケースでは、このことを記事に出来ているから、結果的に「グッドタイミング」となっていて、「グッドタイミング」なのか、「バッドタイミング」なのか、よく分からない事態となってしまっています。 なんか、私の場合は、「精神レベル」の上下に関係なく、「意味あるシンクロニシティー」が多発している感じで、普通の人とは違って「かなり特殊なケース」なのかもしれません。 普通の人の場合は、修行したりして精神を研ぎ澄まして「精神レベル」を上げると、「因

    『浅見帆帆子さん的な奇跡のグレーゾーン』
  • 『江原啓之さんの指導霊「昌清霊」は存在している?』

    今回は、江原啓之さんが「自身の指導霊」だと言っている昌清霊(まさきよれい)が、存在しているのか、存在していないのか、を話します。 主に、スピリチュアル界で語られているのは、「指導霊からの通信」「天使からの通信」「神からの通信」の3パターン。 この内、「神からの通信」が存在しているのは間違いがない事実で、あとの2つは、グレーゾーンという感じです。 神は、「この世を創造」して「人間の体を創造」したのだから、もちろん、「人間とのアクセス手段」を十分に持ち合わせている。 その中の1つが、キリスト教の「三位一体」で表現されている「聖霊」という手段で、神が、「聖霊」というテレパシー(シンクロ)を飛ばして、それを人間側が受け取って、神からの恩恵を享受する形で、だんだんと高度に彩られてきたのが、今、ある、人間社会なのです。 神と人間の「中間」に位置している「天使」や「指導霊」が、人間との通信手段を持ち合わ

    『江原啓之さんの指導霊「昌清霊」は存在している?』
  • 『木村藤子さんは神世界から追放された?』

    木村藤子さんの話が当だとすると、「人間」として生まれてくるには2つのパターンがある、ということなのでしょう。 1つは、人間よりも下の存在から人間へと昇格したパターンであり、もう1つは、人間よりも上の存在から人間へと降格したパターン。 木村藤子さんの場合は後者だった、ということなのでしょう。 そして、もちろん、「人間から人間へ転生する」というパターンもあるから、全部で3パターンという感じでしょうか。 書籍『「気づき」の幸せ』(2007年出版)(著者:木村藤子)の77ページと78ページと81ページから引用させていだだきます。 ~~~以下、引用~~~ この仕事がいやで神に反発していた若い頃、神からきいた言葉があります。 「お前は神の世界で大きな過ちを犯している。この世で人を救う事で罪が許される約束でこの世に来ている。どうしても約束が守れないならば、転生し、やはり同じ道で働くことになるのだぞ。だ

    『木村藤子さんは神世界から追放された?』
  • 『イエス・キリストをカルマで解説』

    人は、この世に、カルマを解消するために生まれてくる。 「人間の体の死後も魂は生き続ける」という「永遠の視点」で考えると、イエス・キリストが語っていたことが理解できるようになるのです。 新約聖書の『山上の垂訓』でイエス・キリストが「(心の)貧しい人々は幸いである。天国は彼らのものである。」と言っていたのは、「貧しい人」を実際に体験して、その苦しみを十分に理解できるようになったら、「貧しい人の気持ちを思いやれる優しき者へと成長できる」という意味。 今、優しい人は、過去に自分が苦しんで、苦しんでいる人の気持ちを思いやれるようになったから、優しくなったのです。 人生には、様々な苦しみが用意されている。 苦しみを乗り越えた分だけ、人は、さらに優しき存在へと生まれ変わるのです。 イエス・キリストは「神の教え」を忠実に人々に伝え、聖書の中に残っている「イエス・キリスト人の言葉」は、まさに、この世の真理

    『イエス・キリストをカルマで解説』
  • 『人間が「老いる」のは1つのカルマ』

    人間、それぞれ、神から与えられたカルマ(課題)が違うのだけど、「共通しているカルマ」というものもある。 その中の1つに「弱者をないがしろにしてしまう」というカルマがあり、そのカルマを解消するために、人間、みんなに、「老いる」という現象が付加されているのです。 そう、「人間が老いる」のは、「神が神科学を使用して老いさせている」のであって、それは、「カルマの解消に必要だから」老いていくだけで、神世界にいる神々は「老いない」のです。 神は「不老不死」であり、人間が、老いたり死んだりするのは、それが「カルマ」だからに他ならない。 仏教の教えである「生老病死」の四苦、「生きる苦しみ」「老いる苦しみ」「病む苦しみ」「死ぬ苦しみ」は、「神が与えている苦しみ」であり、「神の視点」を加えると、その教えは完成形へと至る。 「生きる苦しみ」を人間に課しているのは神であり、「老いる苦しみ」を人間に課しているのは神

    『人間が「老いる」のは1つのカルマ』
  • 『私は「普通に」生きたかった』

    私は「普通に」生きたかった。 でも、どこに行っても「障害」が邪魔をして上手くいかず、普通に生きられなかった。 私は、ずっと、「普通になりたい」と願い続けて、ずっと、その願いが叶うことなく、ずっと苦しみ続けて生きてきた人間なのです。 その「障害」を、私は、何度も、壊して突破しようとしたけど無理だった。 私が、その「障害」を突破して普通に生きてしまうと、「やりたくても出来ない人の気持ちをないがしろにしてしまう」というカルマを解消できないから、その「障害」は、かなり強固に作られていた、ということなのでしょう。 そう、神から見たら、「私のその願いを叶えない」というのが、「私を成長させるために最良の道」だと判断したから、あえて、私の願いを無視して、放置した訳です。 「神の愛」は、「人間の体の死後も魂は生き続ける」という「永遠の視点」で見ないと理解できない「奥深い愛」なのです。 人は、神からカルマ(課

    『私は「普通に」生きたかった』
  • 『みじめで悲惨だった私の人生』

    「もう、2度と、今回の人生は歩みたくない」という程に、私の人生は、みじめで悲惨だった。 「普通の人」である弟に出来ていることが、「コミュ障」で「軽い発達障害」である私には出来ず、母親から「弟には出来ているのに何故あなたには出来ないの?」と言われ続けてきた。 私には、「青春時代」が、ない。 学生の頃、普通に友達と会話して、普通に友達と遊んで過ごすことが出来なかった。 もちろん、彼女も、いなかった。 私には、若者特有の「記憶力の良さ」や「適応力の高さ」が、なかった。 よく「若い子は記憶力抜群でスポンジのように知識や体験を吸収して自分のものとしていく」と言われているけど、私には、それが、なかった。 私の脳は、「常識人」と成り得るための知識や体験を、ほとんど吸収してくれない「ポンコツな脳」だったのです。 今回の私の人生は、普通に友達と過ごして、普通に彼女と恋愛して、普通に結婚して、普通に自分の子供

    『みじめで悲惨だった私の人生』
  • 『木村藤子さんの話は理解不能』

    私は、「木村藤子さんタイプ」ではなく、「江原啓之さんタイプ」でもなく、「浅見帆帆子さんタイプ」な人間なので、木村藤子さんが言っている「透視能力」の話に関しては、全く理解できていません。 江原啓之さんが言っている「オーラ」も全く見えていなくて、一見、普通の人間なのです。 でも、「浅見帆帆子さん的な奇跡」は、いっぱい体験してきた人間なので、「普通の人間」では、ないみたいです。 2021年4月25日(日曜日)の今日、午後2時半くらいに、木村藤子さんの『「気づき」の幸せ』(2007年出版)を読み直していると、不思議なことが起こりました。 これは、「その時のことを文章で残して」というメッセージかもしれないので、一応、書き残しておきます。 私が、上記の3行目くらいまでの記事を書き終えて、続きの文章を書くために、参考にと、上記の木村藤子さんのを読み始めると、「の下の部分の紙」と「私の小指」がスレて

    『木村藤子さんの話は理解不能』
  • 江原啓之さんの「教え」は未完成品 | 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    私が、スピリチュアルをたくさん買ってきて、読みあさっていたのは2010年くらいまでで、その後の動向は、ほとんど分かっていません。 なので、今までの船井幸雄さん、浅見帆帆子さん、木村藤子さん、江原啓之さんの話は、2010年くらいまでの話であることは、ご了承下さい。 今、昔の江原啓之さんのを再度読んでみると、「神の視点が欠けているな」と物足りなく思いました。 書籍「スピリチュアルメッセージ2」(2003年出版)(著者:江原啓之)の152ページで、江原啓之さんが「自身の指導霊」だと言っている昌清霊(まさきよれい)が、江原啓之さんに対して「神の視点に立てば、すべては明らかになるのじゃ」と言っているように、その当時の江原啓之さんの「教え」は、まだまだ「未完成品」という感じで、「神の視点」が加わって、はじめて、完成するような感じです。 そして、これは、船井幸雄さんに対しても、同じことが言えるのです

    江原啓之さんの「教え」は未完成品 | 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~
  • 『浅見帆帆子さんと船井幸雄さんの対談本の「ちょっとしたミス」』

    今回は、私が、スピリチュアルの中で、一番好んでよく読んでいた、浅見帆帆子さんと船井幸雄さんの対談である「ちょっと話してみました」(2003年出版)の中で、私が「ちょっと違うな」と感じた部分をご紹介します。 書かないつもりでいましたが、「いい言葉」が思い浮かんで、どうしても書きたくなったので書いてみます。 このの中で、浅見帆帆子さんと船井幸雄さんが、しきりに「プラス思考でカルマを乗り越える」と言っていますが、「カルマを乗り越える」というのは、そういうことではないのです。 「自分自身が苦しんで苦しんでいる他者の気持ちを理解できるようになる」というのが、最大のカルマの解消方法なのです。 自分が苦しまなければ、他者の苦しみを、当の意味で、理解することは出来ない。 「苦しんだ」のであれば、その苦しみは決して無駄にはならず、「苦しんだ分だけ」魂は成長していっているものなのです。 苦しんだから

    『浅見帆帆子さんと船井幸雄さんの対談本の「ちょっとしたミス」』
  • 『船井幸雄さんの「カルマ」』

    今回は、「カルマ」について考察したいと思います。 書籍「ちょっと話してみました」(2003年出版)(著者:船井幸雄・浅見帆帆子)の16ページと17ページで、船井幸雄さんが、こう解説しています。 ~~~ 以下、引用 ~~~ の編集者『ズバリ、人間は、なんのために生まれてきているのでしょうか?』 船井『簡単に言うと、人間は、この世でカルマを解消するために生まれてきているんです。これは仏教用語ですが、たいていの人は知っているので、ここでは「カルマ」という言い方をしますね。』 の編集者『カルマとは?』 船井『「業」のことです。自分以外の人や、他の存在にマイナスの影響を与えたものが、みんなカルマとなります。』 帆帆子『前生でしてしまったことの償いや責任を、今回の人生でとる、ということですね。それをするために生まれてきている、ということですね。』 船井『そうです。過去生でしてきたことは、普通の人は

    『船井幸雄さんの「カルマ」』
  • 『「ガンダムの声」と「アムロの声」の両方を神は聞けている』

    どうも、こんにちは、神描人(かみえがきびと)です。 今回は、「小噺」風に文章を仕上げてみました^^ ふざけた感じが苦手の人は、今回は、読み飛ばしてください(汗) 今回の話は、「シンクロ率」という表現で操縦法を説明している「エヴァンゲリオン」の方が適切かもしれません。 ですが、私は、「ニュータイプ」という言葉が大好きな人間で、ブライトから殴られて「オヤジにもぶたれたことないのに!」という情けないセリフを吐いてしまうアムロに親近感を覚えまくりな人間なので、「機動戦士ガンダム」の方を選択しました^^ ここからは、「もし、ガンダムに、こんな機能が新たに追加されたら」という話をします。 あなたが軽い感じでしゃべっているだけなら、モビルスーツの口は、その内容をしゃべらない。 「モビルスーツよ、この内容をしゃべってくれ」とあなたが強く念じたら、モビルスーツの口は動き始めて、その内容をしゃべり始める。 「

    『「ガンダムの声」と「アムロの声」の両方を神は聞けている』
  • 『木村藤子さんと「三蔵法師の輪」』

    これは、何年も前の話になるのですが、神関係の文章を書き続けて、文章の腕前もだいぶ上達してきて、ちょっと調子に乗っていた時期がありました。 そんな時期に、「青森の神様」と呼ばれていて有名な「木村藤子さん」関連の中古を書店で何冊か買ってきて、その一冊を読んでいた時のことです。 「天狗」になっていた私は、文章だけ見て木村藤子さんを「ぞんざい」にあしらってしまっていて、「なんだ、たいした文章じゃないな、これなら私の方が上かもしれない、アッハッハ」みたいな感じで、上機嫌になって調子に乗って読んでいると、「三蔵法師の輪」みたいなものが飛んできたのです。 すると、私は苦しみ始め、この時、私は「神の恐ろしさ」を痛烈に思い知らされたのです。 そう、私は、その時、「思っていただけ」。 「思っていただけ」でも、神に、その「心の声」は届いていた。 神は、「声」と「心の声」の両方が聞けているから、神に対しては、口

    『木村藤子さんと「三蔵法師の輪」』
  • 『「オーラの泉」の江原啓之さん』

    言わずと知れた「スピリチュアル・カウンセラー」として有名な江原啓之さん。 最近は、テレビであまりお見かけしませんが、昔、江原啓之さんが出演していた「オーラの泉」は、私もよく見ていて、とても楽しませてもらっていました^^ 美輪明宏さんとの掛け合いが絶妙で、見た後、前向きになれる感じで、「しゃべりの技術が凄いな」と、いつも感心して見ていました。 「コミュ障」の私から見たら、まさに、「神みたいな存在」でした^^ 江原啓之さんといえば「子供の頃、学校で授業を受けていた時、周りにいたクラスメイトのオーラが邪魔で黒板が見えなかった」というエピソードが有名です。 「父親に真っ黒いオーラが見えたため自分の父親の死を予言した」とも語っています。 そして、オーラの詳細については、「人間の生きているエナジーに色が見える。生命、息吹みたいなものですかね。物にも色はないけど薄ぼんやりとした陽炎のようなものが見えます

    『「オーラの泉」の江原啓之さん』
  • 『浅見帆帆子さんの「精神レベル」って何?』

    1つ前の記事で、ちょっと冷たい感じの書き方をしてしまって反省している私ですが(汗)、もちろん、船井幸雄さんだけじゃなく私も「100%正しいことを言う訳じゃない」ということは、お伝えしておきます。 そして、マザー・テレサが、「神はいない」と言っていた気持ちも、なんとなく理解できます。 神に、いくらお願いしても、その願いを叶えてくれない現実に、神に奉仕しても奉仕しても、世の中が、一向に良くなってくれない現実に絶望することも、あったと思います。 だけど、それでも、「神がいなかった時代」は、ないのです。 神が与え続けてくれていた恩恵が大きすぎて、見えていなかっただけなのです。 1つ前の記事は、「文章的なキレ」や「面白さ」を優先して書いたので、「船井幸雄さん」と「マザー・テレサ」という偉大な2人に対して失礼な書き方になってしまったかもしれません(汗) もっと慎重に書かなければいけないデリケートな部分

    『浅見帆帆子さんの「精神レベル」って何?』
  • 『船井幸雄という男を知っていますか?』

    今回は「偉い人であっても必ず正しいことを言う訳ではない」ということをお伝えしたいと思います。 船井幸雄という男を知っていますか? 彼は、スピリチュアル界では有名な方で、2014年にお亡くなりになるまで、数多くのスピリチュアル関係の書籍を出版されました。 私も、たまたま書店で目に留まって買ったりして、何冊か、彼のを持っています。 その中の1つのの「気になった箇所」を、今から、ご紹介しようと思います。 書籍「いま人に聞かせたい神さまの言葉」(2008年出版)(著者:船井幸雄+中矢伸一)の4ページと5ページに書かれている内容を引用させていただきます。 ~~~ 以下、引用 ~~~ 神さまはいろいろなことを教えてくれます。 しかし、願っても祈っても助けてくれないようです。 マザー・テレサさえ、神はいないと言っています。 お賽銭払って、お願いしても叶えてなんかくれそうにありません。 神は身勝手!で

    『船井幸雄という男を知っていますか?』
  • 『人間は「ぬいぐるみ」を着て「お菓子の家」に住んでいる』

    どうも、こんにちは、神描人(かみえがきびと)です。 今回は、「小噺」風に文章を仕上げてみました^^ ふざけた感じが苦手の人は、今回は、読み飛ばしてください(汗) 人間は、神が作った「お菓子の家」に住んでいて、神が作った「ぬいぐるみ」を着て生きている。 住処である地球は「神の手作り作品」であり、人間の体も「神の手作り作品」なのです。 そして、植物に実った果実は「神の手作り料理」ということになり、大自然を見渡してみると「神の手作り作品だらけ」。 この世は、「人間の頭脳」ではなく「神の頭脳」によって考え出された世界であることは、間違いない。 あなたが「こんな果物がべたい」と思ったら「そんな果物が地面から出てきた」という話なら、百歩譲って、まあ、理解できなくはない。 「頼んでもいないのに、勝手に、色々な種類の果物が地面からどんどん出てくる」なんて話は、どう考えても、理解できない。 「いったい誰が

    『人間は「ぬいぐるみ」を着て「お菓子の家」に住んでいる』
  • 『今後のブログ方針について』

    神世界を見据えて「この世の仕組みを正確無比に書き上げる」というのを目標にして頑張って書いてきたのですが、最近は、新たに書くネタがなかなか思い浮かばず、大変、申し訳なく思っています。 メインを何周もしていて、読者の方もあきられている頃だと思いますが(汗)、読み直すたびに「書き方が甘かった」という部分が見つかって修正できているので、私的には、かなり有意義に感じています。 「もう完璧だろう」と文章を書き終えた時点では思っているのですが、何ヵ月か文章を寝かして読み直してみると「なんで、これで、完璧だと思っていたんだろう?」と不思議に思うことが多々あります。 だから、「やって良かった」とは思っているのですが、今は、修正箇所も少なくなってきて、これまでの方向性では行き詰った状態となってしまっています。 なので、「小噺」や「よもやま話」なども加えて、これからは、ちょっと方向性を変えたいなと思っています。

    『今後のブログ方針について』