「今、すごく主流になってきているYouTubeを私もはじめてみたい!」 と思ったときに、まずは動画をアップするよりも先に、チャンネル名やYouTube上で自分の顔になるようなアイコンを考えないといけませんよね。 しかし、詳しいアイコンの設定方法やベスト...
このコラムについて 糸井重里に訊く! おカネと、仕事と、消費と、幸せと―――2010年代の仕事論 もう一度、おカネについて、ちゃんと考えてみるべきじゃないだろうか? 糸井重里さんのこの一言から、今回の企画は始まりました。 おカネの話はむずかしい。「いらないよ」と言えばウソになる。でも、「俺はおカネのことしか考えていない」といっても、やっぱりウソになる。 おカネって、なんだろう。私たちは、おカネとどうやってつきあえばいいんだろう。 社長さんとして、サラリーマンとして、消費者として、生活者として、「おカネのこと」についてもう一度ちゃんと考えてみようじゃないか。そのうえで、仕事の話も、消費の話も、そして幸せの話も想像していきえば、もしかすると、それぞれの人が自分の持ち場で、いい仕事、いい消費、いい人生を歩むきっかけが見えてくるかもしれない――。 というわけで、糸井さんと、糸井さんが主宰する「ほぼ
このコラムについて 3月に起きた東日本大震災──。未曾有の大災害は、モノ作り立国ニッポンを大きく揺さぶった。東日本に広がるメーカーの生産拠点や下請けの工場が被災し、物流網もマヒして、数多くの素材や部品の供給がストップ。生産停止が西日本や海外まで広がったのだ。こうした事態を受け、「ジャストインタイム」をはじめとする日本のモノ作りの効率化に再考を促す声が高まっている。 だが、その前に問い直すべきことがある。日本のモノ作りは本当に効率化が進んでいたのかと。日本でもベストセラーとなったビジネス小説『ザ・ゴール』。その中で、著者であるイスラエルの物理学者であるエリヤフ・ゴールドラット氏が提唱した改革手法の理論「TOC(Theory of Constraints:制約条件の理論)」に照らし合わせれば、答えは「ノー」だ。 この認識を持たずして、日本のモノ作りを再生することはできない。ゴールドラット氏から
このコラムについて ゲームビジネスは新時代を迎えています。もはや、過去の常識は通用しません。 デジタル・エンタテインメントビジネスは、新しい潮流を迎えています。いままでのように、こんな大作ゲームが発表されたよ! こんな新商品が発売されたよ! といった、メーカー側が発信する情報を軸にした視点では、この流れは追いかけられません。 なので、切り口を変え、これまでの常識を捨てて、新コラムをスタートすることにいたします。 なによりも注目するのは、いま人々が起こしているムーブメントです。そこを軸に、世の中で起きているデジタル・エンタテインメントの流れを解析、紹介し、その未来像を解説していこうと思います。まずは、、「そもそも、ソーシャルゲームとは何か?」「なぜ、これほどビッグビジネスになったのか?」について解説していきます。 記事一覧 野安 ゆきお(のやす・ゆきお) ゲームジャーナリスト ファミコン時代
※エントリを二つ書きましたが、ここに統合し以前のものは削除いたしました。 3月6日日曜日に、新宿ロフトプラスワンと高田馬場10°Cafeにおいて、「マスタープラン」と題された学生の学生による「朝まで生テレビ」が行われた。第一部は友人の家でぼーっと眺めていたのだが、第二部については面白そうなので高田馬場まで出向いて、そのまま「第三部」、すなわち単なる飲み会にまで参加して帰って行った。おそらく、「マスタープラン」という存在に対して否定的な価値観を持ってその場に臨み、かつある程度ほかの参加者とも会話を交わした人間は僕一人だけだったのではないかと思う。中には僕の存在に気分を害したパネリストもいただろう。 本原稿においては、主に「マスタープラン」という催しにかこつけて僕の「意識の高い学生」論を披露することになる。よって、「マスタープラン」の出来不出来に関する議論を求めている方にとっては、少々味気ない
みたいな事を言ってるとある英文記事が面白かったので訳してみた。 ******************** http://www.cracked.com/article_18817_5-reasons-future-will-be-ruled-by-b.s..html 未来がハッタリによって支配される5つの理由 理想の未来を思い浮かべてみよう。いや、地球最期の男になった自分がゾンビの群れを蹴散らす妄想じゃなくて、社会から見た理想の未来を。エネルギーはクリーンで無尽蔵、品物は豊富で汚い仕事は機械が全てやってくれる。みんな幸せでしょ? でも実は、この未来は既に色んな意味で実現している。そしてこの未来を表す言葉は「屁」だ。 とりあえず説明しようか。 #5. スタートレック風のユートピアは既に実現してる……っぽい まず最初にポルノと死んだ赤ちゃんの話をしよう。 もし俺がお前に「予算ゼロで可能な限りの
このコラムについて 故田中角栄元首相はかつて高度成長期の延命を狙って、「日本列島改造論」を打ち出した。現在の日本が必要としているのは、日本列島の改造、すなわち国主導の改革などではなく、日本企業の改造である。改革を断行できない政府より問題なのは、実は民間企業だ。多くが低い利益率に甘んじ、収益性を高める努力を怠っているからである。ここにメスを入れて企業を改造しなければ税収も増えず、国も企業と一緒に沈没しかねない。 記事一覧 三品 和広(みしな・かずひろ) 神戸大学大学院経営学研究科教授 専攻は経営戦略・経営者論。1989年米ハーバード大学文理大学院企業経済学博士課程修了、同大学経営大学院助教授に就任。北陸先端科学技術大学院大学助教授などを経て、2004年から現職。 プロフィール詳細 記事一覧 2010年11月9日 最終回 反攻に転じるラストチャンスを生かせ カギを握るのは“創業”と“操業”の分
このコラムについて 人は学校を卒業し社会人となったら、成長が止まってしまうのか。仕事などを通じて学習し、成長し続けるのではないのか──。こうした疑問から出発し、「大人の学習と成長」「経営学習論」「職場学習論」という新たな研究領域を次々と創り出してきた新進気鋭の研究者、中原淳氏が研究者や実務家と対談し、大人の学習のあるべき姿や進化形を探究する。 記事一覧
このコラムについて 日本には「経営のプロ」が育っていない。日本航空の破綻は、はからずもそんな日本のお寒い現状を、世界に知らしめることになったのではないか。もちろん、稲盛さんという世界に誇る経営者がおられたことは事実である。しかし、他には説得力のある候補者がまったく出てこなかったのだ。悲しいかな、これが日本の現状である。そしてそれは、日本にとって極めて危ないこと、なのではないか。 本コラムでは、さまざまな観点から「経営のプロ」について詳しく語っていきたいと考えている。経営の現場に携わる者として、評論家的ではなく、経営のプロを取り巻くリアリティーをお伝えしていきたい。「経営のプロ不在」と嘆いているばかりでなく、短期間に「経営のプロ」のプールを醸成する方法についても提言していきたいと思っている。時に生意気なことを語らせていただくこともあるかもしれない。だが、何より日本の今後を思ってこそ、である。
このコラムについて エクスペクトロジー(期待学)とは、「期待する」という意味の“Expect”と「思想」を指す“Logos”という2つの語意を合成したデザインや発想を巡る新しい考え方の概念である。エクスペクトロジーは日本語では「期待学」と訳される。「期待感」や「不安感」は、まさに使い手が製品を使い始める前に必ずと言っていいほどとらわれる感性価値である。エクスペクトロジーはそうした製品や環境、サービスに至るまで、様々な場面で使い手が抱く「使ってみたい」という動機や「使いやすそう」と予感する心理的なメカニズムの有り様に焦点を当てて、21世紀のモノづくりを考える。 記事一覧 記事一覧 2010年11月2日 ≪最終回≫「期待」の達成度をいかにして定量的に測るか 【オノマトペと期待編その4】言葉や行動に見る「期待」の評価方法 使い手の「期待」を表出させた行為・言動を科学的に解析していくことによって、
このコラムについて 自分の仕事の枠や殻を越える、破るのは、だれにとっても難しい。今までの働き方じゃダメなことは分かっても、新しい方法を試すには勇気以上の何かが必要だ。それにはまず、今までの自分を外から眺めて、考えること、ではないだろうか。でもこれだって相当難しい。毎日鏡をのぞき込んでもオトコたちは「ヒゲばかり見て、顔のシワを見ない」のだ。 この連載では、従来の「まっとうな、普通な、誰もが認めやすい」、いわば「オトコらしい」働き方をあえて外から見直して、殻を破った、破らせた人々のお話を、時には母、時には妹、そして時にはアニキの凄腕インタビュアー、清野由美さんにざっくばらんに紹介していただく。 まず登場するのは、ユニクロを手がけたことで知られるアートディレクター、佐藤可士和氏…ではなくて、彼のプロデュースを担当する、佐藤悦子さん。え、なぜご本人ではないのかって? やっぱりオトコって、可士和さん
【忍者ツール有料版継続のお知らせ】 本Webページ群の忍者ツールは、クレジットカードに枠が残っておりましたので、有料版のままで、継続致します。 【本気の話】 大学院博士課程に戻ったつもりで、真面目に書きます。 私は、ノーベル平和賞はあながち妄想ではない。と、今、本気で感じております。基本的に、このページは無料公開ページ。無義務・無責任の私の自慢ページです。しかし、真理の一端は捉えている気が致します。普通、書いてはいけないことも、書いてはおりますけどね。まぁ、無料の自慢ページとのことで、ご容赦下さいね。笑笑笑。 以下の、客観的証拠の数々。 0.私は、正真正銘の、京都大学理学部物理学科卒・千葉大学大学院博士後期課程情報科学専攻科修了の、工学博士である。 1.今の安倍政権・官僚(特に、財務省)と日大アメフト部指導部は、一人の大人として「おかしい。」と感じる。同感する方々も多いはずだと思う?小泉親
無資本から成功するための情報起業マーケティング入門 教育の場にこそ情報起業を 「東大中退」は「高卒」である 先日、あるメールマガジンに、楽天の三木谷社長とライブドアの堀江社長を比較する記事があり、その中で、「一橋大学卒で、後に米国でMBAを取得した」三木谷氏と「東京大学中退」の堀江氏を、ともに「いずれ劣らぬ高学歴」と評しているのを読んで、日本で言う「学歴」とは何かについて、改めて考えさせられました。 私見では、修士号をもっている三木谷氏は高学歴と言えるかも知れませんが、「東大中退」などというものが「学歴」として通用するのは日本くらいではないかと思います。 「学歴」というのは「どんな学位をもっているか」ということですから、言葉本来の意味からすれば、東大だろうが何大学だろうが、卒業して学位を取得しなければ無意味であるはずです。堀江氏には失礼な言い方になるかも知れませんが、「東大中退」というのは
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