サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
タグをすべて表示
渡邉美樹(渡邊ではない)個人をいくら批判したってなにも解決しないと思いますよ。彼を潰したところで第2第3の渡邉美樹(渡邊ではない)が出てくるだけです。
それもそうだし,とくにブラック企業対策については「公的な経路を経た対応」こそが本質的だし求められているのもそれだと思いますよ。
「科学だからといって信じないようにしましょう」というキャンペーンを大々的にやればニセ科学の実害も減るだろう。
なにかの「正義」を実現しようとすることは「運動」であって「科学」ではないですよ。なにかの主張が「科学的な事実」に基づいているとしてもそれを社会的に実現しようとする(あるいはその反対者を葬り去ろうとする)ことは運動であり政治であって「科学」ではないです。
さかもと未明を叩いてるのと同じ人が別の場所では「子どもが騒いでるのに叱らないDQN母親」を叩いてるんだろう。
とりあえず「いっさい脱原発と言わない」よりは「ウソでも脱原発と言う」ほうが「脱原発」にはわずかなりとも近いのだから「脱原発と言った人」はとりあえず評価したらどうだろう。
専門家にできることは個別の問題についてそれぞれ「それは間違っているから信じないように」と繰り返し言い続けることだけで,「人々が変なものに騙されないようになる特効薬」などないのだと思う。
数日前までいじめられてる時は先生からも「お前が生意気だから」だと言われてまったく助けてもらえなかったのに,いじめる方になって怪我をさせたら「やっぱりとんでもないやつだ」「○○君とお父さんに土下座して謝れ」ということになるわけです。
「逃げたら社会的に終わりだ」という人がたくさんいるということが「逃げた人を社会的に終わりにしている」んじゃないのか。「そんなことは社会で受け入れられない」という人こそが「それを受け入れない社会そのもの」なんだよね。
血液型性格判断を信じている理系学部医歯薬系学部出身者,というのにたくさん出会ってきた自分としては「科学に馴染みが薄いから疑似科学にひっかりやすい」とはとうてい思えない。
ランキング
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く