1925年9月:日本映画最初期の女優のひとりである中山歌子邸で、姪でオペラ歌手の中山愛子ら3人(愛子の内縁の夫、歌子の養女)が殺害された。逮捕された男はいったん自白したものの公判では否認に転じ、判決前に病死。のちに、別の一家殺害事件で逮捕された男2人組が、こちらの一家殺害も自供し、冤罪事件だったことが判明した。金目当ての犯行であった。 1937年11月:俳優の林長二郎が松竹から東宝へ移籍し、「忘恩の徒」と大バッシングを浴びていたその渦中、暴漢2人組が刃物で林を襲撃し、左ほほを貫通する重傷を負わせた。松竹による報復と噂されたが、表立った追及はされなかった。林はこの事件を機に、芸名を本名の長谷川一夫に改名。 1946年3月:歌舞伎役者の十二代目片岡仁左衛門一家(妻、三男、女中2人)が、住み込みで働いていた座付き作家見習いの男に薪割り用の斧で殺害された。食料事情の悪い時代で、食事を満足に与えられ