ブックマーク / locust0138.hatenablog.com (5)

  • ドキッ! 死体だらけの平安京! ポロリもあるよ! ―命の重さの日本史― - バッタもん日記

    はじめに 私はノーテンキな進歩主義者です。人類は少しずつ、一進一退を繰り返しながらも精神面で進歩し続けていると固く信じています。その根拠の一つは、街中で歩きたばこや立小便や痰吐きなどの下品な行為を見かけることが減った、というような日常の些細な感覚です。そして最大の根拠は、「命が大事にされるようになったこと」です。具体的に数値で見ると、日における殺人事件は減り続けています。 参考:平成12年版 警察白書 平成29年版 犯罪白書 日人は長い年月を経て、命を大事にするようになりました。言い換えれば、昔の日人は命を大事にしない蛮族であったということです。平然と殺し合いをしていました。歴史家の言葉を引用します。 光源氏が王朝時代の貴公子の理想像であることについて、これまでのところ、その優れた容姿や豊かな才能などが取り沙汰されるのが普通であった。だが、実のところは、理不尽な暴力事件を起こさないと

    ドキッ! 死体だらけの平安京! ポロリもあるよ! ―命の重さの日本史― - バッタもん日記
  • おじいさんは山へしばかりに −日本における森林の利用と破壊の歴史− その2 日本の植生の特徴と変化(1) - バッタもん日記

    おじいさんは山へはばかりに行きました。野糞。 1.はじめに 今回の記事では、人間による利用と破壊が植生にどのような影響を及ぼすかを述べるわけですが、最初にその大前提として必要となる基礎知識を説明します。中学校卒業レベルの科学知識があれば理解できるような説明になっているつもりです。 (1)植生は年平均気温と年降水量で大よそ決まる 植物が生きるために必要な資源は日光と気温と水です。植物は根から吸い上げた水と、葉の気孔という微小な穴から吸収した空気中の二酸化炭素を材料とし、日光をエネルギー源として炭水化物(ブドウ糖)と酸素を造り出します。この活動を光合成と呼びます。また、気温が高すぎたり低すぎたりすると生命活動が制限を受けますので、気温はある程度の範囲内であることが必要となります。*1ところで、光の強さは専用の測定装置が必要となり、環境の指標としてあまり便利ではないことと、気温と日光には強い関係

    おじいさんは山へしばかりに −日本における森林の利用と破壊の歴史− その2 日本の植生の特徴と変化(1) - バッタもん日記
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    kbeee 2017/09/19
  • おじいさんは山へしばかりに −日本における森林の利用と破壊の歴史− その1 概略 - バッタもん日記

    おじいさんは山へしばかれに行きました。おじいさんはドMでした。 1.はじめに 昔話の「桃太郎」の冒頭は、「おじいさんは山へしばかりに行きました」で始まることが一般的です。では、この「しばかり」とは何を意味するのか。このネタは森林学の書籍を読むと、高い確率で出てきます。 現代の日に生きる我々の感覚としては、「芝刈り」が容易に想像できると思います。しかし、正解は「柴刈り」です。「芝」と「柴」はどう違うのか、おじいさんはいかなる目的で「柴刈り」に行ったのか。今回の記事では、森林の利用と破壊を中心として、日における環境問題の歴史を考えてみたいと思います。 とても1の記事でまとめられる分量ではないので、数回に分割して掲載します。この記事では、導入と内容の整理を兼ねて、概略を示します。科学論文の冒頭に「abstract」が掲載されているようなものとお考え下さい。 なお、後の記事でも繰り返し強調し

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    kbeee 2017/09/19
  • この陰嚢が目に入らぬか! ―性の形を考える― - バッタもん日記

    はじめに 心情 私は筋金入りのエセリベラリストです。そして理系大学院博士課程を中退したエセ生物学徒でもあります。 そんな私が嫌いな言説は色々ありますが、特に嫌いなものが、保守派の連中による「デタラメな生物学に基づく性に関する説教」です。具体例を挙げると、 同性愛は自然の摂理に反している 成人した男女結婚しないのは能に反している 子供を持たないのは不自然だ 等々。もっとも、幸いにも私の周囲にはこのような余計なご高説を垂れる人間はいません。お陰様で優雅な独身生活を続けられております。 なかなか理解されづらいことですが、人間は類人猿の一種であり、霊長類の一種であり、哺乳類の一種であります。生物学的な存在です。したがい、人間の性の形を考える上で、自然人類学、霊長類学、動物行動学などの生物学の知識は不可欠のはずです。ところが、私は上に述べたような説教を垂れる人間が生物学を修めているという事例を寡

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    kbeee 2017/09/19
  • 「奇跡のリンゴ」という幻想 −無肥料農法は長続きしない− - バッタもん日記

    引き続き、「奇跡のリンゴ」に対する批判を行います。我ながらよく飽きもせずに書き続けられるなぁ、と思いますが、一年以上温め続けたネタなので、いくらでも書けそうです。もう少し続けます。このシリーズの執筆は、私自身の農学のいい勉強になっております。 1.はじめに 「奇跡のリンゴ」は、農薬を使わないことに加えて、肥料を使わないことも売り文句となっております。厳密にはマメ科作物を植えて土壌に窒素を供給していることを明言しているのですから、これを「無肥料」と表現していいのかは大いに疑問です。もっとも、法的にも学術的にも「肥料」の定義は非常に難しいので、言った者勝ちの面はありますが。 今回は、肥料を使わない農業は可能なのか、ということを考えてみたいと思います。いきなり結論を述べてしまうと、「できない」に尽きます。肥料がなくても農業ができるのならば、なぜそもそもこの世に肥料という物が存在しているのでしょう

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    kbeee 2014/05/20
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