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ブックマーク / www.zen-essay.com (25)

  • 「所詮」って仏教の言葉だったの? - 身近な仏教用語 - - 禅の視点 - life -

    【所詮】身近な仏教用語の意味 「努力したら夢は叶うとか言うけれど、所詮、自分には無理なんだ……」 そのような諦めの言葉を自分自身に呟くような瞬間が、哀しいけれども人生にはある。 今はもう肩の力が抜けてしまってそのようなことを思うこともなくなってしまったが、私にだって挫折を味わった経験が何度もあった。 今回ご紹介する仏教用語は、上記の呟きのなかに登場する「所詮」。 「結局」「なんだかんだ言って」「とどのつまり」「畢竟」などなど。 類語はまだ他にもいろいろとあるが、そのような意味で使われている所詮という言葉は、じつは仏教用語なのである。 所詮と能詮 仏教には経典という名の、仏法(教え)を記した書物がいくつもある。 それらの経典には、それぞれ説き示そうとする内容が書かれており、その内容を所詮とよぶのだ。 また、所詮の対をなす言葉として「能詮(のうせん)」という言葉があり、説き示そうとする母体、つ

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  • 【禅語】 悟れば好悪なし - 悟った者と、そうでない者の違い - - 禅の視点 - life -

    【禅語】悟れば好悪なし(さとればこうおなし) ブッダは、弟子から「悟った人物とそうでない人物の違い」、つまり聖者と凡夫の違いについて質問をされて、矢を用いた喩え話で説明をされたことがあった。 それが、「第一の矢と第二の矢」の話だ。 たとえば、美味しい料理べたとする。 その時に抱く「美味しい」という感覚は、悟っていても、悟っていなくても、どちらも同じ。 どちらも等しく「美味しい」と感じる。 これが料理から放たれた第一の矢を受けての感想である。 同じように、散歩をしていて道端にきれいな花を見つけた時に「きれいだな」と思うのも、第一の矢。 車を運転していたら、急に横から割り込みをしてくる車に出会って「危ない」と思うのも、第一の矢。 それら一次的な思いはすべて第一の矢であり、この矢は悟った者にも悟っていない者にも変わりなく突き刺さる。 問題は、第二の矢だ。 美味しい料理べると、我々は往々に

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  • 「無用の長物」って仏教の言葉だったの? - 身近な仏教用語 - - 禅の視点 - life -

    【無用の長物】身近な仏教用語の意味 無用の長物(ちょうぶつ)とは「あっても役に立たないもの」「邪魔なもの」という意味の言葉である。 そしてこの言葉は、もとは仏教に由来する仏教用語なのだが、その事実はほとんど知られていない。 ということで、今回は「無用の長物」の語源についてご紹介したい。 そもそも「役に立たない」「邪魔」というのは、人によって基準が違うようにも思えるが、仏教ではこの線引きが明確に行われていた。 一体どうやって線引きをしたのか? 簡単である。 必要なものだけを規定し、それ以外の物はすべて無用、つまり所持してはいけないことにしたのだ。 何というわかりやすい判断基準。 これなら迷う隙がない。 仏教において所持してもよいと考えられていた物 まず、実際に出家者が所持してもいいと認められていた物、つまり有用と規定されたものを確認してみたい。 時代を遡ること約2500年。 原始仏教において

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  • 托鉢をする僧に出会って戸惑ったことのある方へ、ない方へ - 禅の視点 - life -

    托鉢をする僧に出会って戸惑ったことのある方へ、ない方へ 托鉢とは何か 施す側にとっての修行 お礼の問題と喜捨 お礼の在り方 托鉢僧への施し 托鉢の方法 布施の仕方 施財の偈 托鉢の映像 托鉢をする僧に出会って戸惑ったことのある方へ、ない方へ 先日、暖かな冬の日に托鉢をした。 現代でも地域によっては托鉢をする僧侶と出会うことが珍しくないところもあるが、大多数の方にとっては、托鉢をする僧侶と出会う機会などほとんど存在しないのではないかと察する。 偶然に托鉢中の僧侶と出会うことがあっても、見慣れていないがためにどうすればいいのかわからないとの戸惑いの声も多く聞く。 実際、出家する以前の私も、18歳の頃に京都を旅行していた時にはじめて托鉢をする僧侶と出会ったのだが、どうしていいのかわからずに何事もなくすれ違った。 あれは、修行をしているのだろうか? 托鉢というものだろうか? 近寄ると危なかったりす

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  • 【禅語】 無分別 - 比較しない視点、区別しない考え方 - - 禅の視点 - life -

    ※答えは記事中にあります。 【禅語】無分別(むふんべつ) 分別がないようではいけない。分別ある人間でありなさい。 普通、人はそう言う。 ここで言う「分別がつく」とは「善悪の判断がつく」というような意味であるから、分別ある人間になることを求めるのは何もおかしなことではない。 こういう場合はこうしたほうがいい。あの場合はああしたほうがいい。 そういった思慮判断ができる人間であれと常識が宣う一方で、しかし禅ではむしろ人は無分別であれと説く。 これは一体どういうことなのか。 アクバルとビルバル インドの昔話に頓智を題材にしたなかなか面白い話がある。 16世紀のインド、ムガル帝国の第3代皇帝の座に就いたのはアクバルという人物であった。ある日、このアクバル皇帝が自分の宮殿の床に1の真っ直ぐな線を引き、臣下たちに次のような難題を突きつけた。 「誰か、この線を短くすることのできる者はいるか。ただし、線の

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  • 現代語訳『般若心経』② - 経典を現代語訳するということの意味 - - 禅の視点 - life -

    現代語訳『般若心経』② - 経典を現代語訳するということの意味 - 前回、『般若心経』の現代語訳を全文通して書いた。 以下の記事である。未読の方はぜひどうぞ。 www.zen-essay.com ご一読いただいた方のなかには、原文1文に対する訳が長すぎだろうと、疑問を持たれた方もいらっしゃるかもしれない。 もちろん意図的である。 なぜあのような訳になるのかは、追々綴っていきたい。 だがその前に、そもそも経典の訳とは何か、現代語に訳すことの意味について述べておくのが先だろう。 経典を現代語に訳すとはどういうことなのか そもそも翻訳というのは、インスタントラーメンべ方のようなものだと、私は思っている。 原文の直訳は、言ってみれば封を切って袋から出しただけの状態の麺 湯を入れる前の固まったままの麺。 直訳を味わうのは、この固まったままの麺をバリバリとべるようなもので、べられないわけではな

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  • 『般若心経』を現代語訳するとこうなる - 存在が存在することの意味を説くお経 - - 禅の視点 - life -

    私は22歳の時に在家から出家して禅僧になりました。禅や仏教に関する諸々を学んだ結果としての出家でしたが、そのなかで『般若心経』についても学びました。 『般若心経』に綴られた文々の意味を知ったときは、正直なところ、私は驚きを隠せませんでした。 わずか262文字のお経に秘められた、小宇宙ともいえる凝縮された教え。神や仏を信仰しろと言っているのではない。ここに書かれている教えを信じろと言っているのでもない。 「存在の真実を見抜きなさい」 『般若心経』が言わんとするものは、その一点でした。 般若心経はもっとも有名なお経の1つ 『般若心経』の構成 わかりやすく現代語訳する 現代語訳『般若心経』 摩訶般若波羅蜜多心経(タイトル) 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減

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  • 「さばを読む」って仏教の言葉だったの? - 身近な仏教用語 - - 禅の視点 - life -

    【さばを読む】身近な仏教用語の意味 「サバを読む」という言葉は、自分が得をするように数をごまかすことをいう。 ことに、年齢で用いられる場合が多く、 「40歳になったけどつい35歳だと言ってしまい、5歳サバを読んだ」 などと使われる。 日常でもよく使われる言葉なので、改めて言うほどのことではないかもしれないが……。 ただ、この「サバ」という言葉が何を指しているのか、また「サバを読む」という言葉自体、どのようにして生まれたのかは、じつは諸説ある。 そのうちの1つに、これは仏教から生まれた仏教用語なのではないかという、あまり知られていない異説があるので、今回はそれを他説定説等と交えて仏教語としてご紹介したい。 あくまでも一説にすぎないので、仏教用語とするには問題が多いが、そこは大目に見ていただきたい。 鯖説 「サバを読む」の語源としてもっとも知られているのは、鯖は水揚げ量が多く傷みがはやいため、

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  • 【禅語】 大道長安に透る - すべての道が都に通じている - - 禅の視点 - life -

    【禅語】大道長安に透る(だいどうちょうあんにとおる) 「道」という言葉には、どこか深みを感じさせる響きがある。 人が歩く道。 歩いてきた道。 歩くべき道。 きっと道とは人生の象徴なのだと思う。 どこまで伸びているのかわからなくて、他のいろんな道と交差していて、多くの人が行き交う。 歩けば疲れるので休みが必要で、でも休んだあとにはまた歩きたくなる。 そんなところも、道と人生はよく似ている。 今回ご紹介する禅語は、そんな「道」にちなんだ言葉。 その名も「大道長安に透る」である。 問答から生まれた「大道長安に透る」 中国は唐の時代に趙州(じょうしゅう)という僧がいた。 この趙州のもとへ、ある日1人の修行僧がやってきて問答をしかけた。 「道とはいかなるものか?」 ここで修行僧が訊ねた「道」とは、仏道のことである。 仏道というとどうしても堅苦しく聞えてしまうが、「仏道を歩むとはどういうことなのか」と

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  • 【禅語】 自灯明 - 本当に自分を支えることができるのは自分だけ - - 禅の視点 - life -

    【禅語】自灯明(じとうみょう) 前回、法灯明という禅語についてご紹介した。 ブッダが亡くなる前に弟子たちに残した言葉である。 法灯明とは真理を依りどころとすること 法灯明とは、要約すれば、真理、つまりは「当に正しいこと」を頼りにして生きていきなさいという意味の禅語であった。 それは、何かを信じることではなく、何が当かを見抜き、考え抜く生き方ともいえるものだった。 その法灯明という禅語とともに、ブッダはもう1つの言葉を弟子たちに残した。 それが自灯明。 この2つの禅語はいつもペアで語られることが多いので、ここでも続きにしてみたいと思う。 ブッダが残した自灯明の教え 自灯明とは、自分自身を頼りとして生きていきなさいという意味の禅語である。 自分自身を灯火として、先の見えない暗闇のような人生を歩いていきなさい。 ふいに停電した夜に灯すロウソクの明かりのように、頼るものが何もない場所でも、自分

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  • 【禅語】 法灯明 - 本当に正しいことを頼りとしなさい - - 禅の視点 - life -

    【禅語】法灯明(ほうとうみょう) 仏教の開祖であるブッダに死期がせまったとき、その周囲には多くの弟子たちが集まっていたという。 そのなかの弟子の一人が、涙ながらにブッダに訊ねた。 「ブッダがお亡くなりになってしまったら、私たちは一体何を頼りに生きていけばよいというのですか」 嘆く弟子に対し、ブッダはこう答えた。 「私がこの世を去ったあと、あなたたちは2つのものを頼りとしなさい。 1つは、あなた方、自分自身。 そしてもう1つは、真理である」 暗闇のなかで灯す明かりのように、自分自身を頼りとし、真理を頼りとする。 ブッダはこの2つを灯火として生きるようにと、弟子たちに最後の教えを説いたことが仏典に残されている。 自分自身を頼りとすることを「自灯明」といい、真理を頼りとすることを「法灯明」という。 ブッダが最期に残したこの「自灯明 法灯明」の教えは、禅語として現代にまで脈々と語りつがれている。

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  • 【禅語】 水をふみ石をきらうことなかれ - 子どもは体験によって自然を学ぶ - - 禅の視点 - life -

    【禅語】水をふみ石をきらうことなかれ 小学生だった頃、雨が降りしきるなかを傘もささずに庭に出て走り回って遊んだことが何度かあった。 どうしても雨に打たれる感触を味わいたくて、親に頼んで外に出してもらったのだ。 びしょ濡れになるからやめてと普通親は嫌がることが多いのだろうが、うちの親は少々変わっていて、玄関にタオルを用意して濡れたまま家に上がらなければOKと許してくれた。 言われたとおりタオルを折りたたんで玄関に置き、夏の夕立へ飛び出した。 シャワーを浴びるのとはまったく違う、夏のぬるい雨の感触。 木々が水を得るように、雨を浴びた。 そんな経験を誉めてくれる人など誰もいなかったが、道元禅師という禅僧は次のような禅語を残している。 「この身心をもって発心すべし、水をふみ石をきらうことなかれ」 訳せば、次のようになるだろうか。 「この生身の体で自然を感じ取り、自然に沿った生き方をしなさい。 水を

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  • 「懐石」って仏教の言葉だったの? - 身近な仏教用語 - - 禅の視点 - life -

    【懐石】身近な仏教用語の意味 懐石料理という文字を見て疑問に思ったことはないだろうか。 なぜ「ふところの石」と書いて事を指すのか。 石は……どう考えたってべ物ではないだろう。 じつはこの懐石という言葉は、仏教から生まれた仏教用語である。 そこで今回は「懐石」の語源についてご紹介したい。 懐石料理とは そもそも懐石料理とは、茶道において茶を美味しく味わうために、茶をいただく前に出される軽のことである。 懐石という言葉がすでに事という意味を含んでいるため、来であれば懐石と表記するだけでそれが事であることを表しているが、料理という文字を補って懐石料理と表記することが一般化しつつある。 それはおそらく、懐石と同じ発音をする会席料理との混同に主たる原因があるのだと思われる。 会席には事という意味が含まれていないため、これには「料理」を付ける必要があった。 すると「カイセキ料理」という言

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  • 仏前結婚式ってどんな感じ? - その特徴・費用・内容などについて - - 禅の視点 - life -

    仏前結婚式 - その知られざる内容と概要 - この広大な世の中で偶然にも出会った二人が、契りを結び夫婦となる結婚式。 そんな結婚式のイメージといえば、ドレス姿の新婦がバージンロードを歩き、神父の前で2人が愛を誓い、みんなで讃美歌を歌って、誓いのキス……という、いわゆる教会式を思い浮かべることが多いだろうが、その他にも結婚式の形態は存在する。 そこで、これまでに何度か仏前結婚式の手伝いをしたり司会を務めたりしてきた自分の経験をもとに、まだあまり世間に知られていない、しかし知る人ぞ知る隠れた人気を呼んでいる仏前結婚式についてご紹介したい。 結婚式の種類 結婚式は大きく分けて次の4つの種類がある。 教会式(キリスト教式) 人前式(親類・友人式) 神前式(神道式) 仏前式(仏教式) 教会式、人前式、神前式はわかるが、仏前式? お寺で結婚式なんて挙げれるの? と思われる方も少なくないのではないだろう

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  • 【禅語】 規矩行い尽くすべからず - マニュアルの功罪 - - 禅の視点 - life -

    【禅語】規矩行い尽くすべからず(きくおこないつくすべからず) 規矩(きく)とは規則のことで、現代でいうマニュアルのこと。 つまり「規矩行い尽くすべからず」とは、すべてをマニュアルで定めてしまってはいけない、あるいは、マニュアルどおりの行動ばかりではいけない、というような意味の禅語となる。 なんだか現代社会にこそ必要な禅語のように感じるが、昔も規則にがんじがらめになるようなことがあったのだろうか。 気になるところだ。 ただし、この禅語はマニュアル「だけ」ではいけないといっているのであって、マニュアル自体がいけないといっているわけではない。 新人が仕事を覚えるのに、マニュアルを覚えるという方法は効率がいい。 マニュアルというのは、いわば定石なのだ。 こうなった場合、こうしたほうがいい。 あの場合は、ああしたほうがいい。 そういったあらゆるパターンのなかで最適なものはどれか、先人が試行錯誤した上

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  • 【禅語】 散る桜 残る桜も 散る桜 ~良寛禅師 辞世の句~ - 禅の視点 - life -

    【禅語】散る桜 残る桜も 散る桜 いつも衣の懐に手毬やおはじきを入れて、子どもらと無邪気に遊んでいたという良寛和尚。 「散る桜 残る桜も 散る桜」という禅語は、そんな良寛の辞世の句と言われている。 今まさに命が燃え尽きようとしている時、たとえ命が長らえたところで、それもまた散りゆく命に変わりはないと言い切る良寛の心。 桜は咲いた瞬間から、やがて散りゆく運命を背負う。 ブッダが説いた「死」の原因 仏教の創始者であるブッダは80歳で亡くなった。 旅の途中、チュンダという人物から施しを受けた供物をべたことによる中毒が原因だったと考えられている。 それはキノコ料理だったとも、豚肉料理だったともいわれている。 極度の下痢と脱水症状に苦しみ、衰弱していくブッダの姿を見て、チュンダは責任を感じ泣き続けていたという。 しかし、そんなチュンダに、ブッダはこう言い聞かせた。 「チュンダよ。嘆く必要はない。

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  • 【沢庵宗彭】 読後に、思わず「なるほどねぇ」と唸る禅僧の逸話  - 禅の視点 - life -

    【スポンサーリンク】 【禅僧の逸話】将軍家光を感嘆させた沢庵宗彭の事 - 美味と空腹 - 白いご飯に添えられる漬け物。 そんな漬け物の代表格は、やはり沢庵漬けだろう。 この沢庵漬けという名前にある沢庵とは、一説には安土桃山時代から江戸前期を生きた臨済宗の禅僧、沢庵宗彭(たくあん・そうほう)にちなんだものと言われている。 沢庵和尚が作った漬け物だから、沢庵漬け。 ただ、史実かどうかはわからない。 その沢庵にちなんだ面白い逸話があるので、ご紹介しよう。 ある時、沢庵禅師に帰依していた徳川3代将軍家光が、沢庵にこんな相談をした。 「近頃、余は何をべても美味しいと感じぬ。何か美味しいものがあればべさせてはくれぬか?」 すると沢庵は、すぐにこの話を請け負った。 「そんなことでしたらおやすいご用です。明日の午前、拙僧の寺においでくだされ」 ただし、続けてこう付け加えた。 「事の席では私が主人で

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  • 【禅語】 主人公 - 個性とは奇をてらうことではなく、自分らしく生きること - - 禅の視点 - life -

    【禅語】主人公(しゅじんこう) 「ちょっと変わっている」 そんな人に対して、「個性的」という言葉が使われることがある。 個性的な髪型。 個性的な服装。 個性的な生き方。 などなど。 一握りの称賛と、一抹の拒否と、大多数の驚きで構成された、不思議なニュアンスの言葉だ。 個性的、という言葉は。 そんな個性的という言葉に関する、ちょっと面白い禅語がある。 それが「主人公」。 「主人公」といえば、現在では映画やドラマなどの主役を指す言葉として使われているが、来の禅語の意味は少し違う。 禅語では主人公という言葉を、自分のなかにいる当の自分というような意味で用いている。 実際に自分のなかにもう一人の自分がいるわけではないが、中国の瑞巌和尚という僧が自分に対して声をかけて、自分で答えるという変わったことをしていたものだから、自分のなかに主人公という当の自分がいるかのようなニュアンスが付いてしまって

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  • 【禅語】 鶏寒くして樹に上り 鴨寒くして水に下る - いろんな答えがあっていい - - 禅の視点 - life -

    【禅語】鶏寒くして樹に上り 鴨寒くして水に下る 雪の降りしきる真冬の池を鴨が悠々と泳いでいる、あの信じられない光景を目にしたことがあるだろうか。 人があの真似をしたら、寒さで凍え死んでしまってもおかしくない。 いや、きっと死ぬ。 見ているこちらが心配になってしまうような光景であるが、当の人である鴨にとっては、そんな心配は無用なのだそうだ。 鴨には特殊な体の構造があって、足の温度は5度くらいでも体温は常に40度を保つことができるという。 なんでも、足で冷やされた血液が体の中心にまで届かないような仕組みになっているとか。 だから冷たい水を泳いでいても体温が下がらない。 まあ、足温は危険な数値まで下がるだろうが、それはまったく問題ないのだという。 体さえ冷やさなければ大丈夫なものらしい。 しかし足は大丈夫でも、お腹の下側はどっぷり冷水に浸かっている。 あれは大丈夫なのか? じつはあれも大丈夫ら

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  • 「ごみ箱」って「護美箱」っていう漢字だったの!? いえ、当て字です。 - 禅の視点 - life -

    「ごみ箱」って「護美箱」っていう漢字だったの!? いえ、当て字です。 永平寺で雲水として修行をしていた頃、廊下を歩いている時などに、たまに参拝者の方から質問を受けることがあった。 タイトルの文字についてである。「護美箱」という。 じつは永平寺の廊下には「護美箱」と墨書された箱が、ところどころ参拝通路の壁に掛けられているのだ。 「すみません、これってやっぱり、ごみ箱のことなんですか?」 「ええ、そうですよ」 「ごみ箱って、こういう漢字だったんですね」 「いえいえ、当て字です。でも『護美箱』としておくと、だいぶ意味合いが変わって面白いですよね」 参拝者とのそんなやりとりが何度かあった。 当て字でなく、「ごみ」という字に正しく漢字を当てるなら、「芥(あくた)」や「塵(ちり)」になるという。 ただしどちらも「ごみ」と発音して読むことはない。 意味が「ごみ」に類するものだから「ごみ」の語に選ばれてい

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