はてなアイデア - はてな新ロゴデザインが「青海波」に似ていて実は和風なので「はてなてぬぐい」を作るといいと思います。「しなもん」柄などのバリエーションもあったらきっとかわいい! 聴く耳を持たない(片方しか) 2007/06/06 はてなてぬぐい欲しい! rikuoさんの図案を作ってみようということで. 素人でも出来そうな に挑戦. クリエイティブ・コモンズの継承により, 画像は全て表示 - 非営利 - 継承 - Creative Commonsで. 携帯で撮ったので写真が汚い. 手拭いのサイズは35cm×90cmくらいらしい. 100cm幅や110cm幅の布を切って作ると端の処理が上手くいかないので, 元から36cm幅である9mのさらしを購入. 95cmくらい切り取って作ってみる. まずは樹脂で染め抜く部分を保護する作業. 菱形の型紙を作ると作業が楽. ただ, 型紙が大きすぎたのとレイア
この項では、旅に持っていく医薬品類の選び方、つまりファーストエイド・キットの作り方について考えてみたい。 海外旅行はもちろん、日本国内の登山/トレッキングの場合でも、必要最低限の医薬品は必需品だ。そうしたものをひとまとめにパックしたものをファーストエイド・キット First Aid Kit と呼んでいる。日本語でいうなら携帯用救急セットといったところか。 百貨店の旅行用品コーナーや、登山用品店に行くと、旅行に便利そうな携帯用の救急セットが売られている。しかしそれらを買ってくれば万事OKというわけにはいかない。日本で売られているファーストエイド・キットは、ハサミやガーゼ、絆創膏などが入っているだけで、消毒液はおろか薬は一切入っていない。薬事法の規制があって、市販の救急箱(救急セット)には医薬品を含めて販売することができないからだ。旅/アウトドアに必要なファーストエイド・キットは、個々の医薬品
イギー・ポップも同い年。1947年生まれ。今年還暦。お元気ですか? 70年代の少女マンガを見ていると、グラムロックの影響が少なくない。 この前『エースをねらえ』を読んでいたら、主人公・岡ひろみの部屋にはマーク・ボランのポスターが(T-BOLANじゃない)貼ってあったし。 『エースをねらえ!』の連載期間は1973年から1980年。グラムの流行はすごく短期でしぼんだと言われていて、72,3年がピークかな。1974年にはすっかり収束していたらしい。 久々にリンク。yakoさん制作。 ■少女漫画に出てくるデビッド・ボウイ ■少女漫画に出てくるミュージシャンいろいろ 大島弓子選集 (第8巻) 四月怪談 作者: 大島弓子出版社/メーカー: 朝日ソノラマ発売日: 1986/01メディア: 単行本購入: 3人 クリック: 3回この商品を含むブログ (8件) を見るジギー・スターダスト(紙ジャケット仕様)
芸術新潮5月号のコラムで、佐野繁次郎のパピエ・コレについて書きました。5月20日までの神奈川県立美術館葉山に於ける「パリのエスプリ 佐伯裕三と佐野繁次郎展」の紹介です。ぼくの好きなのは本絵よりも、佐野繁次郎のパピエ・コレ(コラージュ作品)と装丁デザインと手描き文字に限定(マニアックですよね)しているので、ほぼそれについてのみを記してあります。子供の頃から見ていた銀座の商店会が発行しているPR誌「銀座百点」のデザインで佐野繁次郎を知ったのが最初です。これについては当ブログ(id:osamuharada:20050311)に書いてしまったので重複は避けますが、書籍の装丁デザインや文字も大好きなのは、純粋な画家というよりデザイナー佐野繁次郎としての才能のほうを好きだと、正直に言ってしまったほうがいいですね。もちろん美術評論家なんかじゃないから偉そうなことは言いたくはありません。(実は芸術新潮に何
オールドファンには懐かしい画家、「佐野繁次郎展」が4月2日から5月15日マデ、東京駅丸の内の東京ステーションギャラリーで開催されます。どんな作品が出るのか、今から楽しみです。美術に興味のない方(ただし60歳以上でしょう)でも、昭和30年頃からの「銀座百点」の表紙、化粧品「パピリオ」のデザイン、銀座並木通りにあったレストラン「レンガ屋」や「セントメリー靴店」などの描き文字の店名、当時の単行本の数々の装丁デザインなら、ああ、あれかと思い出されるでしょう。ぼくは特にコラージュ作品と描き文字が、子供の頃から大好きでした。 この写真の本は昭和30年発行の渡辺紳一郎著『巴里風物誌』の中の、繁次郎の挿絵です。このエッセイ集には60枚もの佐野繁次郎スケッチが収められているのでお買い得。画中、パリの街の看板ポスターなどの描き文字が利かせどころです。文のほうの渡辺紳一郎は、これまた古いけれど当時はNHKのクイ
勝手に逃げろ/人生 [DVD] 出版社/メーカー: ハピネット・ピクチャーズ発売日: 2005/11/25メディア: DVD クリック: 54回この商品を含むブログ (19件) を見る ゴダールの映画『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で、これは主要な人物たち(映画監督のポールと、その別れかけた恋人のナタリー・バイイと、娼婦のイザベル・ユペールと、ポールの別れた妻とその娘)がそれぞれに微妙に「人生」のある沈滞した段階に閉ざされていて微妙に「勝手に逃げ」ようとしかけている(でもさしあたり逃げない)気配と微光に満たされた、微妙な閉塞感と微妙な爽快感のブレンドされたヘンな作品なんだけど、娼婦の仕事をしているイザベル・ユペールが、ある初老の客に呼び出されて、男の娘のふりをするプレイを要求されて、30秒後に娘みたいに部屋に入ってこいと言われていったん部屋の外へ出て30秒を待っていると、廊下をふっとイ
出演:オトノ葉Entertainment、小林すみえ、他 監督・撮影・編集:松本卓也 (シネマ健康会) http://matsumoto-movie.hp.infoseek 出演:オトノ葉Entertainment、小林すみえ、他 監督・撮影・編集:松本卓也 (シネマ健康会) http://matsumoto-movie.hp.infoseek.co.jp/ 解説/ オトノ葉Entertainmentの真冬にリリースの真夏感たっぷりのこの曲。 スペースシャワーTV や MUSIC ON TV でも放映中! ※そのPVの特別ワンカットバージョン! 通常版はこちら http://jp.youtube.com/watch?v=v60T004iToM (続き) (一部表示)
第1回全日本剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日本剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を 第1回全日本剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日本剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を超える 観衆が集まった。 本大会は、戦前の剣道界の慣習であった専門家、非専門家の区別を廃し、選手の資格は年齢、段位、称号などに一切の制限を設けず、 各府県の予選を経て代表者を出し、剣道日本一を決するという画期的な構想によるものだった。 優勝の榊原正は大正9年愛知県蒲郡市生まれの33歳、名古屋矯正管区法務教官(剣道師範)、のちに剣道範士八段。戦前は名門東邦 商業で活躍した剣士。準優勝の阿部三郎は大正8年福島県相馬生まれの34歳、警視庁の剣道選手でのちの
カーチス・エマーソン・ルメイ(英語: Curtis Emerson LeMay、カーティス・ルメイ[1]またはカーチス・E・ルメイ[2]、1906年11月15日 - 1990年10月1日)は、アメリカ合衆国の陸軍軍人、空軍軍人。最終階級は空軍大将。第二次世界大戦中は第20空軍隷下の第21爆撃集団司令官に赴任し、東京大空襲を指揮。1957年7月から1965年2月まで第5代空軍参謀総長を務め、在任中はキューバ危機の間にキューバのミサイルサイトの爆撃を呼びかけ、ベトナム戦争の間に持続的な北ベトナム爆撃キャンペーンを求めた。 1906年11月15日にオハイオ州コロンバスにて、放浪者の父と教師の母の間に6人兄弟の長男として誕生した。父親の先祖はフランス人である。オハイオ州立大学在学中に陸軍の予備役将校訓練課程(ROTC)を修了し、その後は大学を中退して国境警備隊に入る。 1929年10月12日に陸軍
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