長男Mと次男Kへ。 この街をあの大地震が襲った日、長男Mも次男Kもまだ生まれてはいなかった。それどころか、私はまだ君たちの母親となる女性と出会ってさえいなかった。彼女と知り合うのは地震の翌年の春のことだ。 震災の記憶は今も鮮明に脳裏に焼き付いている…… と、調子よく話し始めたいところだが、私は本当に物覚えがよくなくて。あの日のことも、あの日に続いて私の周辺で起こった様々な出来事も、断片的にしか覚えていない。 先日(※16年前のことです)、古いパソコン(※NECの98シリーズです、、、)をいじっていると、ハードディスクの中に、震災の直前に始めたばかりだったパソコン通信のログ(通信記録)と、震災後しばらくつけていた日記のデータを見つけることができた。読み返してみると、十年も経たない今でさえ、もはや意味の汲み取れない記述がいくつもあった。放っておくと、この先どんどん忘れていく一方に違いない。だか
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