叡福寺(えいふくじ) 叡福寺 山門 叡福寺(えいふくじ、大阪府太子町)は磯長陵(しながりょう)、考古学では叡福寺北古墳と云われる。 大和奈良の葛城から竹内峠を超えて、河内大阪に入り叡福寺北古墳(磯長陵)のある一帯が磯長谷。 敏達・用明・推古・孝徳の歴代天皇陵が「磯長」で営まれたと日本書紀に見える。 磯長を含む二上山の麓の河内側は、古事記で、難波宮(地図左上)からの距離で「近つ(ちかつ)飛鳥」とよばれたエリア(現在の羽曳野市飛鳥周辺)でもある。 皆がよく知っている大和の飛鳥は「遠つ(とおつ)飛鳥」 古代地図 大和葛城と河内磯長 叡福寺北古墳 古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE 山門をくぐった叡福寺境内のさらに奥。叡福寺古墳ともいわれる。直径54メートルの三段構造の円墳。 ★この時代には(関東を除き)前方後円墳は造られなくなっている。なぜなら
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