イベント:Dialogue at UTokyo GlobE #6 Ben Nelson氏 (ミネルヴァ大学創設者)と藤井輝夫総長との対談イベントNEW! Event: Dialogue at UTokyo GlobE #6 Guest Speaker: Mr. Ben Nelson, Dialogue with President, Teruo Fujii 全学交換留学(USTEP)説明会2023 アーカイブ(イベントレポート)公開 Archives, Event report: Information session for USTEP 2023 全学交換留学(USTEP)2024-2025年期留学 秋募集 募集要項公開のお知らせ Call for Applications: USTEP 2024-2025 Autumn Application Guidelines GO GLOBAL東
昨年秋に京大の出口康夫さんにお誘いいただいておこなったワークショップ@応用哲学会大会の第二回目です。 http://d.hatena.ne.jp/contractio/20110924今年の会場は千葉大学とのこと。 今回はわたくしはオーガナイザとして参加します。テーマは「ブリュノ・ラトゥールと科学哲学」あるいは「ラトゥールからエスノメソドロジーへ」といったところ。今回も『概念分析の社会学 ─ 社会的経験と人間の科学』の編者のうち二人(中村&前田)が報告者として参加します。 テーマ(哲学と社会学)が やたらとでかすぎるので、第一回目に引き続き今回も「名刺交換」的な何かとはなりますが、いちおう前回出た論点の一つをピックアップして、各人の仕事を多少は擦り合わせる試みくらいのことまではする・・・つもりです。いや、目下そのテのことを しているはずです(誰かが)。 ご近所ご家族親類縁者その他もろもろ
Stay abreast of your favorite bloggers' latest and greatest via e-mail, via a daily digest. Sign me up! CogDaily readers are certainly opinionated about email sign-offs. Last week's Casual Friday study on the topic generated 343 responses, and our post on the study attracted 21 comments, some of them quite impassioned: When someone signs an email "Cheers", I assume that they are either British or
学生の受講態度のだらけぶりに呆れ果ててしまって、もう大学で教鞭をとる気も失せるほどらしい(伝聞)。 たしかに、講義中に私語する学生はいるし、居眠りしている学生もいる。後者は他の受講生の邪魔をしていないぶん前者に比べればどうということもないはずだと思うのだが、何時間もかけて講義ノートや配布資料を準備した教師の側からすれば許しがたい受講態度と映るのかもしれない。教える側にとって自分が教えている内容が有する価値というのは自明でもある。それに価値を見出さない(かに見える)学生の姿は許容しがたいものに違いない。 ......などとわかった風に書いてみたが、正直に言うと、そういう教師の発想というのは私にはちょっとよくわからない。あなたは講義中に居眠りしたことがないのか、あるとすればどのような講義の時にそうだったか、と問うてみたい気もする。 しかし私語は教師としては困る。真剣に講義を聞こうとしている学生
コメント欄からサルベージして加筆修正。 1928年の『憲法論』におけるカール・シュミット自身の「institutionelle Garantie」なる言葉は、「何かを制度的に保障する」のではなく、「何らかの制度を保障する」という意味である。 この場合の「制度」の中に基本権は入らない。シュミットの解釈によるワイマール憲法はあくまでも市民的法治国、リベラル・デモクラシーの憲法であり、その主眼は基本権である。ただし基本権、ことにその中核たる個人の自由権は前国家的、超国家的権利であり、国家によって保障されるまでもなく存在しており、国家はただそれを承認し保護するだけである。 それでは「institutionelle Garantie」において保障されている制度とは何かと言うと、このような意味での個人の基本権ではないにもかかわらず、ワイマール憲法によって実際に保障され、特別の保護が与えられているいくつ
(以下は二〜三カ月前に書いたメモですが、寝かせておいてもあまり意味がなさそうだし、稲葉先生もシノドスの論考を公開されたのでいいタイミングだと思うのもあり、ちょっと手を入れた上で公開します。) 社会学の問いの特徴 私は、学部のゼミでは(大学院でも基本的にはそうだが)、いわゆる「標準的な研究プロセス」に従って個人研究をするように指導している。標準的な研究プロセスとは、問いを立て、それに対する理論仮説をデータ(質的・量的)で検証するという手続である。 その際、しばしば「社会学的な問いの立て方」というものを説明する必要が出てくることがある。学生は基本的に社会学の授業をいくつか受けているので、そうしたほうが効率がよいからである。それに、意外に「社会学的な問いの立て方」を説明するのは簡単なのだ。 それは、「注目する現象/人間行動が、性別、年齢、学歴で違いを持つかどうかをまず考えてみたら?」というもので
あけましておめでとうございます。今日は新年からちょっとウェットな内容というか、「私はなぜ研究者を辞めなかったのか」について書き留めておきたいと思いました。いや「誰得」な話なんですけれども。 端的にいうと「辞める勇気がなかった」 自分のここまでのキャリアをざっくり振り返ると、修士のときに同年代の同業者のトップ集団の水準から出遅れて、博士課程でもその差は埋まらずに、ポスドク時代にさらに引き離された、という冷たい感覚の中で研究を続けてきました*1。 なので、博士課程の末期からポスドク時代は常に「私は本来ならば研究者を辞めるべきだ」という思いをずっと抱えながら生きていました。研究者として生き残るための「勝ち目」がまったく見えない状態でずっと研究を続けてきたわけです。 それでもなぜ私は研究者を辞めなかったかというと、端的にいうと「辞める勇気がなかった」からです。 研究者を辞めることは怖い 研究者を辞
あー、答えはあります。 でもこの質問つまんないんですよねー。 くだらないんならいいけど すごく微温的でしかも、きいても聞かなくても いいタイプの質問。 アンケートっぽい無機質さ(杉江さんの東方とか)って ほどでもないしわりと中途半端な印象。 だって想定される回答範囲が偏ってるから。 「塩味」「ゆで卵/炒めキャベツ」 が、ボクの(温情故の)答ですけど、 「悪意ある質問」は耐えられても レディメイドな雑な質問はしんどいなーと いうのが今回の印象。 最初の頃に ライターになった理由をいきなり聞かれて コピペで対応したけど まあ、それ以下ですわ。 みなに同じ質問を投げかけるなとはいいませんが 答える相手がいろいろサービスできる 問いかけをしてほしいなと思いました。 まあ、こういうサービスの常で そろそろどーでもいい世界が主流になってきて 精神的意味での「
立石 裕二, 2011: 環境問題の科学社会学。世界思想社, 306 pp. ISBN978-4-7907-1515-3. 社会で起こる問題、ことに政策決定に関して、科学者の仕事が求められる。科学者は基本的に、同業の科学者の評価にこたえる研究をする(中山 1980に従って「アカデミズム科学」としておく)が、社会の求めにこたえる場合の科学者の仕事は、それとは違った規範に従う、たとえばGibbonsたちのいう「モード2」[別記事参照]あるいはJasanoff (1990) [読書メモ]のいう「規制科学」であるべきだという考えもある。しかしアカデミズム科学の内容の質は査読などの同僚評価によってそれなりに確保されているが、他の種類の科学は関係者の利害に左右されて科学としての質が保てないのではないかという疑問も指摘されている。本書の「科学者が科学者としての自律性を維持しながら社会にかかわる形にはどん
まさかこのおれが結婚するとは予想外の展開だったのでこの一年くらい驚きっぱなしだし、途方にくれているようなところもある。とはいえ眼前から生活が消失するようなことはなく、正気だ。 妻との出会いと結婚に至る経緯は、お互い設定年齢が 10 歳くらい低かったらエロゲか少女漫画かと疑うよーな展開なので、日記しない。わりあいユニーク気味のオタ惚気エピソードもいくつかあるが、その件ですでに数人からことあるごとにチクチクやられていて地味にダメージがあるので書かない。 結婚生活がどうなのかといえば、まぁはっきり言ってラブラブであり、妻に膝枕してもらいながら「ひだまりスケッチ」を見たし、お尻を撫でながら「四畳半神話大系」を見たし、おっぱい揉みながら「日常」を見ている。独身アニオタの友人たちから殴る蹴るの暴行を受けても文句はいえない。ただし h8ctrl には初手から失敗しており、アニメ漫画ゲームインターネットに
これが反原発の立場なのか、原発推進の立場なのか、ぼくは分からないし、気にもしていない。でも、これがいちばん正しいことだと思うということを書いてみる。 まだ福島原発事故の後処理は当分続きそうだが、今後原発をどうするのかという議論(というより議論の不在)はいまだに続いている。でもそのほとんどは、中身を考えないお題目だけの原発反対か、単なる現状維持の原発賛成のみ。 ぼくは「原発反対」という人々が何に反対しているのか、よく分からない。ぼくは耐用年数のすぎたポンコツをだましだまし使い続けるのには反対だ。そしてそんな基本的な工学原則も徹底できない、今の愚かな関係者たち(いわゆる原子力村)にも反対だ(そしてたぶん後者のほうが大問題だ。これは老害の一種だから)。 でも、核分裂を使うエネルギー源がすべてダメとは思わない。福島の原子炉なんかよりはるかに安全性の高い原子炉はある。外部電源が切れても、冷却水が
社会学は、いろんな社会問題について調べて研究する学問分野です。 いつもゼミ生から、就活の面接で社会学科ですっていうと「社会学って何勉強すんの?」って聞かれるんですけど、なんて答えたらいいんですかっていう、ある意味ごもっともな、別の意味では情けない(笑)質問を受けるんですが、そのときは「とりあえず『いろんな社会問題を調べて研究する分野です』って言っとけよ」って言うてます。教育格差とか、ひきこもりとか、少子化とか、外国人労働者とか、環境汚染とか、女性労働とか、いろんな社会問題を調査して、データを蓄積して、どうしたらいいかを考える学問が社会学です。これは小学生でも理解できる答えだと思います。実際に、会社の面接でもこれで十分理解してもらえるそうですし、学生たち自身も「あーーそうなんや!」と言うてくれます(4回生にもなって……)。 というか、そうなってほしい。 社会学って何だろうってずっと俺な
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く