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思想と社会に関するkenjeenのブックマーク (8)

  • 『優生学と人間社会』を読んで - Arisanのノート

    優生学と人間社会 (講談社現代新書) 作者: 米昌平,ぬで島次郎,松原洋子,市野川容孝出版社/メーカー: 講談社発売日: 2000/07/19メディア: 新書購入: 2人 クリック: 60回この商品を含むブログ (46件) を見る 優生学という言葉をはじめて意識して聞いたのは、数年前のことだと思う。 もちろんこの語自体はもとから知ってはいたが、「戦前のこと」であり、おぞましいことだが過去の話であると思っていて、それが現代に復活しつつあると聞いて(実情は、それどころではないわけだが)、奇異の感を抱いたことを覚えている。 このを読むと、「優生学」の過去と現在についてのそうした思い込みは、まったく誤っていたことが分かる。戦後の日社会においても、ずっと「優生保護法」という名の法律が存在してきただけでなく、優生思想は、根的に否定されることのない考えであり続けてきた。 だが、そればかりではない

    『優生学と人間社会』を読んで - Arisanのノート
  • 東浩紀×萱野稔人―暴力のエコノミーと環境管理 - ニート☆ポップ教NEO

    今さらなのか分からないが萱野稔人にハマっている。 彼のブログ(萱野稔人「交差する領域」)などを読んでてなんとなく最近の東浩紀と近いものを感じていた。それは、いつかの東氏のトークイベントで福嶋亮大に指摘された「身も蓋もない話」から始めるという点においてだ。 例えば東浩紀なら「動物」「認知限界」「生殖」、萱野なら「暴力」「カネ」から考えるように。それら二人の出発点は萱野氏がまとめるように「生存」というキーワードで結び付けることもできるだろう。萱野のを読むことで東浩紀が最近問題にしている話がまた見えやすくなった。 立ち位置や見た目では対照的にも見えるかもしれない二人だが、互いに1970年、1971年生まれと世代においてもかなり近い。萱野氏は『東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)』で東が言及したような愛知県の「荒々しい郊外」で生まれ育ったという。それらのことが二人の感性

    東浩紀×萱野稔人―暴力のエコノミーと環境管理 - ニート☆ポップ教NEO
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…

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  • ■ - for dust you are and to dust you will return

    の高校生や大学生に、「なぜ人々を平等にしようとした社会主義は結局失敗してしまったのか」という問いを行うと、おそらく圧倒的に多い回答が次のものだろう。「社会主義では、お金が平等に分けられるので、人々は努力をしなくなった。だからみんな怠けてダメになった」この見解は、日では通俗化されたもので、「だから競争の中で努力しなければいけないんだ」という日人の勤勉な意識が透けて見える。 同じ質問をヨーロッパ人にすれば、どう回答するだろうか。 私は留学中に「ソ連などの社会主義国が失敗した原因は何か」という問いをヨーロッパ人に対して3回ほど行ったが、各人に差はあれど、「失敗した社会主義国」の代表格であるソ連が結局は独裁の横行する危険な国家になってしまったことに言及した。結局は、社会主義はスターリンの粛清を生み出してしまった。それは社会主義者の一部が(もしくは社会主義者の多く)が暴力的で革命や暴動を好む

    ■ - for dust you are and to dust you will return
  • 自由と管理―パノプティコンと現代社会 - on the ground

    この記事は、「リバタリアンが導出する「大きな政府」」の着想と文章の一部を生かして執筆したものです。 パノプティコンと規律訓練権力 ミシェル・フーコーは、強制する権力、抑圧する権力、という従来の権力観を覆す新しい権力観を、ジェレミー・ベンサムが考案した監視塔=「パノプティコン」の例で示したことで有名である。 パノプティコンでは、囚人達はそれぞれ独房に入れられる。独房は円形に配置され、それぞれの入り口は円の中心に向けられている。円形の牢獄の中央部には監視塔がそびえ立っており、そこから各独房の内部が見えるようになっている。これに対して、囚人の側からは監視塔の内部をうかがい知る事ができない。それゆえ、実際に監視されているのか否かにかかわらず、囚人は常に監視されている意識を持たざるを得ない。囚人は監視の目を内面化して行動するようになり、自ら行動を律するような「主体」化を迫られる。ここでは、権力行使の

    自由と管理―パノプティコンと現代社会 - on the ground
  • 研究メモ 続・リバタリアン宣言

    前回のエントリ リバタリアン宣言 http://d.hatena.ne.jp/dojin/20070213 に対して、著者の蔵研也氏からメールを頂いた。ありがとうございます。主内容は以下のとおり。 一言、身障者の「自由」について。 この点についてはアイザイア・バーリンの『二つの自由』が 参考になると思われます。 小生は身障者問題についてあまり深く考えたことはありませんでしたが、リバタリアンとしては、そのような「自由」はやはりないと言わざるを得ません。 人道主義的には納得しますが、しかし、世の中には、身障者福祉などしたくないという人もいることは間違いないからです。小生には道徳的にこのような人たちから国家という強制装置を使って、資源を強制的に奪ってまで福祉にあてることが正当だとは思われないのです。 リバタリアンである小生は、福祉に携わる人はそれに応じて社会で尊敬なり、寄付なりをえることで満足す

    研究メモ 続・リバタリアン宣言
  • 研究メモ - リバタリアン宣言

    リバタリアン宣言 (朝日新書) 作者: 蔵研也出版社/メーカー: 朝日新聞社発売日: 2007/02メディア: 新書購入: 3人 クリック: 43回この商品を含むブログ (31件) を見る 最近は、ロールズ正義論の原書をすこーしずつ読んでいる以外は、思想系はこういう飛ばし読みしながら1時間くらいで読めるものしか読んでいない。 こういうはたまにあったらいいけれども(リバタリアン、というか私が読んだ数人のリバタリアンの啓蒙書は、いい意味でもわるい意味でも一貫しているところがあって、いろいろ整理する際には便利だし、なるほどなぁとも思うことがけっこうある。)、あまりありすぎたら困るな、リベラリズム側はある程度反論して牽制して欲しいな、という題に入る前にいっておくと、まずこのは実証的な観点からは突っ込みどころ満載。「NPOは資金をできるだけ目的の実現に効果的に使うインセンティブを持ってい

  • 社会システムとルール社会を越えていくもの: 極東ブログ

    世界と「私」はどのような関係にあるのか。その関係はどのように変遷し、今、どう変わろうとしているのか、といった、青臭いネタを書く。話を簡素にするために、叩き台的に哲学者竹田青嗣「『自分』を生きるための思想入門」(参照)を使うが、話の筋は竹田の議論にそれほど依存しなくてもいい。ただ、その場合は議論が煩瑣になるというくらいだろうと思う。 同書については、ちょっと哲学志向のある高校生や大学生は読んでおくとその後人生が楽になるかもしれない。哲学プロパーな人は些細な点でいろいろひっかかえって途中で放り投げてしまうかもしれない。竹田の著作史的には、初期の現象学とこの時期特有の橋爪大三郎との交流の影響がある。それでも書の大枠は比較的近著「人間的自由の条件―ヘーゲルとポストモダン思想」(参照)までの射程を持っている。というか、むしろ先の書のほうが竹田思想のコアが見やすい。 まず古典的な世界象は未だ国会

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