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2007年3月11日のブックマーク (7件)

  • 町山智浩アメリカ日記---天安門広場での死者はなかった 2004‐03-13

    インチキというものは、放っておくと、トンデモないことになるという話。 天安門事件を覚えているだろうか。1989年、北京の天安門広場に集まった民主化を求める学生たちを人民解放軍が虐殺した、とされる事件だ。 「とされる」としたのはウソだからだ。当時、現場に最後まで残った朝日新聞の記者と、スペインの国営TV局の記者が後に「学生たちは安全に広場から退去し、一人の死傷者も出なかった」と証拠のビデオを提出し、世界のマスコミは天安門広場の虐殺は誤報だったと撤回修正した(死傷者が出たのは広場の外である)。 詳しい資料です。 http://sng.edhs.ynu.ac.jp/lab/murata/murata-tian'anmen2.html これも追加。この記事がとてもわかりやすいのでぜひ読んでください。 http://gregoryclark.net/jt/page42/page42.html ここが

    町山智浩アメリカ日記---天安門広場での死者はなかった 2004‐03-13
  • 20代がグラビア誌を買わなくなってきている、という話 - H-Yamaguchi.net

    小学館に「Sabra」という雑誌がある。たいてい表紙に水着のお姉さんの写真が出ていて書店で手に取るにはちょっと恥ずかしかったりするが、別にそういう内容ばかりというわけでもない。先日そこのインタビューを受けたのだが、それ自体は題ではなく、そのときに編集部の方から聞いて、思わずいすから飛び上がって「ほんとすか!?」と叫んじゃった話。 「Sabra」のようなグラビア誌の読者というと、典型的に想像するのは「血気盛ん」な若者、と考えるのがふつうではないかと思う。この雑誌は1999年創刊のため私自身の20代には間に合わず、私は買ったことがないのだが、想像するに、10代は「週刊プレイボーイ」あたりだから、「Sabra」は20代かな、みたいな。そういう先入観で世間話を始めたら、ちがうのだという。グラビア誌の中心的な読者層はいまや30代から40代あたりになっていて、20代の人たちはあまり読まなくなってきて

    20代がグラビア誌を買わなくなってきている、という話 - H-Yamaguchi.net
  • 去年の桜・その4 - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    私は走り続けた。悩む暇も落ち込む暇も無く。 盆正月GWも休日出勤を頼まれたら断ったことは無かったし平日に派遣で行っている会社の仕事が無ければホテルでのお運びや厨房の手伝いスーパーの試品のマネキン、勿論バスガイドも添乗員も仕事がくれば全て受けた。派遣で行っている会社に勤める前には営業もしたし立ちっ放しで足が棒になる工場勤めもやった。田舎仕事が限られる。職安に行っても30過ぎで学歴も資格も無い女の仕事は限られている。しかし限られているけれども無いことはないのだ。「自分に都合のいい仕事」を選ばなければ、ただ金を貰う為だけなら何か仕事はある。例え時給が安くても。だから一つの仕事だけしかしていないという時期はほとんど無かった。常に副業をしていた。何も無い私が家を出る為のお金を貯めようと思ったら人の倍働くしかない。人が嫌がる仕事も引き受ける。朝早い仕事も急な出張も酔っ払いの相手みたいな仕事も全部引

    去年の桜・その4 - 花房観音  「歌餓鬼抄」
  • 読み書き=自転車 | 「こんにちわ撲滅委員会」撲滅委員会

    読み書きと自転車の類比は、以下の点でかなり有効である。 両者とも、文化的な産物であり、後天的に取得されるものであるということ 身体は自然科学の対象であり、自転車は工学の対象である。これについて異議を唱える人はいないだろう。 しかし、「言語は自然科学の対象であり、読み書きは工学の対象だ」という事実にはついては、まだまだ理解されていない。言葉に関する多くの議論が、この事実を認識していないことにより混乱が生じている。 両者を取得するためには、ある一定のコストがかかるということ 自転車に乗るには練習が必要であるし、読み書きを取得するには、子供のころから長い時間の学習が必要となる。このコストの問題は当たり前のことだと思われているので、コストであるという意識が薄れているが、なければないで越したことがない種類のものだ。 両者とも、先天的な能力(歩行能力と言語能力)を拡張するものであり、それらと密接に結合

    読み書き=自転車 | 「こんにちわ撲滅委員会」撲滅委員会
  • 「死とは情報化である」 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    「死とは情報化である」 昨日の日経夕刊のタイトル下コラムで見た言葉。 30代で亡くなったミュージシャンの言葉として紹介されていた。誰のことかと思って検索してみたら、「どんと」という人のことだと分かった。 情報元の記事は無効なURLです。この人はバンド「ローザ・ルクセンブルグ」のボーカルなどをやっていたそうだ。かすかにバンド名には記憶があるが、曲を聞いたことはない。 死因は脳内出血だそうなので(情報元はてなキーワード)、慢性の病気で自分の死を見つめて言った言葉ではなく、日々の暮らしをする中でふと思ったことなのかもしれない。 生きている時でも、けっこう情報化された自分というのはあちこちに存在している気がする。 こうして書いている言葉・記事たちもそうだし、自分の話した言葉、他人からの見た目や印象、他人の中に残る行動・言動の記録や記憶などは、それぞれ、自分自身ではなくて断片的な情報だ。 そういった

    「死とは情報化である」 - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • http://www.asahi.com/national/update/0310/TKY200703100176.html

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