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2007年5月23日のブックマーク (3件)

  • My Diary 2007年5月20日(日) - 愛知県長久手人質立てこもり事件について 防げた『SAT隊員射殺』

  • 相手が先にやったから、自分もやり返して良いんだ - novtan別館

    と言う考えが、極めて幼稚に見えてくるのは、そこに「相手が先にやった」という理由しか見えないからなのかもしれない。 殴られた、そのことに対して、自らが相手を殴ってしかるべきと言う判断基準に触れたから殴るのであって、順序性はトリガーをどちらが引いたかを示しているに過ぎない。つまり、相手の行為に対する評価として、自らの基準により、行動を起こしただけのことである。だから、その行為の責任は、自らの判断に帰すべきであり、相手が何をしたから、と言うのは主体的な理由にはなり得ない。 例えば、正当防衛が社会的に許されるのは、相手の行為に対して「放置しているとこちらの生命に関わる」と自分が判断して行動したことが、社会的に容認されているからであって、行為に責任を取らなくて良いわけではない。行為の責任が社会的に軽減されているだけだ。 だから、相手が先にやった「から」、ということを理由に仕返しをするのは、仕返しとい

    相手が先にやったから、自分もやり返して良いんだ - novtan別館
  • 子供を可愛いと思わなかった時代

    痛いニュース(ノ∀`):【赤ちゃんポスト】 3歳男児「おとうさんに、『かくれんぼをしよう』っていわれた」 痛ニュで、こんな記事出てたし、昨日はイギリスの子どもとかの話したんで、せっかくなんで、今日はイギリス近代の子ども観のお話。 先日の記事で扱ったように、西欧においては、「子供は無垢で愛すべき存在である」という伝統がそもそも無かった。無論、中には、今のような形で、子どもを愛す親もいただろう。だが、それは少数であったといわざるを得ない。中世における西欧の親達は、子どもを今とはまるで異なる視線で見ていたし、そういった視線は、社会内において、タブーでもなんでもなかった。 何故、西欧の、とくに中世においては、そういう感情を人間はもたなかったのか?そういう話について、簡単にうかがい知れるのが、 こちらの書籍になる。「子ども観の社会史」は近代イギリスの共同体、家族、子どもの変遷について扱った書籍である

    子供を可愛いと思わなかった時代