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ブックマーク / diary.lylyco.com (4)

  • 意図せぬ抑圧、或いは、同調圧力の犯人はあなた自身|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ぼくはたちは、およそひとりの例外もなく他者を抑圧してしまう存在である。 ぼくたちは、ただ生きているだけで同調圧力によって他者を抑圧している。ここ数日、結婚や出産を祝福することが、結婚や出産をしない、或いは、できない人たちを抑圧するという類の多くの意見を目にした。祝福は純粋に個人的な好意の表明であったとしても、結婚や出産を「善なるもの」とする政治的態度と客観的に区別はできない。簡単にいえば、不妊の男女にとって周囲で「当たり前に」繰り返される「祝福される出産」は極めて深刻なプレッシャーになり得るということだ。たとえ、祝福する人間に彼らを抑圧する意図がなくても、だ。これは何も出産に限った話ではない。 何故なら、こうした抑圧の根は多様性のアンバランスにあるからだ。つまり、マジョリティはマジョリティであるというだけでマイノリティを抑圧してしまうのである。たとえば、友人結婚や出産を祝福するといった

    kenjiro_n
    kenjiro_n 2016/05/14
    繊細チンピラという語が発明される前のエントリ。
  • ネットはオタクの遊び場で終わってしまうのか?|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ・ 「ネットがつまらない」≒「自分がつまらない」 - シロクマの屑籠 いまどき「ネットが面白い」なんて人はまったくどうかしている。 まあ、半分くらいは好い意味で、だ。なぜなら彼らは、インターネットという社会インフラを「趣味」にしてしまった人たちだからだ。いってみれば、鉄オタにとっての鉄道みたいなものだろうか。一般人にとってのネットや鉄道は、もはや面白いとか面白くないとかいう興味の対象ではない。環境に近いものになってしまった。 もちろん、「ネットがつまらないのは自己責任!」というのも正論だと思う。そして、「ネット」の部分はあらゆるものに置き換え可能だ。ぼくが鉄道を愉しめないのは、ぼくのせいに違いない。たしかにぼくは、鉄道を愉しむための努力をしてこなかった。ネットも同じなんだとすれば、それはネットが高度に訓練されたネットオタクでなければ愉しめない、ただのありふれた風景になってしまったということ

  • 「働きたくない」から「死にたい」までの距離は結構近い|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    「(それ以外にやりたいことがあるから)働きたくない」というのはいい。 問題は「働きたくない(が、他にしたいこととてない)」というケースである。これは要するに「したいこと」はないが「したくないこと」だけはあるという状態を意味する。そこで「働きたくない」という希望が叶ったらどうなるんだろう。まず、最も「したくないこと」が解消されてぽっかり空いた時間に自然と幸福が満ちてきたりはしない。世界はそう都合よくできてはいない。きっと、さしてすることもない休日がそのまま引き伸ばされたような、酷く密度の薄い時間がとろとろと流れ込んでくるだけだろう。そうして、また別の「したくないこと」が浮き彫りになってくる。 いちいち断るのも面倒だけれど、「したいこと」が「日がなごろごろすること」だったり「何もしなくていい時間をぼんやり過ごすこと」だったりするのは別に構わない。それは「(それ以外にやりたいことがあるから)働き

    kenjiro_n
    kenjiro_n 2010/01/12
    タイトルをはじめとした大筋では同意するが「本当に「すべきこと」がなくなったとき」というのが理解しにくい。
  • 明日から仕事が苦にならなくなる自己欺瞞術|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    仕事が厭なのは、仕事は厭なものだと思っているからである。 のっけから、当然のことを書いてみた。ところで、あなたはなぜ、いつから仕事が厭になったんだろう。思えば働きだす前から厭だったなんてことはないか。まあ、中には就職前は働くことが楽しみでしかたなかったという人もいるかもしれない。が、そんなのは少数派だろう。ともあれ、何故か勉強が嫌いだったように、何故か最初から仕事が厭だったという人は、少し自分を振り返ってみた方がいい。それは当に「自分の感性」に基づく評価だろうか。どうして、やりもせずに「厭なもの」だと判ったのか。誰かにそう教わったのか。もしそうだとして、なぜそれを信じたのか。 周囲の人間の多くが仕事嫌いだからといって自分まで仕事嫌いだと決めつける必要はない。そんなことでマジョリティたろうとしたところで、もうロリコンやらアニオタやらな段階でマジョリティではないのだから、好き嫌いをわざわざ周

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