ぼくはたちは、およそひとりの例外もなく他者を抑圧してしまう存在である。 ぼくたちは、ただ生きているだけで同調圧力によって他者を抑圧している。ここ数日、結婚や出産を祝福することが、結婚や出産をしない、或いは、できない人たちを抑圧するという類の多くの意見を目にした。祝福は純粋に個人的な好意の表明であったとしても、結婚や出産を「善なるもの」とする政治的態度と客観的に区別はできない。簡単にいえば、不妊の男女にとって周囲で「当たり前に」繰り返される「祝福される出産」は極めて深刻なプレッシャーになり得るということだ。たとえ、祝福する人間に彼らを抑圧する意図がなくても、だ。これは何も出産に限った話ではない。 何故なら、こうした抑圧の根本は多様性のアンバランスにあるからだ。つまり、マジョリティはマジョリティであるというだけでマイノリティを抑圧してしまうのである。たとえば、友人の結婚や出産を祝福するといった