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ブックマーク / s-scrap.com (2)

  • 第5回 分人と間人と

    海外でテロリストの人質になるとさかんに「自己責任」論が叫ばれる。他方、甲子園児の不祥事が発覚するとそのチームが不出場となる「連帯責任」も強い。「自己責任」と「連帯責任」、どちらが日的責任のかたちなのか? 丸山眞男「無責任の体系」から出発し、数々の名著を読み解きつつ展開する、「在野研究者」による匿名性と責任をめぐる考察。第5回は、西洋の個人主義に対峙する概念として唱えられた日的人間観「間人主義」についての考察から。 そもそも、分人という発想は、一九七〇~八〇年代に提唱された「間人」という概念を容易に連想させる。いまや論壇から忘れ去られた過去の遺物を通して眺めると、「分人」はかつてのアイディアの焼き直しにすぎないようにさえみえてくる。 間人とは、社会学者の浜口恵俊が『「日らしさ」の再発見』や『間人主義の社会 日』などの著作を中心にして唱えた西洋近代の個人主義に代わる日的人間観の抽出概

    第5回 分人と間人と
  • 第一書簡 あるべきイスラーム理解のために 中田考+飯山陽 – 晶文社スクラップブック

    人は、身近な隣人となりつつあるムスリムの論理を理解しているか? そこに西洋文明中心視点の誤ったイスラーム解釈はないか? 世界のイスラームに関連するトピックを題材に、より深いイスラーム理解にたどり着くための往復書簡。イスラーム教徒でイスラーム法学者である中田考、非イスラーム教徒でイスラーム思想研究者の飯山陽、専門を同じくしつつも互いに異なる立場の2人による、火花を散らす対話。 イスラーム理解はなぜ困難であるか  中田考 序│東京大学イスラム学研究室 飯山陽さんは、私にとってなによりもイスラム学研究室の後輩です。東京大学文学部に日で初めてのイスラームの専門研究コースとしてイスラム学研究室が創設されたのは1982年で、私はその一期生でした。私はイスラム学研究室に進学し1984年に学士号、1986年に修士号を取得した後、エジプトのカイロ大学に留学し、1992年に「イブン・タイミーヤの政治哲学

    第一書簡 あるべきイスラーム理解のために 中田考+飯山陽 – 晶文社スクラップブック
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