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ブックマーク / note.com/kyosukehiguchi (2)

  • 「さようなら、日本」と書く日のこと|樋口恭介|note

    ◾︎やめられないものをやめるのは案外たやすい。 ◾︎何かをやめるために今すぐできること。それは衝動的に結論を先取りし、結論が前提になった世界で、一度小さく死ぬことだ。死んでいるのだから、やめられないという状態がまず存在しない。死んだことを仮定して過ごすのは、実際に死ぬよりもはるかにたやすい。特にSNSの世界では。SNSにおいては、「僕は死にました」と言うことが、そのままその世界での死を意味することになる。 ◾︎昨夜、東浩紀がTwitterから去った。しばらくSNS全般から距離を置くようだ。Facebookのウォール上で、彼は小さな死を宣言していた。 ◾︎これはSNSと小さな死、仮想的な死についてのエッセイだ。 ◾︎東浩紀がTwitterをやめたのは衝撃的だった。僕にとって東浩紀はTwitterの象徴だった。僕の青春は東浩紀とともにあり、東浩紀のいるTwitterとともにあった。 ◾︎アカウ

    「さようなら、日本」と書く日のこと|樋口恭介|note
  • さようなら、Twitter|樋口恭介|note

    僕の好きだったTwitterはもうない。 趣味の合う人や話の合う人同士でタムロし、友達と話しているうちに友達友達が話に加わり、友達が増えていく空間はもうない。そう言うとまた、「だから何だ? それがどうした?」と言うやつが現れるだろう。「嫌なのか? だったらお前がここから出ていけばいいだけだ」と。たしかにそのとおりだ。この記事はなんでもない、ただの愚痴だ。そして焦る必要はない、僕はもう出ていく。これはそういう記事だ。 かつて、Twitterは楽しい会話をする場所だった。小説の話や批評の話、映画音楽の話をしていると、「いいね、じゃあこれは知ってる?」と、どんどんいい感じに話が膨らんでいく場所だった。思い返すと当時は一日中ツイッターで話していて、起きてから眠るまでのあいだで100ツイートとか普通にしていた。2000年代の終わり頃、ちょうど10年くらい前のことだ。 でも今はそうではない。今は、

    さようなら、Twitter|樋口恭介|note
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