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「さようなら、日本」と書く日のこと|樋口恭介|note
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「さようなら、日本」と書く日のこと|樋口恭介|note
◾︎やめられないものをやめるのは案外たやすい。 ◾︎何かをやめるために今すぐできること。それは衝動的に... ◾︎やめられないものをやめるのは案外たやすい。 ◾︎何かをやめるために今すぐできること。それは衝動的に結論を先取りし、結論が前提になった世界で、一度小さく死ぬことだ。死んでいるのだから、やめられないという状態がまず存在しない。死んだことを仮定して過ごすのは、実際に死ぬよりもはるかにたやすい。特にSNSの世界では。SNSにおいては、「僕は死にました」と言うことが、そのままその世界での死を意味することになる。 ◾︎昨夜、東浩紀がTwitterから去った。しばらくSNS全般から距離を置くようだ。Facebookのウォール上で、彼は小さな死を宣言していた。 ◾︎これはSNSと小さな死、仮想的な死についてのエッセイだ。 ◾︎東浩紀がTwitterをやめたのは衝撃的だった。僕にとって東浩紀はTwitterの象徴だった。僕の青春は東浩紀とともにあり、東浩紀のいるTwitterとともにあった。 ◾︎アカウ