週末だというのに繁華街には人っ子一人おらず、スーパーの棚という棚からは買占めでカップラーメンが消えた。幹線道路を警察が封鎖して住民の街への出入りを厳しく管理している――。 東日本大震災の被災地の光景ではない。今から8年前、SARS(重症急性呼吸器症候群)が中国を襲ったときの北京の街の様子だ。当時北京に住んでいた筆者はパニックになる人々の姿を間近で目撃した。中国人が恐怖に我を忘れたのは中国政府が流行当初、病気の情報を隠蔽している間に感染が広がったからだ。 中国政府は今でも国内メディアの報道を強く統制している。だがSARSのときは感染の広がるスピードが情報規制を超え、WHO(世界保健機関)を筆頭とする国際世論の要求もあって、不承不承ながら感染に関する情報を公開するようになった。軍病院の医師による患者数隠蔽の内部告発も、中国政府を動かすきっかけになった。 「御用学者、御用ジャーナリストが政府の嘘