生きるのに資格なんていらん。 お前はもう赦されてるから勝手に生きろ、と神は言われた
『人はひとりで死ぬ 「無縁社会」を生きるために』 「無縁社会」。NHKのドキュメンタリー番組のタイトルから派生した言葉が、昨年の新語・流行語大賞トップテンに入った。孤独死など、人と人とのつながりが希薄になりつつある現代を批判的に言い表したフレーズだ。昭和30年代ブームに代表されるような、「有縁社会」であった昭和の日本社会を懐かしむ風潮ともよく合致している。 だが、宗教学者の著者は、この流行に首をかしげる。そもそも無縁社会とは、相互束縛でがんじがらめになった農村の「有縁社会」に対し、日本人自身が都市化と自由を望んだ結果ではなかったか。それは社会の変化による必然であり、嘆くのは不毛である。この先多くの人が一人で死ぬという現実は受け入れるしかなく、そこから思考を始めなければという達観したリアリズムが、本書の基調となる。 興味深いのは巻末だ。著者は「あやうく無縁死になりそうになった経験がある」と、
道徳は大切だけれど、道徳的な人間を生み出そうと思ったときに、道徳だけを教えたのでは片手落ちなのだと思う。道徳というものは、不道徳な「悪い知識」を土台にすることで、初めて堅固な力を持てる。 道徳の効用 理念や道徳というものは、「手続きに従えば簡単に扱える人間」を作る手段として役に立つ。 道徳を、道徳単体として「正しいものだ」と習った人は、道徳的に基づいて何かを促されると逆らえないし、よしんば法律に違反するようなことを命じられても、それが「道徳的なのだ」と強弁されると、高い可能性でそれに従ってくれる。 他人を陥れる方法や、欺瞞を運用して誰かに特定の振る舞いを強要する方法を教わった人は、人を操作するための手続きを見破ることができる。こういう知識を持った人は、運用された道徳から自由でいられて、結果としてたぶん、道徳や理念はどういうものが好ましいのか、自分の頭で考えられる。 どちらの人間がより好まし
外国人埋葬、宗教に配慮を=被災5県に通知−厚労省 外国人埋葬、宗教に配慮を=被災5県に通知−厚労省 厚生労働省は31日、東日本大震災で犠牲となった在留外国人について、宗教に配慮して埋葬方法を選ぶよう宮城、福島、岩手、青森、茨城の5県に通知した。 通知は、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教では火葬を、ヒンズー教では土葬を行うと問題が生じる恐れがあると指摘。外国人の遺体を発見した場合、在京大使館や外務省への連絡を求めた。 厚労省によると、これまで外国人の埋葬をめぐる具体的なトラブルは報告されていないという。(2011/03/31-20:31)
標高がラサより高い街、理塘でチベットの鳥葬を見てきた。順序はまずマニ石を死者の頭上に置いて、立てた杭に首を縛る。服をはぎ取って、体を俯せにする(こうすることで内臓が露呈することはない)。髪の毛をハサミで切り落とし、首の後ろからナイフを立てて頭皮を剥ぐ。次に背中に切込みを入れていく。脚へと移り切込みを入れていく。足裏部分を削ぎ取ってから、足の指の間にナイフで切込みを入れていく。次に腕に切込みを入れ、手指の間に切込みを入れる。死体解体人が死者から離れるとに横に控えているハゲタカがすぐに飛びかかって死肉をほふる。骨だけと化すので、それを石灰の粉を振掛けながら石の上で砕く。(意外にも反響があったので写真を追加しました)
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