タグ

tatemaeとsocietyに関するkenjiro_nのブックマーク (3)

  • エマ・ワトソン演説と「個人的なことは政治的なこと」

    始めに言っておくと、私はエマ・ワトソンは男性側にかなり融和的な方向性取ってるな、と思ってて別にエマワトソンになんら含むところはありません。 ただ、それでもエマ・ワトソンが述べている理屈にも論理的に穴はあると思ってるし全てに賛同できるわけでもありません。 それはフェミニズムでもメンズリブでもなんでもそうだと思いますけど。 「個人的なことは政治的なこと」っていうフェミニズムで重要な役割を果たしてきた言葉があります。 従来、個人的(プライベートパーソナル※指摘あったので修正)なことってのは公的(パブリック)な部分とは完全に分けられていて基的に関係のないことです。 という前提で議論がされていました(1920年代以降の第一波フェミニズムのあたり) 例えば選挙権に関して言うと公的なことなのできちんと女性の権利を向上させよう。 といった具合に。 ところが第二波の辺りからこの点に関して疑義が呈されるよう

    エマ・ワトソン演説と「個人的なことは政治的なこと」
  • ネットには、人間の「ホンネ」なんて書かれていない。 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:批判コメントが私にもたらしたもの - せんえつながら このエントリを読んで、僕はずっと前の、個人サイトをはじめた頃の自分のことを思いだしていました。 そうそう、あの頃は、「ネットでは、みんなホンネで真っ向から批判してくれるのだな」と驚いていたなあ、って。 2013年6月26日の『怒り新党』で、マツコ・デラックスさんが、こんな話をしていました。 「だから私がネットは嫌いだ、って言っているのはそこよ。 目の前に人がいないから、相当なことを書いてるじゃない。 「それお前の当に真意なのか?」っていうさ。 自分の思ったことを、さらに悪くして書いたり、とか。 怖いのよやっぱり、あれ。 私ね、ネットで何を書いてもいいと思うのよ。 それを、参考にしてしまうほうがいけないと思う。 要は今、たとえばテレビ番組ひとつ作るとしても、ネットでどんな評判だったとか、Twitterでどんな書き込みがあった

    ネットには、人間の「ホンネ」なんて書かれていない。 - いつか電池がきれるまで
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2013/10/20
    "口頭の会話で矢口真里さんの浮気を悪く言う人はいなかった"というのは自説への誘導のようで賛成はできない。ともかく本音とwebでのものの言い方に対する認識の一つとして。
  • diary

    昨年6月29日、早稲田大学の大隈講堂で右派系サークルの主催で「迫り来る国家解体の危機 外国人参政権と人権擁護法案」というタイトルの講演会が開かれた。会場は学生というよりはるか年上の年配者も多く見られたが、閑散とした感じだった。招かれたのは日大学の百地章教授で、外国人参政権について「百害あって一利なし」などの持論をとうとうと述べたあと、早大生から「具体的にどんな危険が起きるか」と尋ねられると、次のように答えていた。 「日常的にはあまり問題ないかもしれない」 要するに、反対派の重鎮と見られる同人においても、たとえ外国人地方参政権が認められる社会になったとしても、日常的にはたいした問題にはならないとの認識を持っていることが明らかになったわけだった。一方で、同人が“御用学者”としてふるまっている日会議などの極右団体では、永住者(=納税義務を果たし、犯罪を犯していない滞日10年以上の外国籍住民)

    kenjiro_n
    kenjiro_n 2010/02/05
    タイトルにあるのは右寄りの論客の方。遅ればせながらようやく外国人参政権の是非について理解がいった。というかそっちの人って非常時には云々、って設定が好きなんだねぇ、というのを再確認した話。
  • 1