羽柴秀吉は関白になって豊臣秀吉を名のるようになり、天下人としての地位を手に入れました。 秀吉は元々は低い身分の出で、そこに至るまでの過程で何度も名前を変えています。 この文章では、秀吉の名前の変化とともに訪れた、彼の出世の道のりについて書いてみます。 【異例の出世を遂げ、何度も名前を変えた豊臣秀吉の肖像画】 幼名は日吉丸?秀吉は1537年の生まれで、幼名は日吉丸だったと言われています。 しかしどこで生まれたのか、父や母は誰だったのかについては諸説あり、どれが真実なのかは誰にもわかりません。 関白という尊貴な身分になりながら、その素性が定かでないというのは異常なことです。 秀吉自身が明らかにしなかったことからして、人に誇れるような出自でなかったのは確かでしょう。 広く知られている説では、尾張国(愛知県)中村郷の出身だったとされています。 父は足軽(兵士)をしていた木下弥右衛門で、母は「なか」