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2017年8月29日のブックマーク (2件)

  • 応仁の乱と戦国時代の始まりについて

    応仁の乱は1467年から1477年まで、11年もの長きに渡って続いた内戦です。 室町幕府の将軍家と守護大名、そして朝廷の公家と皇族までもが東軍と西軍に別れて抗争を繰り広げました。 乱が発生した直接の契機は、実力者の細川勝元と山名宗全が対立したことにあり、両陣営に様々な勢力が参加していったことで、収拾のつかない事態となりました。 この時代は政治の中枢を担うべき将軍の権威が、著しく低下していった時期にあたっており、そのために家臣たちの争いを鎮めることができず、内乱が発生したのです。 そしてこの乱の結果、幕府や朝廷の統制力が低下し、地方で独立割拠するものが次々と現れ、いわゆる戦国時代が訪れることになりました。 この文章では、応仁の乱の経緯や、当時の社会の変動の様子について、書いてみようと思います。 【応仁の乱発生時の将軍・足利義政の肖像画】 不安定な将軍の権力室町幕府はその発祥の頃から、足利将軍

    応仁の乱と戦国時代の始まりについて
    kenjou
    kenjou 2017/08/29
    応仁の乱について書きました。
  • 「最後の将軍」(著:司馬遼太郎)の感想・レビュー

    「最後の将軍」はタイトルの通り、徳川幕府の最後の将軍となった、徳川慶喜(よしのぶ)を主人公とした小説です。 徳川慶喜と言えば、大政奉還によって統治権を朝廷に返還したことと、新政府軍の追討を受けた際に、徹底して降伏・恭順の意を明らかにし、江戸が戦火にまみれることを回避した事跡が知られています。 平和的に政権交代を行ったことが称賛される一方で、将軍でありながら、幕府を守ろうとしなかった惰弱な人物であると見なされるむきもありました。 この小説によると、そもそも慶喜は水戸藩主・徳川斉昭(なりあき)の子だったのですが、この斉昭も水戸藩も幕府から嫌われており、その煽りをうけて、慶喜もまた、幕閣や大奥から嫌悪されていたのだそうです。 水戸藩というのは、いわゆる御三家のうちの一家で、幕府の開祖・徳川家康の子孫が藩主を務める家柄です。 このため、水戸藩主は幕府を補佐する立場にあり、幕府とは良好な関係を保って

    「最後の将軍」(著:司馬遼太郎)の感想・レビュー
    kenjou
    kenjou 2017/08/29
    書きました。