ブックマーク / d.hatena.ne.jp/mellowmymind (7)

  • いつまでもかわいくいたいわたしたち - Mellow My Mind

    女性全般のことを「女子」っていうのってもうすっかりあたりまえになったけど、10年15年ぐらい前はもっとフックのある言葉だったよねえ。「女子」なんて言い方、学校ぐらいでしか使わなかった。それをあえて成人した女性に対して使う新鮮さや諧謔心、みたいなニュアンスが、たしかにあったはずなんだよね。でも今はすっかり「女」「女性」という言葉の生々しさをぼやかすための言葉になりかわって、すっかり定着しちゃいましたね。あと今、女性誌見ると「大人かわいい」ってフレーズをやたらと見かけないすか? Over30対象の雑誌でよく見かけるような気がします。これもよく考えると、必要に迫られて生まれたわりと切実な言葉だ。もういい歳なんだという自覚はさすがにしなきゃいけないと気づいているから「大人」、でもいつまでも少女のつもりでいたいから「かわいい」。思いっきり引き裂かれてる30代の気持ちそのままじゃないですか。「女子」「

    kennak
    kennak 2009/04/30
  • 奪われたものはなんですか - Mellow My Mind

    なにももっていない自分と向き合うのがイヤな人は、奪われたふりをするのが得意です。「はじめからなにもないんじゃなくて、当はたくさんあるはずだったのに奪われた。 なにかをたくさんもっている自分が当で、今の自分は不当におとしめられているだけだ」そうして、まぼろしの「当の自分」を夢想して時間をいつぶすわけです。なにももっていない自分に気づいて受け入れた人は、そこからでも時間をかけて積み重ねていけば、なにかを育てることができる。やがてはなにかをもった人になることもできるかもしれない。一方、奪われたふりをしている人は、自分ではなにも積み重ねず、まぼろしの収奪者からの奪還を叫ぶだけで、自分の時間をすっかり止めてしまいます。奪われたふりをする人はよく「大人(あるいは世間とかそんなようなもの)は自分に○○をしてくれなかった」という話法でいかに自分が被害者であるかを語ります。そして被害者顔をして時間を

    kennak
    kennak 2008/06/04
  • 「プチ哲学」と「結果と過程」と「奪わない」ということ - Mellow My Mind

    いまは亡きオリーブで、佐藤雅彦さんの「プチ哲学」という連載がありました。見開きの2ページに、ちょっとだけ考えさせられるテーマと、そのテーマにあわせたかわいらしいイラストやマンガと解説の文章が載っていて、毎回とてもわかりやすくものの見方を教えてくれていました。のちに単行化して、文庫化もしたので、けっこう有名だと思います。その中にいまでもたびたび思い出すマンガがあります。杖を持った神様と、神様にお願いをしているカエルがいる。カエル「あこがれのケロ子ちゃんと一生を添い遂げたいのです。」神様 「よし、叶えてやろう。」    トン(杖をつく)カエル モクモク(煙に包まれる)年老いて腰の曲がったカエルとケロ子ちゃんの姿。カエル「そうじゃなくって…」杖を持った神様と、神様にお願いをしている子ざるがいる。子ざる「一度でいいからバナナをおなかいっぱいべてみたいのです。」神様 「よし叶えてやる。」    

    kennak
    kennak 2008/01/08
    ちょww神様ww
  • さびしさの運用について - Mellow My Mind

    「このさびしさをどしたらいいの」ということを延々考えて、人生単位で見てもそれはそれは長い時間を浪費しました。その中でまず気付いたことは「人はさびしいとおかしくなる」ということでした。ひっくり返すと、人がおかしなことやってるときは、だいたいさびしいんだよな。さびしさを動機にして人や自分を裁いても、よけいさびしくなるばかり。なにかを裁くということはなにかを切り捨てることだ。一度切り捨てられたものは時間が止まってしまう。もうそこからは何もうまれないのでした。さびしいのに、いろんなものをどんどん切り捨てて、自分さえも許せなくなって、狭く、小さく、よけいさびしさを募らせるばかり。おかしなことだ。さびしさとは無縁に見える、幸福そうなあの人と、わたしは何が違うんだろう。考えればなにもかも違うように見えたし、でも当のところはどこがどう違うのかよくわからない。ただ、自分がさびしさにふりまわされていることだ

    kennak
    kennak 2007/09/06
    さびしい さびしがってる自分 さびしがってる時 を認める
  • 世界を再解釈するガイドライン - Mellow My Mind

    ■[旗][mind]世界を再解釈するガイドライン 自分がちょうど1年前に書いた文章がありまして、一部引用。 そして「優しさ」に話を戻す。「優しいものに人は吸い寄せられる」、これはまあ、考えてみりゃ当たり前のことのように思えます。みんな厳しいものより優しいものが好きにきまっていよう。しかしだね、タナカカツキは、赤塚不二夫やハードロックの人という、およそ一般的な「優しい」イメージとは結びつかないようなものから「優しさ」を見いだした。つまり、これは、こういうことなのですね。 「人が吸い寄せられるものは、優しい」 順序を入れかえて言いなおしただけのように見えますが、これはなかなかすごいことだ。一見、はたからみて「優しさ」とはあんまり関係なさそうなものでも、人が吸い寄せられ、ひきつけられているならば、そこには必ず「優しさ」があるのだと考えてみよ。主体の行為や意志そのものにかかわらず、もうそこにすでに

    kennak
    kennak 2007/08/07
    物語とは、人間の悲しいまでの意味の病
  • Mellow My Mind - 「『あまえる』ということについて」を読んで

    「人はさびしいとおかしくなるネ」「人は自己欺瞞をかかえているとおかしくなるネ」「てゆか人がおかしくなる状況ってほとんどこの2つの複合技だよネ」なんてことを30年以上ぼんやり生きてきてなんとなく理解するに至りまして、さてそれでは自分のおかしいところをどうやってほどいていったらいいんだべ、とか思ったりしてるわけですが、たまたま手に取ったこのの一番最後に載っていた文章を読んでたいへんな衝撃をうけました。日語ということば (Little Selectionsあなたのための小さな物語)作者: 赤木かん子出版社/メーカー: ポプラ社発売日: 2002/05メディア: 単行このシリーズは、赤木かん子さんがテーマに合わせて、古今東西の名文家によって描かれたいろいろな短編を選んでまとめたものです*1。わたしが最も衝撃を受けたのは、「『あまえる』ということについて」という、筆者が幼い頃の思い出を重ねて宮

    kennak
    kennak 2007/05/17
    認めるという過程
  • 恋とはいったいなんじゃろか・2 - Mellow My Mind

    ■[mind]恋とはいったいなんじゃろか・2 (すげえ長いからヒマなときに読むといいよ……) 世の中にはどうしてもダメ人間とばかり恋に落ちてしまいがちな人というのがいるものです。しかしそういう人とて、「ダメ人間発見! しゅてき〜(はぁと)」と恋に落ちるわけではないのであり、繊細で感受性も才能も豊かで一見まともに思えた魅力的だと感じた人が、つき合ってみるとダメ人間でした、がっくし、というのがだいたいのパターンだと思います。この手のダメ惹かれタイプの人は、そういう恋を繰り返すあまりに、しまいにゃ「繊細で感受性が豊かで非凡な人間は、傷つきやすくて、この世の中では生きづらいから、ダメ人間なのは仕方ないのかしら……」とあきらめだしたり、「ダメ人間だけど面白くて魅力的 or しっかりしてるけど鈍感でつまらない」の二者択一しかないんだろうかと悩み出したりします。 かように、繊細で感受性が豊かで非凡な人は

    kennak
    kennak 2006/02/27
    そういう人にはどうすればいいんだろうか・・・
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