他人の容姿を揶揄してはいけない社会、キモイ奴の隣の席になって泣き出す生徒をちゃんと処せるんだろうか。だったら納得するし賛同する。
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インターネットの悪いところの1つとして、「できない人」の声が大きくなるところがある。「要領よくできる人」「コミュニケーションがうまい人」「なんだか楽しそうにしている人」のことを、そうじゃない人が「自分はできないけど」と自虐含みでバカにする。羨ましさが反転して攻撃になる。 たとえば発達障害なら、発達障害ではない人のことを「定型発達」「健常者」などと言い、「定型発達」の生きやすさと発達障害の生きづらさを言い連ね、「定型発達」の人々が非常に無神経であるかのようにまとめる。しかしかなり言いがかり的なものもあるというか、「定型発達、そんなスーパーマンじゃねえから…」と言いたくなるようなこともある。人間、だいたいグラデーションだ。 今日はその手のツイートを目にしてクワーッとなってしまった(リンクは貼らない)。で、クワーッとなったのを抑えるために、オードリー若林正恭の「完全版 社会人大学人見知り学部卒業
タイトルを見た瞬間私の中のインターネットの心が「お金のことを考えたくないって言ってるじゃん!!!」と叫びます。でもマジで一回勉強するともう考えなくてよくなるから! オモコロのPR記事がめっちゃよくて、私はこれまで30年近くを「だらしない派」として過ごしており、これは性格なんだよな…と思っていました。この記事に書いてあるだらしないエピソードをほぼ全部体験しています(最後のエピソード以外)。 読んでるとメチャ元気が出る(時々はしごを外されてニャーンとなる) でもお金への「???」みたいな感じ、ある日突然霧が晴れるみたいになるのでそこまで頑張って生きよう / “【徹底討論】あなたはどっち?お金関係だらしない派vsしっかりしてる派 | オモコロ” https://t.co/UMmIXmlYDC — 青柳美帆子 (@ao8l22) 2021年3月5日 ちな私も運転免許取れなかった(学生時代払ったけど
イラストレーターの北川ともあきです。 僕は2年半ほど前まで、フリーランスのWEBデザイナー(兼グラフィックデザイナー)として細々と活動していました。 そして2018年の6月ごろ、唐突にイラストレーターを目指し始めました。 イラストレーターを目指そうとしたきっかけは2つあります。1つはWEBデザイナーの仕事で求められるスキルの移り変わりが激しく、「5年後10年後に今学んでいることがどれだけ価値ある技術として残るのかな」と疑問に思ったこと、もう1つは10年ほど前からイラストレーターという職業になんとなく憧れを持つようになっていたことです。 とは言ってもそれまで絵のお仕事はまったくしたことがなく、趣味で絵を描いたりはしていたもののお金をいただけるようなレベルではまったくありませんでした。そういう意味ではほぼゼロからのスタートだったと言えると思います。 この記事では、僕がイラストレーターを目指し始
ちょっと前の話なんだけど、 『SNSのアイコン猫にしてるやつ何なの? 自分を猫だと思い込んで、可愛いって思われたいの? ないわ。』 みたいなことを言ってる増田がいて、(´゚д゚`)ン?ってなった。 というのも、キャラや猫とか自分以外の生き物をアイコンにする人は、 そのキャラが死ぬほど好きだからという理由で、 それを自分のアイコンにしているんじゃないかと なんとなく思っていた。 私はSNSのアイコンを、自分の顔のイラストにしているんだけど、 リアル顔を選んでいる一部の人間の心理は、 自分を良く見せて、かわいい(かっこいい)って思って欲しい という願望があって、あげてるんじゃないかと思っている。 だからこの心理は、最初に増田が言ってた雰囲気の 『アイコンで承認欲求得ようとしてるやつ(笑)』みたいな批判にヒットする。 でも、キャラ・猫なんかを選ぶ人の心理は、それと違って 単純にその生き物への純粋
一般論としてクリエイターが仲間内でブレストをする際、一見してアウトなものも含めて多様なアイディアをテーブルに広げることがそんなにいけないことなのか。 最初からモラルに囚われてしまえばエッジの効いた表現は生まれようもないし、内々の議論が公開されるなら本音で議論などできるはずもない。
※ちょっとだけフェイクを入れてます。衝動的に書いたのでおかしいところもあるかもしれませんが、ご了承ください。 何とも情けないが、これから生きていける自信がない。私は社会不適合者だ。約束の時間には遅れるし、何かすべきことがあってもよく忘れる。そのせいでよく怒られたが、どう頑張っても直せなかった。 ADHDの特性だ。そして私の父もおそらくADHDだ。自身がADHDであることを父に言ったこともあった。すると父はこう言った、「そんなことを言い訳にするな!誰もそんな言い訳を相手にする訳ないだろ!この馬鹿が!」と。それもかなり厳しく叱られた。でもそんなことを言って欲しくて打ち明けたわけではない。そもそも、こちらから打ち明けようと思ったわけではなく、担任経由で父へと伝わっただけの話である。内密な話を勝手に打ち明けた担任も担任だが、父も父だと思う。父は他人のことになると無理解だった。 我が家の家庭環境はか
自分よりプラスに見える人間をまずバカにするやり口、本当に好かない。リア充を叩くのも無理。劣等感を拗らせてはダメ。 インターネットの悪いところの1つとして、「できない人」の声が大きくなるところがある。「要領よくできる人」「コミュニケーションがうまい人」「なんだか楽しそうにしている人」のことを、そうじゃない人が「自分はできないけど」と自虐含みでバカにする。羨ましさが反転して攻撃になる。 たとえば発達障害なら、発達障害ではない人のことを「定型発達」「健常者」などと言い、「定型発達」の生きやすさと発達障害の生きづらさを言い連ね、「定型発達」の人々が非常に無神経であるかのようにまとめる。しかしかなり言いがかり的なものもあるというか、「定型発達、そんなスーパーマンじゃねえから…」と言いたくなるようなこともある。人間、だいたいグラデーションだ。 今日はその手のツイートを目にしてクワーッとなってしまった
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