気分的には昨日の続きです。 昨日の記事を書いていて感じたのだけど、どうして「教員が教えなければ集団は育たない」だとか「アクティブラーニングよりもアクティブティーティングを」だとかいう意見が根深いのだろうか。 自分にとってはよく分からない感覚ではありますが、その背景をダラダラと書きなぐってみよう。 常套句としての「ゆとり教育の失敗」 アクティブラーニングはダメだという人は多くの場合、「ゆとり教育を失敗したのにアクティブラーニングとはけしからん」という意見が多い。まあ、「ゆとり教育」をめぐって散々学校が厳しい目に晒されてきたということはあるので、そのルサンチマンは根深いのかもしれない。 そもそも「ゆとり教育」は失敗しているか ただ、「ゆとり教育」は失敗だったという意見があまりに自明で疑いようのないものであると述べられているけど、そもそも、「ゆとり教育」が失敗だったという根拠は自明ではない。いわ