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ブックマーク / www.chunichi.co.jp (2)

  • 定家が宮仕えにため息 碧南の美術館で日記の一部発見:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)

    小倉百人一首の撰者(せんじゃ)として知られる歌人藤原定家(一一六二~一二四一年)がつづった日記「明月記」の原の一部が愛知県碧南市で見つかった。これまで確認されていなかった記述があり、平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した歴史的な歌人の横顔がうかがえる。 明月記は定家が十八歳から七十四歳までの日記で、宮廷の社会や文化、所感を記した。冷泉家時雨亭文庫(京都市)が原の大部分を所蔵し、二〇〇〇年に国宝に指定された。原から離された断簡(断片)が各地に伝わり、山形、島根各県では県指定文化財となっている。 見つかった断簡は、一四年に碧南市藤井達吉現代美術館に寄贈された「石川三碧(さんぺき)コレクション」に含まれていた。同市浜寺町でみりん醸造「九重味淋(みりん)」を営む石川家の二十五代、三碧(一八四四~一九二三年)が収集した掛け軸や屏風(びょうぶ)など約百点の総称で、寄贈前は江戸時代に建てられた蔵で保

    定家が宮仕えにため息 碧南の美術館で日記の一部発見:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)
    ketaro0809
    ketaro0809 2018/09/15
    “「已昏黒也、日臈雖難堪、改冠帯、戌時許参内(既に真っ暗で、一日中出仕していてしんどいのだが、装束を改めて、午後八時ごろに内裏に参った)」と、夜の参仕への不満をつづっている”
  • 実は「日本軍の爆弾」か 各務原空襲「米軍爆撃」の写真:岐阜:中日新聞(CHUNICHI Web)

    ketaro0809
    ketaro0809 2016/11/02
    ”太平洋戦争末期、米軍が各務原市一帯を空襲したとされる記録写真の一枚が、実は日本軍が米爆撃機B29を狙った瞬間を捉えたものだった可能性が高い”
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