デレクジーカー @DerekDount 体験入部で「キミ太ってるからドラムね」って言われたから入らなかった軽音部の天体観測の演奏が下手すぎて文化祭で失笑起こってたのを越える快感がない 2024-05-07 22:18:05
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デレクジーカー @DerekDount 体験入部で「キミ太ってるからドラムね」って言われたから入らなかった軽音部の天体観測の演奏が下手すぎて文化祭で失笑起こってたのを越える快感がない 2024-05-07 22:18:05
東京・上野の国立西洋美術館で3月12日から企画展『ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?——国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ』が開催されている。同館において初めて現代美術を軸に据えた展覧会であり、同館が現代作家の糧となってきたかを検証するという自省的な問いがテーマとなっている。そのため同館だけではなく、美術館という存在や美術界そのものについて切り込むような作品も並んでいる。企画者で同館主任研究員の新藤淳さんに、企画展の出発点をはじめ、作品や作家から受け取った課題、そして国立西洋美術館の存在意義などを語ってもらった。 ―国立西洋美術館は現代のアーティストを触発してきたのか? という問いが今回の展覧会の主題だったと思います。このような自己言及的なテーマにした理由や背景を、あらためて教えてください。 新藤:国立西洋美術館は主に中世から20世紀前半までの西
司馬遼太郎の時代-歴史と大衆教養主義 (中公新書 2720) 作者:福間 良明 中央公論新社 Amazon 「司馬さんの書かれるものは日本外史とでも呼ぶべき種類の史書ではあるまいか」とは、有吉佐和子の『坂の上の雲』評だ。このように、司馬遼太郎作品はたんなる歴史小説の枠をこえ、一種の教養本として読まれている。司馬作品は物語中にしばしば「余談」がさしはさまれ、そこでは司馬の政治や軍事、世論などへの見解が自在に語られる。こうした特徴は吉川英治や山岡荘八といった、それまでの歴史作家の作品にはないもので、読者の歴史への知的関心をかきたてるものだった。なぜ司馬の「歴史教養本」は時代に求められたのか。『司馬遼太郎の時代 歴史と大衆教養主義』によれば、司馬作品の人気を支えていたのは、昭和50年代に起きた「大衆歴史ブーム」だという。 昭和50年代に司馬作品を愛読していたのはおもに中年男性だが、かれらは教養主
千葉雅也、納富信留、山内志朗、伊藤博明著、斎藤哲也編『哲学史入門Ⅰ 古代ギリシアからルネサンスまで』の本文を特別公開。ありそうでなかった学び直しの決定版!
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