清水寺(京都市東山区)は7日、中近世の天皇や足利尊氏、豊臣秀吉の関連文書が古文書の整理調査で見つかったと発表した。新出資料となる天皇の綸旨15点は、中興の祖・願阿弥ら勧進僧が戦乱で荒れた伽藍復興に寄与し、寺院に定着してゆくさまを示す。 200点近くあった文書群には、京における鉄砲の使用時期を示す三好長慶の禁制のほか、厚い観音信仰で知られた尊氏による土地の寄進状、秀吉が母の病気回復への返礼をつづった書状といった多数の原本が含まれていた。
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清水寺(京都市東山区)は7日、中近世の天皇や足利尊氏、豊臣秀吉の関連文書が古文書の整理調査で見つかったと発表した。新出資料となる天皇の綸旨15点は、中興の祖・願阿弥ら勧進僧が戦乱で荒れた伽藍復興に寄与し、寺院に定着してゆくさまを示す。 200点近くあった文書群には、京における鉄砲の使用時期を示す三好長慶の禁制のほか、厚い観音信仰で知られた尊氏による土地の寄進状、秀吉が母の病気回復への返礼をつづった書状といった多数の原本が含まれていた。
菅義偉首相は、新型コロナウイルスの影響が懸念される東京五輪・パラリンピックの開催可否の基準について、23日の記者会見などで京都新聞社を含む3人の記者から同様の質問をされたが、すべて明確な回答を避けた。自身が基準を持っているかどうかも答えず三たび「スルー」した格好。IOC(国際オリンピック委員会)が決定すると原則論に終始する姿勢に、識者から批判も上がっている。 会見では、まず東京新聞の記者が国民の命を守る立場から、感染状況がどの時点でどんな数値になれば開催するか否か基準を示すべきと質問。首相は「開催はIOCが権限を持っている」と明確な答えを避けた。 続けてジャーナリストの江川紹子さんが「IOCは日本国民の命や健康に責任を持っているものではない」として、中止する場合の判断基準を迫ったが、首相は「IOCがそれぞれの国のオリンピック委員会と協議した上で決定している」と論点をそらした。 首相会見は内
京都府京丹後市丹後町久僧の山中で、地中に埋もれた80体を超えるお地蔵さんの救出作戦が始まった。場所は室町時代まで久僧の人々が住んでいたとされる集落跡。住民らは今夏、数体のお地蔵さんを救い出し、「久僧のルーツがここにある」と一帯の再生を思い描いている。 集落跡の名は「池上千軒」。地元の伝承によると、鎌倉時代に住み始め、南北朝時代には約60戸に広がった。室町時代の1557年に疫病による飢餓と大暴風雨が発生。人々は海沿いの久僧や中浜などに居を移したという。 久僧の地域史などを調べる吉本宏雄さん(80)によると、地蔵群は現在の宇川温泉の約500メートル東に位置する愛宕山麓のため池跡のそばにある。住民は池上千軒を後にした後も周辺の田畑に通い続けた。だが、昭和40年代から田畑が放棄され始め、近年は雑木林になり地蔵も忘れられたという。10年前に調べた時にはため池跡の東に約20体、西に約60体を確認したが
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