Since 2008.3.1 Updated 2011.8.14-16 Updated 2013.1.3 Updated 2016.2.21 Updated 2016.12.3 Updated 2019.2.5-13 Updated 2019.3.30 Updated 2019.8.20 信州上田の住人、和親の随筆集です。 ↓ <読みたい随筆の整理番号をクリックしてください。> 目次
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池田信夫氏の発言で僕がもっとも迷惑だな、と思うことは、彼がアゴラで「最後のリフレ派」と僕のことを書いたこと。これは端的に事実誤認もいいところだけど(ちなみにリフレについてはこのエントリー参照)、さらに僕にとって困るのは、(何度も書いていることですが)僕はいつでもこのブログをやめるつもりでいるわけです。それがいまこの瞬間かもっと先かはわかりませんが、そのときに池田氏の発言を読んだ人とかでひょっとしたら「最後のリフレ派もついにブログを閉じて敗走した」などと思う人もでてくるかもしれません。 それは非常に嫌だ 笑。だもんで、彼がアゴラにああいうことを書いたことで、なんかもう毎日ブログを書くことが意地になってきた側面があります。つまりこのブログが続くのは、逆池田効果ゆえです。悪しからずw。
日本の一部の人々にとっては、経済危機によって「新自由主義」が終わったのだそうだが、そういう人に限って自分が何をいっているのか理解していない。小倉秀夫氏は次のように書く:普通は,「neoliberalism」の訳語だと考えると思うのですが,池田先生は「neoliberalism」という言葉が用いられている英語文献をお読みになったことがないのでしょうか(「neoliberalism」でググっていただければ,おびただしい量のサイトが検出されると思いますが。)。Neoliberalismという言葉が使われるようになった最初はHarvey "A Brief History of Neoliberalism"(2005)で、さかのぼると1996年にメキシコで開かれた「反グローバリズム」集会が最初のようだ。これに対してlibertarianismの最初は1789年。どっちがオリジナルかは議論の余地もない
そういえば,池田先生が次のように述べているそうです。 新自由主義という言葉はlibertarianismの訳語でしょう。これはliberalismという言葉が、アメリカでは「大きな政府」を求める人々をさすようになったため、古典的自由主義をそれとは区別するためにつくられた英語で、新自由主義と訳したのは西山千明氏だそうです。 普通は,「neoliberalism」の訳語だと考えると思うのですが,池田先生は「neoliberalism」という言葉が用いられている英語文献をお読みになったことがないのでしょうか(「neoliberalism」でググっていただければ,おびただしい量のサイトが検出されると思いますが。)。 「libertarianism」を信奉するのであれば,私有財産制を保障する以外の政府の介入を極度に嫌うはずですから(真正のlibertarianは,名誉権もプライバシー権も認めません。
中川元財務相の酩酊、辞任問題について、日本の大手メディアの報道内容と態度があまりにあまりなので、ちょっとまとめておきます。正直言って、中川さんは病気なんだからしかたない(早く治療しなよ)ということですが、マスコミのやり方はさすがに今回はちょっとひどいでしょ、と思うので。 問題1 当事者意識の欠如 一番最初にこの問題を日本のメディアが報道した時、新聞もテレビも「会見に臨んだ中川大臣がろれつが回らない様子であったことを、海外通信社がアップ画像で捉えて世界に配信し、世界各地で波紋が拡がっています。」というニュアンスで報道しました。 これ、なんなの? 「中川大臣が会見で全くろれつが回っておらず、大変な失態を演じました。」でもなく、 「その前日は夜遅くまで某マスコミの記者と、また、会見直前には某新聞社の美人記者と飲んでいて、その結果、記者会見の時間には完全な酩酊状態になっていて、会見がまともに行えま
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