2013年7月20日のブックマーク (5件)

  • えっちしたい気持ち - ひきこもり女子いろいろえっち

    ひまなとき なんども書いちゃう このブログ だってほかには やることないもん 土曜は早朝勤に入れられてる。 入ってなければ、ダリさんと会えたけど。 金曜は夜10時から12時まで補充シフトが入ってた。 夜勤でまたカトリーヌさんが入ってたから(ブルータスをガムボトルで殴ってから一週間)、店長に断ったけど、またありえないぐらいアイスが納品されてくるから検品と納品やって、って言われた。 ほんとにまたありえないぐらい大量に入ってきた。 アイスはベンダーさんが運んできたら、ストップウォッチ押して30分以内にぜんぶ売り場のケースに入れることになってる。 でも、大量すぎたり、レジがお客で混むと30分納品なんてぜったいムリ。 毎日納品されてくるのに、なんで30分以内に売り場に出せないぐらい大量に発注かけるのか、このお店でずっと働いててもぜんぜん私にはわからない。 1日でガリガリ君が2ケースも売れるなんてこと

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    ki-sa
    ki-sa 2013/07/20
  • 麻雀博物館 大ピンチ

    千葉県にある麻雀博物館といえば、世界最高の収蔵品を誇る博物館。その博物館が身売りの危機にあるという。 いや 危機を通り越して、すでに身売り契約が完了したとのウワサも....身売りの理由は、単純に親会社である 竹書房の経営悪化らしい。経営悪化の理由も聞いたが、確認したわけではないので ここでは書かない。 身売りといっても、もちろん土地建物など不動産の話ではない。建物は、もともと房総の海浜近くに建てられた竹 書房の保養施設。もちろん この不動産も売却の対象になっているかも知れないが、そうだとしても竹書房の経営 を支えるほどの資産ではない(と思われ)。身売りの命は、あくまで世界有数の収蔵品。“ウワサ”では、買い手は 中国の某企業集団だとか、売却価格は○億円とか、すでに○億円を受け取ったとか....実際 昨年の末から麻雀博物 館は閉館されているという。 ウワサ通り 売却相手が海外であれば、世界有

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    ki-sa 2013/07/20
  • 1992年1月の「慰安婦」問題報道・3紙比較 - Apeman’s diary

    1992年1月11日以降の朝日、読売、日経各紙の「慰安婦」問題報道を比較してみましょう。池田信夫氏によれば、この日の朝日の記事によって歴史が変わったらしいんですが、考えてみればすべての日人がアカヒ読者というわけでもないので、他紙がどう報じたのかも調べないとまずいですよね? 毎日を省略しているのは、結果がどうであれおそらく歴史修正主義者の関心を惹かないであろうからです。産經新聞がないのは縮刷版がないからで、私のせいじゃありません。記事の扱いの大きさがわかりやすいよう、「慰安婦」関連記事以外の部分はぼかしをかけ明度を落とす処理をしてあります。 (1-1)1992年1月11日、朝日新聞、朝刊、一面 記事の中身についてはこちらをご参照ください。 (1-2)1992年1月11日、朝日新聞、朝刊、社会面 見出しからわかるように記事の焦点は「補償」問題とそれまで日政府がついてきた嘘の2点です。「強制

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    ki-sa
    ki-sa 2013/07/20
  • 弟の結婚生活がおかしなことになっている。

    弟の結婚生活がおかしなことになっている。 たぶん結婚したのが間違いだったような、そういう二人ではある。だけど子供も生まれてるし、間違いだとしてもなんとかうまくやってほしい。 けどそれでうまくやれるなら家庭裁判所とかいらないですよね・・・ ここ数日、頭が煮えている。とにかく吐き出す。 弟は十五年前に私の友人に一目惚れし、その恋はいまだ終わらずに続いてる。 弟は貧相な体格でぼそぼそとうつむき加減に喋る少年だった。いじめられたりはしなかったようだが、クラスでは冷遇されがちで友人は少なかった。 そんな弟が一目惚れをきっかけに体を鍛え始め、ファッション雑誌などを買ってくるようになった。 友人は成績優秀な明るい美少女だったので、少しでもふさわしい男になろうとしたんだと思う。弟の努力は凄かった。 弟は変わった。筋肉がついて体が大きくなったし、表情も変わってよく笑うようになった。他人の目をきちんと見て話が

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    ki-sa
    ki-sa 2013/07/20
  • 祖父の語るところによると

    OGAWA Kandai @grossherzigkeit 「偉大な先人たちは、こんなだらけた日をつくるために戦い、死んでいったんではない」みたいな言説があるけど、そういう危機の時代で祖国のために身を挺した先人が一番つくりたかったのは、それこそ「鼓腹撃壌」の世ですよ。 OGAWA Kandai @grossherzigkeit番となって、またメディアなどで「あの戦争を忘れるな」的な企画が組まれる季節になってきたなあ。ただ気付けば当方の親族間に、戦争の記憶を語れる人はめっきり減ってしまった。 OGAWA Kandai @grossherzigkeit 父方の祖父は旧制中学を出て製鉄所の技工をしていた、まあ当時ではインテリの部類に入れてもいい階層だったが、それが徴兵でニューギニアに放り込まれて地獄を見て、戦後は一貫して日社会党支持だった。アカでも革命家でもなく、ひたすら忠実な「戦後民

    祖父の語るところによると
    ki-sa
    ki-sa 2013/07/20