ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (4)

  • 「ネットユーザーはルサンチマンだからちょっと刺激的なタイトルですぐ炎上するよね」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ネットユーザーは馬鹿だから、ちょっと刺激的なタイトルですぐ騙されるよね | Web担当者Forum http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2008/07/08/3508 IT系の出版社の編集者があつまる飲み会というものがあり、ネット系のメディアが中心になってからもたまに参加している。だいぶ前になるが、その集まりで、こんな発言があった。 「ネットユーザーは馬鹿ばっかりだから、ちょっと刺激的なタイトルをつけたら、すぐ騙されてクリックしちゃうんだよね。」 大手ニュースサイトであっても、記事タイトルの付け方1つでアクセス数は倍どころでなく変わるというのは、よく言われることだ。ユーザーを惹き付ける“良い”タイトルを付ければ、トップページでもクリックされやすくなるし、はてなブックマークなどのソーシャルサイトで取りあげられた場合にも加速度がつきやすくなる。 しかし、良い

    「ネットユーザーはルサンチマンだからちょっと刺激的なタイトルですぐ炎上するよね」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    ki-sa
    ki-sa 2008/07/10
  • 再び、なぜ人は「フレーム問題」に陥らないのか 「陶酔する人工知能たち」 その3 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「運動自体の知覚」 たとえばアナタは椅子に座っている。少し離れたテーブルの上にりんごがおいてある。アナタは「あのりんごを取ろう」と思い、立ち上がり、テーブルまで歩き、りんごを手に取る。ミッション成功である。ここでとても不思議なことは、ミッションを達成するまでにどのように体を使い立ち上がり、二足で前進し、手を動かしてりんごを取ったのか「知らない」ということだ。アナタが知っているのは「あのりんごを取ろう」と思い、見事に取ったことだけである。 人にとってこれらの一連の動作は考えるまでもないとても簡単なことであるが、もしこれら一連の動作ができる人間型ロボットをつくろうと考えたとき、これら動作の難解さがわかる。「立ち上がる」「歩く」「掴む」、それぞれが先端のロボット研究のテーマとなっているような高度な制御技術が必要となる。現時点で一連の動作が行えるロボットを制作することはとても困難だろう。 このよう

    再び、なぜ人は「フレーム問題」に陥らないのか 「陶酔する人工知能たち」 その3 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    ki-sa
    ki-sa 2008/05/29
  • なぜ人は人工知能化するのか  「陶酔する人工知能たち」その1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜ人は「フレーム問題」に陥らないのか 人が世界と関わる二つの方法、認知と行為とはどのようなものだろうか。そのわかりやすい例が人工知能の「フレーム問題」だろう。人工知能にチェスのような「閉じた」ゲームを遂行させれば、計算によって最適解を求めながら遂行するだろう。しかしたとえば有名なダニエル・デネットの「フレーム問題の寓話」のような「開放系」の状況では、その過程で起こる場面(フレーム)が無限に考えられるために計算を収束させることができず、フリーズしてしまう。これを「フレーム問題」という。 「フレーム問題の寓話」 http://www.johf.com/logs/20070422b.html 昔、R1という名のロボットがいた。ある日、R1の開発者たちは予備バッテリーを別の部屋に隠して、その部屋に時限爆弾を仕掛け、まもなく爆発するようにセットした。R1は部屋をつきとめ、バッテリー回収作戦を立案し

    なぜ人は人工知能化するのか  「陶酔する人工知能たち」その1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    ki-sa
    ki-sa 2008/05/22
  • なぜオタクはニコニコ動画を語れないのか 「ネット動画時代の芸術作品」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜマンガは子供が見るものなのか マンガは子供が見るものと言われてきた。日のようなマンガによる多様な表現が行われるマンガ先進国でも、まだまだそのような考えは根強い。 なぜマンガは子供が見るものなのだろうか。簡単に言えば、実写に比べて画像表現のリアリティに欠けるからだろう。カメラが写すだけでは、光の情報しかない。人が「見る」ということは、「〜として見る」というように能動的に解釈することが必要である。 マンガは必要な情報だけを抜き出し、デフォルメされて書かれる。だから写真を見る場合には一から解釈する必要があるのに対して、マンガはすでに解釈されて提供される。(実際は写真もなにを写すというような解釈が含まれている。) 社会性が未熟な子供に対してマンガは、かわいいものはかわいく、怖いものは怖く、描くことで理解しやすいように噛み砕いて提供してあげる。その中で子供は社会的な解釈の共通基盤を学んでゆく。

    なぜオタクはニコニコ動画を語れないのか 「ネット動画時代の芸術作品」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    ki-sa
    ki-sa 2008/05/14
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