ブックマーク / webgenron.com (4)

  • 【 #ゲンロン友の声|020 】音楽やスポーツはどのように社会と共存すべきでしょうか

    はじめまして。いつもシラスなど興味深く拝見させていただいております。 質問なのですが、音楽,スポーツはどのように社会と共存していくべきなのでしょうか? これまでのコロナ禍では、フェスやスポーツ観戦などのイベントが中止や実施方法の見直しが行われています。主催者や出演者なども今は我慢の時だからと異論はあまり唱えられていなかったと思います。 音楽やスポーツなどの娯楽が人生に幸福をもたらすものであるということはわかっているのですが、同時に、それらは突き詰めれば人間の生命活動にとっては不要なものに分類されるとも考えています。とすると,いつまでも再開を主張しないままでは音楽やスポーツは忘れ去られるか縮小していくのではないかと思います。 他方、その必要性を声高に主張した場合には、社会から「危機的状況なのにわがまま言うな」というような反応があり、明示的に排除される可能性もありえたと思います。 このような時

    【 #ゲンロン友の声|020 】音楽やスポーツはどのように社会と共存すべきでしょうか
    kigenyosi
    kigenyosi 2021/09/05
    “けれども音楽やスポーツの可能性(それはときに危険性にもなるのですが)は、そんな友と敵の境界を、一時的な幻想ではあれ消してみせてくれることにもある。”
  • 【 #ゲンロン友の声|009 】大切なものを子供に伝えようとするのは傲慢でしょうか

    先日の、2020年前半めった斬り!時事放談にて、質問に答えてい頂いた介護士です。全体と個別の命法を切り離し、個別で判断していくタフさを持てるように積み重ねていきたいと思います。ありがとうございました。 東さんのご意見を頂きたく投稿します。 私は、「悪の愚かさが伝わる」ことと「生き延びる=死んでも受け継がれていく」ことは、とても近い部分があるのではないかと思っていて、一方ではそのためには私の仕事のような関係性の人間(介護の仕事に限らず)が役に立っているのではないかと考えています。しかし他方で、それは傲慢な考えではないのか、と疑問もあります。 老人ホームには様々な方がいますが、特に、ろくでもない親である高齢者とそのご家族との関わりを持つ中で、そのように感じることがあります。 15年ほどの私の経験の中でも少ない例ではありますが、「加害者の親と被害者の子供」に見えていた関係が、許す許されるではなく

    【 #ゲンロン友の声|009 】大切なものを子供に伝えようとするのは傲慢でしょうか
    kigenyosi
    kigenyosi 2020/08/14
    “ぼくたちは、嘘をつくことでしか、いいかえれば現実を虚構にすることでしか、ある種の真実を語ることができない。/そもそも人間のコミュニケーションとはそのようなものなのではないかと、ぼくは思うのです。”
  • 自由への運動は「他者」との出会いからはじまる ――「コロナ時代に政治的自由は可能なのか? 革命家・外山恒一×批評家・東浩紀 電撃対談!」イベントレポート(下)|ゲンロン編集部

    2020年5月10日。ゲンロンカフェで行われた革命家・外山恒一と批評家・東浩紀の対談は異例の展開を迎えていた。第1部の最後で外山と東が、画面の外の視聴者に向かってこう呼びかけたのだ。 「僕たちと議論したい人がいれば来てください。一般人でもいいです」 カフェイベントとしては異例の展開である。蓋を開けてみると、第2部が始まってゲンロンの会場にやってきたのは、20代らしき若者数人。一部は外山が主催するセミナーの受講生であり、第1部の放送を見て、仲間とともに呼びかけに応じてやってきたのだという。 こうして波乱の予感で幕を開けた外山×東の対談第2部。今回はその模様をお届けしよう。 ※イベント 第1部の模様は、Vimeoにてご視聴いただけます。ぜひお楽しみください。(ゲンロン編集部) 運動とは「不動産」の問題であり、革命とは「実効支配地域」を作ることだ 第2部が始まって数十分でカフェに到着した若者た

    自由への運動は「他者」との出会いからはじまる ――「コロナ時代に政治的自由は可能なのか? 革命家・外山恒一×批評家・東浩紀 電撃対談!」イベントレポート(下)|ゲンロン編集部
    kigenyosi
    kigenyosi 2020/05/27
    “「他者と出会い続けることによってしか自由な空間は生まれない」”
  • 自由への運動は「他者」との出会いからはじまる ──「コロナ時代に政治的自由は可能なのか? 革命家・外山恒一×批評家・東浩紀 電撃対談!」イベントレポート(上)|ゲンロン編集部

    2020年5月10日、ゲンロンカフェには静かな緊張感が漂っていた。この日、革命家・外山恒一と東浩紀が初対面した。 都知事選での過激な演説、アメリカ大統領選挙への立候補など、他の追随を許さない独自の活動で知られてきた外山。若手批評家として文壇にデビュー、数多くの著作を世に送り出し、ゲンロンを10年にわたって維持してきた東。1970年生まれの外山と1971年生まれの東は、ほぼ同年代である。 まったく異なるキャリアと立場を築いてきた2人が、このコロナ騒動下にどのような対話を繰り広げるのか。今回は7時間半に及ぶ白熱したイベントの模様をお届けする。 ※イベント 第1部の模様は、Vimeoにてご視聴いただけます。ぜひお楽しみください。(ゲンロン編集部) 同調圧力に抗って イベントが始まった。じつはこの対談は、外山からのオファーによって急遽実現した。さっそくその理由を外山が語り始める。その来歴からは想

    自由への運動は「他者」との出会いからはじまる ──「コロナ時代に政治的自由は可能なのか? 革命家・外山恒一×批評家・東浩紀 電撃対談!」イベントレポート(上)|ゲンロン編集部
    kigenyosi
    kigenyosi 2020/05/27
    “SNSなどで不用意に表面化することになった「人民の声」による同調圧力こそ、政府よりも法よりも恐ろしい自由の敵なのだ”
  • 1