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ブックマーク / narasige.hatenablog.com (34)

  • 「関心領域」みたいな色の写真(1950年の日本) - 佐藤いぬこのブログ

    映画「関心領域」は、褪色したような明るい色彩(と叫び声)が印象的でしたね。 bunshun.jp 実は「関心領域」に似た明るい色彩が、 戦後間もない日にもあったのです。駐留軍の家庭に…。 今回紹介するのは1950年前後の仙台とその周辺を撮影した、ある一家です。(※すべてもとからカラー写真。経年変化で暗くなってしまった写真などは、明るさを調整しています) ▽たとえばコチラ。ちょっと「関心領域」のワンシーン風ですが、看板は日語。https://www.flickr.com/photos/norb_faye_lang/3863003143 ▽キャプションに[Kawauchi tract]とあります。Kawauchiは、現在の東北大学・川内キャンパス該当すると思われる。 ▽ここのウチのお父さんお母さんのようです。 ▽日なのだな ▽戦勝国の少女がふつうの服を着ているだけで、輝いてしまうケース

    「関心領域」みたいな色の写真(1950年の日本) - 佐藤いぬこのブログ
    kiku72
    kiku72 2024/07/28
    “実は「関心領域」に似た明るい色彩が、 戦後間もない時期の日本にも存在したのです、 駐留軍の家庭に…。”
  • 【国難突破】笑いのパワー(昭和8年の雑誌付録より) - 佐藤いぬこのブログ

    「笑いで健康づくり推進条例」のニュースが流れてきましたね。このニュースで思い出したのが、昭和初期に発行された「笑い」をテーマにした雑誌付録です。 www3.nhk.or.jp 今、私の手もとにあるのは、昭和8年・新潮社の『笑いの日』と、昭和11年・講談社の『トテモ愉快な絵読』。どちらも人気マンガ家や著名人をぜいたくに起用しています。 「うっとうしい国難」を笑いとばそう しかしこれらの雑誌付録は、表紙から連想されるような“古きよき昭和の、ノンビリした笑い”という感じじゃないんですよ。「笑い」の陰に、焦りみたいなものがただよっている。 ▽福々しい表紙 今回は、昭和8年8月の『笑ひの日』(新潮社)をメインに紹介しましょう。ちなみにこの年の3月、日は国際連盟の脱退を通告しています。 ▽「笑へ!大いに笑へ!」と、圧の強い前書き。 笑へ!大いに笑へ!今の日に1番必要なものは、朗らかな笑ひだ。

    【国難突破】笑いのパワー(昭和8年の雑誌付録より) - 佐藤いぬこのブログ
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    kiku72 2024/07/20
    “昭和8年の冊子『笑ひの日本』をメインに紹介しましょう。ちなみにこの年の3月、日本は国際連盟の脱退を通告”
  • 昭和の「すわり方」(1965年の『ミセス』から) - 佐藤いぬこのブログ

    1965年(昭和40)の『ミセス』で、不思議な特集を見かけました。ゴージャスな美女たちが、微妙な横座りしているのです。 タイトルは「すわるのが好きなミセス」で、スカートの広い服を紹介しています。 若いころはすわるのが苦手でしたが、近頃は腰かけるよりすわったほうが楽だし、くつろげるのでどこにもすわりこんでしまうようになりました。そのしぐさ女らしくて、かわいいとかでハズもわたくしのすわり好きをいやがらないのよいことに、家庭は全部すわってらくな形にしてしまいました。 …ちょっと何をいっているのかわからない文です。 まず「すわる」の定義がわからないし、「若いころはすわるのが苦手でしたが、近頃は腰かけるよりすわったほうが楽」というのが、ナゾ。 つまり椅子に「腰かける」より、床(?)に「すわる」方が楽ということでしょうか。今の感覚だと、[年齢とともにヒザに問題が出て、イスに腰かけた方が楽]ということに

    昭和の「すわり方」(1965年の『ミセス』から) - 佐藤いぬこのブログ
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    kiku72 2024/07/07
  • デザイナーと戦時中 - 佐藤いぬこのブログ

    創業時の 「マガジンハウス」が、どんな感じだったかご存知でしょうか? マガジンハウス(平凡出版)は、なんと敗戦の年の暮れに「平凡」創刊号を出しています。すばやい。右上の白っぽい表紙が創刊号。敗戦直後とは思えない可愛さですね。 『大橋正展  暮らしを彩ったグラフィックデザイナーの60年』図録 「平凡」創刊時の可愛い表紙を手がけていた2人を紹介しましょう*1。 題字は、山名文夫。資生堂の美女イラストで知られる、あの山名文夫です。 イラストは、大橋正。たとえばこれは大橋正による明治チョコレート(1955)の広告。たいへんな愛らしさです。 『大橋正展  暮らしを彩ったグラフィックデザイナーの60年』図録 特攻隊とデザイナー 「平凡」の表紙をかざった山名文夫と大橋正は、敗戦直後に初対面…というわけではありません。 実は2人とも、敗戦まで国策宣伝のための集団「報道技術研究会」で働いていたのです。(戦争

    デザイナーと戦時中 - 佐藤いぬこのブログ
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    kiku72 2024/05/20
    “マガジンハウス(平凡出版)は、なんと敗戦の年の暮れにすばやく「平凡」創刊号”
  • チアリーダーの謎 - 佐藤いぬこのブログ

    開発前の「二子玉川」 「二子玉川」といえば、「楽天社や「蔦屋家電」がある華やいだ場所といったイメージですよね。 しかし先日、1964年の刑事ドラマ*1を見ていて驚きました。殺人現場は「二子玉川」の河川敷なのですが、その風景はまるで火星だったのです。 ナレーションも荒涼とした東京の果てを強調するし、二子玉川の地元民(役の俳優)達は、刑事の聞き込みに 「昔からパッとしない土地」 「ふきっさらし」 「渋谷や自由が丘まですぐ行けるから、ここは栄えようがない」 などと冷たく答えている。しかも殺された被害者は「川向こうの芸者」(二子新地のミズテン芸者)*2という設定だったりします。 ▽刑事たちが聞き込みをする「川向こう」=二子新地 ところが、このドラマからたった数年後、国内初の郊外型ショッピングセンター「玉川髙島屋S・C」が華やかに開業(1969)するのでした。 チアリーダーと、玉川高島屋の開業

    チアリーダーの謎 - 佐藤いぬこのブログ
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    kiku72 2024/05/02
    “開高健が書いたモーターショー(1963)も、玉川高島屋のオープン(1969)も、敗戦から四半世紀たっていない”
  • 満洲とエーゲ海【芸術家・池田満寿夫】 - 佐藤いぬこのブログ

    『池田満寿夫 20年の全貌』 美術出版社1977年 名前に「満洲」が入っている池田満寿夫 森茉莉がエッセイ*1で「上等の庶民芸術家」と絶賛していた池田満寿夫(1934年生まれ)。私が知っている池田満寿夫の情報といえば、 1、モジャモジャ頭 2、エロティックな映画を撮っていた 3、名前に「満洲」が入っている といった程度ですが、今日は【名前に「満洲」が入っている】部分について紹介しましょう。映画『エーゲ海に捧ぐ』で知られる池田満寿夫は、満洲生まれでした。 ▽池田満寿夫とエーゲ海。画像は文春オンラインから 池田満寿夫は「満洲」生まれ、「内蒙古」育ち 池田満寿夫は、1934年(昭和9)、満洲に生まれました。新潮社『満洲 昨日今日』(1985)より池田満寿夫の文章を引用します。 当時、中国東北部が日帝国の介入で満洲と言われていた頃、満洲で生まれた子供に満洲男とつけるのが流行った。私の満寿夫も音は

    満洲とエーゲ海【芸術家・池田満寿夫】 - 佐藤いぬこのブログ
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    kiku72 2024/01/18
    “森茉莉がエッセイ*1で「上等の庶民芸術家」と絶賛していた池田満寿夫(1934年生まれ)”
  • 50年前(1972〜3年)のシニア世代 - 佐藤いぬこのブログ

    先日、50年前(1972〜73)の意外なほど派手な若者たちを紹介しました。 narasige.hatenablog.com 今回は、同時期のシニア世代をごらんください。当時の日人が見逃していたであろう装いを、あるアメリカ人*1が旅行者の目線で大量に撮影していたのです。これはありがたい!以下、1972〜73年の写真です。※すべて元からカラー写真 [tokyo, japan fall 1972]スカーフと、真っ黒に染めた髪。 [streetlife]「風呂敷を背負う」は、皆ある時期までやろうと思えばできたのか? [pedestrians streetlife, candid]背中の風呂敷と、手に持った風呂敷が同じ柄 [japan, 1972]カラフルな割烹着で重労働。1972年は敗戦から28年。この写真には若くして戦争未亡人になった人がいるかもしれません [kyushu, japan, 19

    50年前(1972〜3年)のシニア世代 - 佐藤いぬこのブログ
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    kiku72 2023/12/06
    “あるアメリカ人が旅行者の目線で大量に撮影していたのです。これはありがたい!以下、1972〜73年の東京の写真”
  • 【戦場は君たちを待つ】少年兵募集の雑誌『海軍』 - 佐藤いぬこのブログ

    なかなかツラいを入手しました。少年兵募集に重点を置いた雑誌『海軍』の創刊号です。(昭和19年5月/大日雄弁会講談社)。表紙には「戦場は君たちを待つ」の文字が…… 昭和19年5月『海軍』創刊号(大日雄弁会講談社) 目次を見ると、もはや雑誌というより[海軍省の募集パンフレット]に、小説漫画がのっているイメージです。「海軍省人事局」「大営海軍情報部」をはじめとして、海軍関係者がずらり。 『社史に見る太平洋戦争』によれば、昭和19年講談社は 海軍省後援の『海軍』、陸軍省後援の『若桜』の両誌を創刊した とあります。戦局の悪化でいろいろな雑誌が休刊しまくっている状況で、新たに創刊された雑誌は軍のリクルート系…というわけです。 ▽たとえば『海軍』の中身はこんな感じ。海軍省人事局指導のページ「海軍志願兵になるには」。早わかり! 昭和19年5月『海軍』創刊号(大日雄弁会講談社) ▽巻頭には「想像

    【戦場は君たちを待つ】少年兵募集の雑誌『海軍』 - 佐藤いぬこのブログ
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    kiku72 2023/10/24
    “ツラい本を入手しました。少年兵募集に重点を置いた雑誌『海軍』の創刊号です。(昭和19年5月”
  • 朝鮮戦争と少年たち - 佐藤いぬこのブログ

    最近、SNSで「ジャニー喜多川・朝鮮戦争・少年」というキーワードが流れてきますね。 ▽(例)4年前の美談記事についてのツイート 4年前の記事。ジャニー喜多川氏は朝鮮戦争に派遣されていたが、その地でこんな仕事をしていたとなると…… 「52年に朝鮮半島に派遣された。ここでは、米軍キャンプの外にある児童養護施設で暮らす子どもたちに軍関係の仕事をあっせんし、小遣いを稼がせることもあったという」 https://t.co/jtUhrMW60S — épuisé🧠💭 (@l_epuise) 2023年7月5日 ……このようなタイミングであれですが、今日は朝鮮戦争(1950-53)と少年たちの写真を紹介しましょう。flickrには「グランパやダッドが撮ったKoreaとJapan」的なくくりで、カラー写真が多数アップされているのです。※すべて元からカラー写真。 朝鮮戦争と少年たち [Korea, 19

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    kiku72 2023/07/18
  • 1950年代の成増・朝霞 - 佐藤いぬこのブログ

    グラントハイツ(現・都立光が丘公園)の光景 湿気を感じさせない広い空! 実はこの風景、アメリカじゃなくて、日なんです。しかも時期は1955〜1957年(昭和30~32年)。つまり、昭和33年を舞台にした映画『ALWAYS 三丁目の夕日』よりも前。 先日、1950年代の「グラントハイツ」(米軍の住宅地 。現・都立光が丘公園)や「キャンプドレイク」(朝霞)をご存じの方から、お話をうかがう貴重な機会をいただきました。当時を知る方の言葉はとっても濃厚で、ついていくのがやっと…!というわけで、今日はグラントハイツ周辺の写真を、いまいちど整理してみようと思います。 1955〜1957年、日*1に勤務していたアメリカ人が、成増や朝霞などの風景をネットにあげているのでご紹介しましょう。すべて元からキャプション付き・元からカラー写真です。【Jim's Army Daze ~ 1955 - 1957】 ▽

    1950年代の成増・朝霞 - 佐藤いぬこのブログ
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    kiku72 2023/04/27
    “▽成増の肥桶運搬(1957)。この写真に限らず、アメリカ人は「肥桶(Honey Wagon)」を撮りがち”
  • 【KOREA】子供が子供をおんぶする1950年代 - 佐藤いぬこのブログ

    子供が子供をおんぶする時代(韓国の場合) 1950年代前半、主にアメリカ人によって撮影された日には「子供が子供をおんぶする姿」がたびたび登場します。そしてこの時期、日よりもたくさん撮影されているのは韓国なんです。前に日の子供の「おんぶ写真」をアップしましたが、今回は韓国の写真をご紹介しましょう。 narasige.hatenablog.com ▽1950年代の日韓国うつしたカラー写真が大量に存在する理由は、コチラ。 narasige.hatenablog.com “Korean Children” “Dr. Kims poliklinikk (1952)” “Korean Children, Seoul” “Making cakes, 1952” “Two kids, 1952” “KOREAN GIRL: SEOUL, KOREA; KOREAN WAR” わかりにくいけれど

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    kiku72 2023/04/18
  • 服のお手本はナチスの「流行局」 - 佐藤いぬこのブログ

    戦時中の『婦人画報』を読んでいると、ナチスやヒットラーが肯定的に扱われていてビックリすることがあります。 ▽例えば、記事のタイトルがズバリ「わたしたちのヒットラー」だったり。 narasige.hatenablog.com ナチスの流行局 で、今日ご紹介するのは「ナチスの流行局」関係の記事です。西洋のファッションを真似したくても「米・英」が敵なので、手を同盟国ドイツにもとめたのでしょう。 ▽「ナチスの流行局」の解説。ドイツ語が混ざっているし、正直何をいっているのかよくわからない!(『婦人画報』昭和17年4月号) ナチスのモオデアムト(流行局)は、流行を単に“流行もの”とせず精神の上でも物質的な意味でも、“国粋もの”の方向に進めつつある。 『婦人画報』昭和17年4月号 ドイツは我が国よりも三年早く衣類は切符制になっている。そこでナチスの生活文化部は、女性の物質に対する正しい「眼」の練達に主

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    kiku72 2023/03/23
  • 勝者目線の地図はこんな感じなのか《1945年、アメリカの広告から》 - 佐藤いぬこのブログ

    勝者から見た太平洋の地図 終戦直後のアメリカの雑誌『LIFE』(1945年8月27日号)を見ていたら、思いきり勝者目線の地図がありました。「どうです、戦時中の我が社の活躍ぶりは?」といわんばかりの広告なんですよ。ウェスタン・エレクトリック社という電気機器の会社で、現在は「ノキア」が引きついでいるらしい。 ▽島づたいに迫り来るアメリカ。ミッドウェイ、ガダルカナル、サイパン、硫黄島、そして東京…。東京が、すごろくの「上がり」みたいになってる💦 ▽一部拡大。《Japのホームランド「TOKYO」を爆撃するときも、我が社のデバイスがお役に立ちました》的な。 戦勝ムードあふれる誌面(LIFE 1945年8月27日号) 当然ながら、同じ号の誌面はお祝いムードです。 ▽アメリカ各地の写真 ▽「8月14日午後7時」、大統領が日の降伏を発表。文中、何回も出てくる「Jap」…。 ▽さらに同じ号(「LIFE」

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    kiku72 2023/03/01
  • 【戦時ラブコメ@蒲田】獅子文六『虹の工場』 - 佐藤いぬこのブログ

    戦時ラブコメは、設定がむずかしい 昭和の人気作家・獅子文六の『虹の工場』(新潮社『日の出』昭和15年1〜12月連載)は、いわば戦時ラブコメです。 【巨大軍需工場のお坊ちゃん】と、【町工場の職工】が、ひょんなことから同じ女の子(キャフェの女給)を好きになってしまうお話で、舞台はなんと蒲田。 「え?戦争中にラブコメが成立するの?蒲田で?」と思われるかもしれませんが、これがギリギリのバランスで成立しているのです。連載時の昭和15年は斎藤美奈子さんがいう「戦争初期はイケイケ気分」(『戦火のレシピ』岩波現代文庫)が、まだあったらしい。 もっとも、このバランスはとても微妙で。 “主要人物が(この時点では)出征していない”という大前提があって、ラブコメの形を保っている状態だったりします。 なにしろ、巨大軍需工場の御曹司は「徴兵検査丙種」。彼は「銃をとって、軍国のお役に立ちたくても」それができない超虚弱体

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    kiku72 2023/02/07
  • パステルカラーと、敵対心の醸成【戦時中の婦人雑誌から】 - 佐藤いぬこのブログ

    私は、映画『ミッドサマー』見た時、あまりの恐ろしさに胃が固まってしまいました。映画が胃に“きた”のは、はじめての体験です。 さて、戦時中の「婦人画報」を見ていると、ときどき『ミッドサマー』を感じることがあります。明るい色彩の奥底に、ナゾの理屈がうごめいているあの感じ!以下、昭和17年の「婦人画報」から画像を紹介しましょう。 日米開戦後の「婦人画報」(昭和17)から ▽例えばこれ。一見、おっとりした表紙に見えますよね?でもよく見ると、右上に「米英の 総てを 滅し去れ」って書いてあるんですよ。こんなにパステルカラーなのに!! 『婦人画報』昭和17年12月号 ▽拡大したところ。世界地図を見ている男の子と、「米英の 総てを 滅し去れ」。 『婦人画報』昭和17年12月号 ▽中をめくれば、「米英の強奪」をテーマにした地図があらわれます。なんという気のきいたグラフィック!この時期、ほかの雑誌はみすぼらし

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    kiku72 2023/02/07
  • 翼賛会の花森さん【大政翼賛会と花森安治】 - 佐藤いぬこのブログ

    戦争と宣伝技術者 報道技術研究会の記録』大政翼賛会時代の花森安治 「暮しの手帖」の花森安治。 「資生堂」の山名文夫。 この2人がコラボしたら、ものすごく魅力的な“何か”が誕生するはずですよね、ふつうは。(現在、ふろしきが商品化されています→□) では、彼らのコラボ(?)が戦時中に行われると、何が生まれるのでしょうか。 それを知る手がかりになるのが、『戦争と宣伝技術者 報道技術研究会の記録』(山名文夫・今泉武治・新井静一郎編/1978年/ダヴィッド社)です。 「報道技術研究会」(報研)は 、デザイナー・コピーライターなどの制作集団で、「国家宣伝の高度化と総合化」を目指していました。このから、【大政翼賛会の花森安治】と、【報道技術研究会の山名文夫】の時代を垣間見ることができます。 「おねがひです。隊長殿、あの旗を射たせて下さいッ!」 ▽中はこんな感じ。「大政翼賛会 戦意昂揚ポスター(昭和1

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    kiku72 2023/01/27
    “ 花森安治は、大政翼賛会時代についてかたく口を閉ざしていました。(←って、どの関連本にも書いてある)。なので、『戦争と宣伝技術者 』にも花森安治“本人”は出てきません、残念”
  • 「わたしたちのヒットラー 総統と少女」【昭和17年の女性誌より】 - 佐藤いぬこのブログ

    「わたしたちのヒットラー 総統と少女」 「わたしたちのヒットラー」……びっくりするようなタイトルですが、今日は戦時中の『婦人画報』(昭和17年5月号)を紹介しましょう。 ▽「ヒットラー総統の誕生日に花束を捧げるために、ひしめき合っている少女たち」。ドイツの少女たちが「ヒットラーを渇仰する」のは「ヒットラーの人間的な美しさの現れであろう」などと書かれています💦 『婦人画報』昭和17年5月号 ▽このページは「わたしたちのヒットラー」を3回繰り返しています。催眠術ですか? 子供達はヒットラーが大好きだし、ヒットラーも子供達が大好きである。(略)「わたしたちのヒットラー」少女たちは花束を作って総統に捧げる。すみれの様なやさしい花を…。 『婦人画報』昭和17年5月号 ▽ヒットラーが、少女「スザンネちゃん」を山荘に連れていき、苺ミルクをご馳走したというエピソード。 1933年の夏であった。ベルヒテス

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    kiku72 2023/01/23
  • めでたさとキナ臭さと【昭和11年のお正月漫画から】 - 佐藤いぬこのブログ

    あけましておめでとうごさいます。タモリの発言「新しい戦前」がTwitterで話題ですね。2023年はいったいどんな年になるのでしょうか。 ちょうど手もとに昭和11年(1936)の雑誌があります。大日雄弁会講談社「富士」新年号の豪華附録『トテモ愉快な絵読』。昭和11年のお正月といえば、翌月には二・二六事件が起こる、そんなお正月…。 新年号だけに人気漫画家が大集合しているのですが、いったいどういう気持ちで読んだらいいのか戸惑ってしまう内容でした。今日はその中から何点か紹介しましょう。 「日に生まれたりゃこそ朝酒寝酒」 ▽キュートな絵で知られる前川千帆→□が描くお正月。「日に生まれたりゃこそ朝酒寝酒 何の苦もないふところ手」。まさかこの10年後、焼け野原が待っているとはね! 『トテモ愉快な絵読』大日雄弁会講談社「富士」昭和11年新年号月号附録 ▽上の「日に生まれたりゃこそ 朝酒寝酒

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    kiku72 2023/01/02
  • 50年前(1972〜3年)の若者たち - 佐藤いぬこのブログ

    今日は1972-3年(昭和47-8)の日の若者を紹介しましょう。ちょうど50年前なので、彼らは今、70歳代でしょうか。 その頃の若者ってセピア色じゃなくて、むしろ派手!(人や地域によるだろうけれど)。撮影はアメリカ人Nick DeWolf→☆氏です。 ▽顔をカールでふちどる時代。 ▽小悪魔 ▽政治家になりそう ▽お大事に ▽2022年には見かけない鮮やかさ ▽制服でしょうか。華麗な髪型 ▽伝言板が活躍。「先に行く」「ボアに居る」 ▽清楚✨ ▽山田裕貴さんに似ている… ▽お花の髪飾り ▽ニットっぽい羽織 ▽ホテルマン ▽美人と髪どめ ▽田中真紀子感 ▽ズレに注意(その1) ▽ズレに注意(その2) ▽脱ぐのがたいへんそう ▽ギロッ ▽もてオーラ ▽タートルネックの王子様 ▽モデル?うしろに見えるのは「日劇」=のちの有楽町マリオン(有楽町「日劇」の外観で見る昭和【戦争から「来夢来人」🎶ま

    50年前(1972〜3年)の若者たち - 佐藤いぬこのブログ
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    kiku72 2022/09/22
    “アメリカ人Nick DeWolfさんが撮影した1972年(昭和47)の若者”おれの生まれた年
  • 日比谷公園で国葬をしていた時代 - 佐藤いぬこのブログ

    日比谷公園の国葬風景(東郷平八郎)【昭和9年6月】 いきなり国葬が決まって、モヤモヤしています。 先日、日比谷公園の国葬(東郷平八郎)記事を読めるサイトを見つけたので、参考までにご紹介しますね。日比谷公園といえば、野音やオクトーバーフェスト、鶴の噴水…みたいなイメージですが、かつては国葬が行われる場所でもありました。 ▽これがそのサイト。雑誌をパラパラする感覚で読めます。昭和9年7月の東郷平八郎追悼特集。国葬の記事だけではなく、亡くなる前の見舞客の写真などもビッシリですよ。(雑誌名に一瞬驚くけれど、今、世間で話題になっているのは「日報」。この雑誌は「画報」) archive.org 日比谷公園葬儀場 ▽上記の雑誌より引用してみましょう。こちら昭和9年6月5日の日比谷公園。それこそ、オクトーバーフェストをやっているような場所に、一般人が詰めかけている。 https://archive.org

    日比谷公園で国葬をしていた時代 - 佐藤いぬこのブログ
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    kiku72 2022/07/21
    “。先日、東郷平八郎の国葬記事を読めるサイトを見つけたのでご紹介”