慈悲に関するkikuutanのブックマーク (2)

  • 実践して初めて知る慈悲の限界(聖道の慈悲) - 親鸞に学ぶ幸福論

    【慈悲(1)】 『聖道の慈悲というは、ものを憐れみ愛しみ育むなり』 と歎異抄にあります。 「聖道の慈悲」とは、苦しむ人を憫れみ、悲しみ、育むことです。 つらい目に遭っている人を見て、かわいそうだと悲しくなり、 なんとか助けてあげられないかとやるせない気持ちになる、 その慈悲心が「聖道の慈悲」です。 飢餓や病気、借金、人間関係などの苦悩を除き、 金や物などを施す「人間の慈悲」のことです。 人間はお互い助け合い、励まし合い、生きているのですから、 この慈悲は忘れてはならない、大切な心だと仏教で説かれています。 だが同時にまた、かかる人間の慈悲では 当に助け切ることができないと仏教で説かれており、 それを親鸞聖人は 『しかれども、思うがごとく助け遂ぐること、極めてありがたし』 (しかしながら、どんなに頑張っても、思うように満足に助けきることは、ほとんどありえない) と説かれています。 日のあ

    実践して初めて知る慈悲の限界(聖道の慈悲) - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 仏教が暴露する、人間の慈悲の三つの欠点とは | 生きる意味が分かる親鸞の教え

    こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。 仏教に『慈悲』という言葉があります。 今日では日語になっており、「あの人は慈悲深いよ」「あのやり方は慈悲のかけらもない」などと、いろいろな場面で使われます。 来仏教で『慈悲』とはどんな意味なのでしょうか。 また仏教で説かれる慈悲には三つの欠点があると釈迦は説かれていますが、それはどんなことなのでしょうか。 今回は『慈悲』についてお話ししてまいります。 仏教で「慈」の心、「悲」の心とは 『慈悲』とは、『慈』の心、『悲』の心、ということです。 漢字の造りから見ても、両方とも「心」という字がついていますよね

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