2019年6月15日のブックマーク (1件)

  • 実践して初めて知る慈悲の限界(聖道の慈悲) - 親鸞に学ぶ幸福論

    【慈悲(1)】 『聖道の慈悲というは、ものを憐れみ愛しみ育むなり』 と歎異抄にあります。 「聖道の慈悲」とは、苦しむ人を憫れみ、悲しみ、育むことです。 つらい目に遭っている人を見て、かわいそうだと悲しくなり、 なんとか助けてあげられないかとやるせない気持ちになる、 その慈悲心が「聖道の慈悲」です。 飢餓や病気、借金、人間関係などの苦悩を除き、 金や物などを施す「人間の慈悲」のことです。 人間はお互い助け合い、励まし合い、生きているのですから、 この慈悲は忘れてはならない、大切な心だと仏教で説かれています。 だが同時にまた、かかる人間の慈悲では 当に助け切ることができないと仏教で説かれており、 それを親鸞聖人は 『しかれども、思うがごとく助け遂ぐること、極めてありがたし』 (しかしながら、どんなに頑張っても、思うように満足に助けきることは、ほとんどありえない) と説かれています。 日のあ

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