無常に関するkikuutanのブックマーク (20)

  • ネット上の誹謗中傷の本当に恐ろしいところはここだ - 親鸞に学ぶ幸福論

    【業力(1)】 私がメルマガを書き始めたのが2010年のちょうど今ごろですから、もう10年近くになります。 早いものです。 こうして情報発信を続けていると、さまざまな方から感想、意見をいただきます。 メッセージでくださる方もあれば、 他の方も閲覧できるコメントで送ってこられる方もあり、 その言葉にいつも励まされ、学ばせていただき、 私が発信を続けるモチベーションになっております。 一方で数は少ないですが、中にあからさまな非難中傷のメッセージ、コメントもあります。 それも正鵠を射るご指摘なら耳痛く学ばせていただきますが、 的違いも甚だしいものもあります。 「そういうことではないですよ」と送信者に返信しますが、 文章からして、人としての礼儀を欠くというか、 もし実生活の場でこんな物言いを人にしていたら、 健全な人間関係はおろか、仕事もままならないだろうという文面で送ってくる人もあり、 そういう

    ネット上の誹謗中傷の本当に恐ろしいところはここだ - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 死の縁無量なり。疫病と仏教 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【生死の一大事(3)】 アメリカ、ヨーロッパでの新型コロナウィルスの蔓延が深刻です。 メルケル首相が国民に向けて切迫したメッセージを出しました。 「東西ドイツ統一以来、いいえ、第二次世界大戦以来、我が国においてこれほどまでに一致団結を要する挑戦はなかったのです」 G7首脳による緊急テレビ会議がなされ、 各国の科学者は薬品とワクチンを発見できるよう研究に没頭し、 世界はウィルスという見えない敵に勝利しようと現在死力を尽くしています。 しかしたとえ薬品とワクチンが開発されてこの度の騒動が収束に向かっても、 ウィルスはコロナだけでなく、いったん流行すれば 今日のグローバル化した世界において致命的なダメージをもたらすことは明確になったので、 今後こうなる前にいかにい止めるか、対策が求められます。 さらにいえば世の中に私たちの生命と生活を脅かす深刻な問題はコロナだけではありません。 地球温暖化、世

    死の縁無量なり。疫病と仏教 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • なぜ無差別殺人は起きるのか、衝撃の動機とは - 親鸞に学ぶ幸福論

    【無明(1)】 今日ご紹介するのはある10代の青年の書いた文章ですが、 けっこう毎年のように起きる無差別通り魔事件を起こす若者も こんな気持ちが昂じての犯行だったのではなかろうかとふと思いました。 私も仏教と出会う前はこの青年のような虚無的な思いを確かに抱えていました。 彼の気持ちが分かるところがあります。 以下、その青年の文章です。 ーーーーーーーー 死ぬ理由はないが生きる理由もないし、死のうかなって思ってる。 バイク買おうかなって思ってるけど、お金たまるのにあと三ヶ月はかかるし、 人生は早送りも出来ないし辛気臭いよね。 三ヶ月も面倒だから死のうかなって思ってる。 まぁどうせ死なないのだろうけど。 死ぬより事件を起こすタイプかもしれない。 イラっとして切れてしまいそうになる。 切れる理由もないのだけど。 なんもないんだよね。 なんもないからなんかあまりにもつまんなくて 切れてしまいそうに

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  • 老いにも屈せぬ心の平安をどうやって得るか - 親鸞に学ぶ幸福論

    【老苦(1)】 仏教に教えられた四苦八苦の一つに『老苦』があります。 文字通り老いていく苦しみのことです。 だんだん肌がたるみ、つやを失い、シワが増え、白髪も増え、歩くのもおぼつかなくなり、 自分の体さえ自分で自由にならなくなってくる、そういう苦しみのことです。 お釈迦様は人間の避けられない四つの苦しみの一つに挙げられており、 いつの時代、どこの国であろうと「老苦」を避けることはできないのですが、 中でも人類史上、未曽有の老苦を味わっているのが現在の日、 といっていいのではないかと思います。 お釈迦様のおられた2600年前、当時のインドの平均寿命はわかりませんが、 今から1000年前、平安時代の貴族の平気寿命が男性33歳、女性27歳といわれますから、 お釈迦さまの時代でも同じようなものだったでしょう。 その頃は老苦といっても、老いる前に飢餓や病気や疫病や戦争で命を落としてしまうために、

    老いにも屈せぬ心の平安をどうやって得るか - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 大切なものが大切なものと知らされるとき - 親鸞に学ぶ幸福論

    【無常(1)】 千葉県の長期停電から復旧した人がアップしたツイッターが拡散されています。 「明るい部屋で、エアコンつけて、youtubeで音楽聞きながら見もしないテレビをつけてる。なんて幸せなんだろう」 失って初めてありがたみを知る、といわれますが、 このたびの停電で電気の恩恵を強く知らされた人は多かったようです。 手塚治虫が終戦の八月十五日の夜、街に灯がついているのを見て、 はじめて平和になったのだという気分がこみ上げ、踊り狂わんばかりに陽気になった、 と自伝的マンガに描いていますが、 これも平和が当たり前でなかったあの時代を生きた人しかわからない感情でしょう。 「“今日の晩御飯、何にする?”とが言い、 “そうだな、何がある?”と僕は聞く、 明日も明後日もこんな会話をし続けるものだと思っていた」 という歌詞がありますが、これも心に残ります。 大切なものが大切なものとわからず、 失ってし

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  • 青少年の自殺が問題提起するもの - 親鸞に学ぶ幸福論

    【人身受け難し(2)】 先回に続いて「9月1日問題」をお話しします。 「9月1日問題」とは、一年間でダントツに子供の自殺が多くなる9月1日の子供の危機をいいます。 子供が「死にたい」と言うと、 言われた親は胸のつぶれる思いがします。 つい感情的に「ダメだ」と頭ごなしに言ってしまうものです。 親の気持ちからすると「こんなに大切に育ててきたのに」「こんなに愛してきたのに」と 裏切られたような気持ちになるのでしょう。 それで「とにかくダメだ」と声を荒げてしまうのですが、 この言葉は世の識者によれば、「得策ではない」とのこと。 子供からすると「ダメだ」と言われたら「何でダメなの?」と返してくる。 返さなくても、心で思っている。 自殺がダメなことぐらいは子供も頭では知っているのです。 「自殺はダメだ」と学校でも親からも何度も聞かされますから、子供もダメなことだと言葉では知っています。 家族にも迷惑か

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  • 前世・現世・来世を旅する私 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【三世(1)】 揚子江はチベット高原を水源地とし、 中国大陸を流れ、東シナ海へと注ぐ全長6300kmの大河で、 アジアで最長、世界でも第3位を誇ります。 先日、この揚子江での釣りの様子がテレビで紹介されていました。 揚子江を泳ぐ魚は、自分が大河の中を泳いでいる自覚は毛頭ないですが、 私たち人間もこの揚子江の魚のようなものといえます。 私たちが生まれてから死ぬまでの「人生」を、 仏教では『現在世(現世)』といいます。 それは長くても100年足らずの短い間です。 私たちが認識しているのはこの間だけですが、 お釈迦さまは『現世』に生まれる前、 限りなく生死を繰り返してきた『過去世(前世)』があり、 死んだ後も永遠に生死を続ける『未来世(来世)』があるのだよ、 と説かれており、これを仏教では『三世』といいます。 『三世』とは、『過去世(前世)・現在世(現世)・未来世(来世)』です。 この三世を貫く

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  • 今から思うと、あの「水飲むな」っていう指導法は何だったんだろう - 親鸞に学ぶ幸福論

    【空言たわごと(1)】 今の子供たちは部活動でも 「熱中症には気をつけよう」「こまめに水分を取ろう」 と呼びかけられますが、 私の高校時代の部活動は「練習中、水分を取ってはいけない」とのルールがあり、 このために、特にこの夏の時期、大変苦しまされました。 炎天下、「ファイトファイト~」と声を枯らすまで声を出し、 シャツが汗でびっしょりになっても休憩までは水が飲めない、 私も目がチカチカしてふらっと倒れたことが一回ありますが、 どの部員もそんな経験の一度か二度あり、 これは今なら熱中症の症状と言えるのではないかと思います。 なぜ水を飲んではいけないかというと、 これも今から思うと何の根拠もない話なのですが、 水を飲むと疲れやすくなるから、という理由でした。 気持ち悪くなったり倒れたりするのは、 根性がないから、体力がないからだと言われました。 自分も倒れる者を見てそう思いましたし、 みなそう

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  • 生死の一大事とはどんな意味か、自分とどう関係するのか | 生きる意味が分かる親鸞の教え

  • 死後に私はどうなるのか、仏教の問い - 親鸞に学ぶ幸福論

    【後生の一大事(2)】 「死んだら私はどうなるのか」 この問題を仏教では「後生の一大事」といいます。 この問いに今日どんな答えがなされているか、いくつか挙げてみます。 「今頃あの世で、奥さんと一献傾けているだろう」 このセリフは葬儀の際によく聞きます。 しかしこう話す人は、当にあの世で、 死んだ奥さんと再会して好きな酒を酌み交わすことができる、 と信じて、こう口にしているのでしょうか。 ワインでもビールでもスコッチでも泡盛でも好みの酒で一献傾けられる、 そして好きだった人と再会して、よもやま話に花が咲く、 あの世がそんな自由に振る舞えるところなら結構なことですが、 気でそう確信している人の言葉とはちょっと思えません。 もし好きな人と再会することができるなら、 嫌いだった人とも再会するかもしれませんが、 そういう可能性は考えてもいない。 好きな人とだけ再会できると思っている。 そんな都合

    死後に私はどうなるのか、仏教の問い - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 死んだらどうなるか、後生の一大事の重さを伝えられた親鸞聖人 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【後生の一大事(1)】 「死んだらどうなるんだろう」 こんな問いを考えられた経験はあるでしょうか。 「そんなこと考えたこともないよ」と一笑に付す人もあるでしょうし、 「子供の頃ふと考えた」という人もあるかと思います。 私は小学生の頃、テレビの心霊特集を見たりしてたせいか、 無性に幽霊が怖い時期があって、 その頃は暗いところで寝るのがとても嫌でした。 アコーディオンカーテンで兄の部屋と仕切られた部屋で寝ていたのですが、 中学生の兄が夜更かしして明かりが漏れているとほっとして寝れるのですが、 そうでない真っ暗な部屋で寝なければならない時は、 幽霊が出そうで、怖くて寝れなくなってしまうのです。 それで私は子供心に、なんで自分は幽霊がそんなに怖いんだろう、と自分の心をよく見つめたのですが、 その時出した私の答えは「幽霊にあっちの世界に連れて行かれるのが怖い」でした。 「あっちの世界」とは、死んだ後

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    kikuutan
    kikuutan 2019/07/01
  • あなたは人生100年をどう生きる?|『LIFE SHIFT』と仏教から徹底解説

    こんにちは。小野ひかりです。 人生100年時代と言われるようになりました。 現在の平均寿命は80歳代ですが、これから日に生まれる子供の半数以上は107歳まで生きるだろうと予測されています。 今、30代の私でも、平均寿命は90歳になるとの予測です。 1970年には100歳以上生きる人は1%未満だったというのですから、この半世紀で 劇的に人類の寿命は延びたのがわかります。 幸せなことです。 ・・・・・・と一応は言ってみましたが、実際はどうなんでしょうね。 これから始まる100年時代は、果たして幸福といえるのか、もしかしたら不幸なのかもしれません。 「長寿」「寿命」には「寿(ことぶき)」とあるように、長生きできることは幸福の条件だと人類は信じてきましたが、ここへきてその価値観も揺らいでいます。 金銭面の生活不安、闘病の長期化、介護の苦痛など、長生き時代の不安が新たに生まれてきたからです。 識者

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    kikuutan 2019/06/07
  • 阪神大震災に見る火宅無常の世界 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【火宅無常の世界(2)】 先回「胡蝶の夢」について話をしました。 まだの方はこちらからどうぞ 以前、友人が語ってくれた体験談が、 まさに「胡蝶の夢」の故事そのものだと感じ入るものだったので、 みなさんにも紹介いたします。 当時、神戸の大学生だった彼は、灘区のアパートで被災しました。 誰かに「起きろ」と激しく身体を揺り動かされたと思って目を覚ますと、誰もいない。 視界が暗い。 しばらくは何が起きたか分からず、暗がりにじっと目を凝らすと、 木造長屋の2階だった部屋が、そのまま地面に落ちているのに気づいたのです。 何が起きた!? すぐに建物の外に出たところ、そこで初めて事態の深刻さに息をのんだ。 神戸の街が一変していたからです。 徐々に震災での建物崩壊、火事、その犠牲者の情報が明るみになり、 自分が助かったのが当たり前でなかったと知らされたのでした。 数日間、避難所で過ごしたあと、大阪の実家に帰

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    kikuutan 2019/06/01
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  • 火宅無常の世界、胡蝶の夢とはどんな意味か - 親鸞に学ぶ幸福論

    【火宅無常の世界(1)】 「彼はとても波乱万丈な生き方をしてきたが、やっと幸せを手にしたかと思ったら旅立ってしまった。人生とは胡蝶の夢のようだ」 「あのビジネスはあいつの一言で胡蝶の夢と化したよ」 などと使われる「胡蝶の夢」という言葉、中国の思想家・荘子に由来します。 「胡蝶」とは蝶々のこと。 荘子(荘周)が自分の見た夢をこう書き残しています。 ーーーーーーーーーーーーーー 以前、わたしは蝶になった夢を見た。 花から花へ喜々として、心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。 荘周である自分は全く頭になかった。 はっと目が覚めると、これはどうしたことか、荘周ではないか。 荘子はあまりにリアルな夢に、 「荘周である私が夢の中で蝶となったのか」 「いや自分は実は蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのでなかろうか」 いずれが当か私なのか、私にはわからない、 ーーーーーーーーーーーーーーーー 人は思

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    kikuutan 2019/05/30
  • 実は恐ろしいのが、調子のいいとき - 親鸞に学ぶ幸福論

    【順境と逆境(2)】 先回「沈んで屈するな」について話しました。 沈んでいる時、苦境に立たされた時は、 よけい自分で自分の首を絞めるようなことを思ったり、言ったり、やったりしてしまうので、 大変危険なときだと話をしました。 しかし実は沈んだとき以上に気をつけねばならない危険なときが人生にはあります。 それは「浮かんだとき」、物事が上手くいっている時です。 それで今回は「浮かんでおごるな」をお話しします。 成功した時、褒められた時、大金を手にした時など、 舞い上がるような事態は気を付けねばなりません。 「好事魔多し」と昔からことわざにあるとおりです。 調子いい時、私たちの心にムクムクと出てくるのは「慢心」です。 これが怖ろしい。 仏教では六大煩悩の一つに「慢」があげられていますが、 108の煩悩の中でも特に私たちを煩わせ、 悩ませる6つの中の1つなのです。 慢心がどのように現われ、人生をダメ

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  • 親の死・最後の教育 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【無常(1)】 「親の最後の教育」という言葉があります。 学校の教師、塾の講師、部活の先輩、会社の上司友人、同僚、 私たちはさまざまな人からいろいろなことを学びますが、 なんといっても多くのことを学ぶのは親です。 人生のスタートから、事のマナー、掃除の仕方、挨拶・返事も、ぜんぶ親から学びます。 言葉も、親が使っている言葉が母国語になります。 親が関西弁なら、子供も関西弁です。 仕事をする、ということの責任の重さも、 仕事をしている親の背中を見て子供は学んでいきます。 やがて親が老いていけば、「老い」とはこういうものなのか、親の介護を通して学びます。 そしていつか親が「死ぬ」時、 「死」とはこういうことなのか、と親を看取る中で教えられるのです。 「あんなに苦労して働いてきたお父さん、最後は病気で枯れ木のようにやせて・・・。いったいお父さんの人生はなんだったんだろう」 「最後あんな顔して死

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    kikuutan
    kikuutan 2019/04/15
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  • 不老不死になる方法はあるか、仏教の答えとは - 親鸞に学ぶ幸福論

    【老死(1)】 強大な権力を手中にした権力者が最後に臨むのは「不老不死」だと言われます。 闘争に勝利して獲得してきた膨大な黄金と名声が、 我が身の死によって他者に取って代わられるのが耐えがたいのか、 いつまでも手放したくない、という強い執着がそう願わせるのか、 並居る敵を屈服させてきた世界の覇者は、 人生の最期に「老い」と「死」という最大最強の敵に立ち向かうのです。 しかしこの戦いにだけは、勝利した者はついぞ聞きません。 中国最初の皇帝、始皇帝は中国全土を統一し、 中原の富と名声とをすべて我が物にしますが、 晩年になって不老不死を求めます。 家来である徐福に、蓬莱の国へ行き不老不死の仙薬を持ってくるよう命じたことが『史記』に記録されています。 不死を求めた始皇帝の願いはかなわず、即位から11年後に死去しています。 古代エジプトのファラオたちは永久に生きようと、ピラミッドを建立しました。 幾

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  • 人生を旅に譬え、人間を旅人に譬えた仏教 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【旅人(1)】 お釈迦様は人間を旅人に例えられています。 これはお釈迦様の専売特許ではなく、古今東西、多くの詩人によって、 人生は旅に例えられ、人間は旅人に例えられてきました。 今日でも多くの歌謡曲に、人生を旅、人間を旅人、に譬える歌詞がよくあります。 たとえば美空ひばりの『川の流れのように』。 「生きることは旅すること」というフレーズで始まりますね。 人間は村人ではありません。旅人なのです。 村人ならその村に生まれ、その村に育ち、その村で田畑を耕し、その村に所帯を持ち、その村で死んでいきますが、 人間は旅人ですから、一カ所に止まってはおれません。 一つの村から次の村、次の村から次の街へと、どんどん旅をしていきます。 その旅の途中に、すごく歓迎され、居心地のいい村もある。 「いいなぁ、いつまでもここに居たいな」と思っても、 旅をしている以上、いつまでもその村に居続けることはできません。 逆

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    kikuutan 2019/03/27
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  • おごるなよ 月の丸さも ただ一度 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【無常(1)】 「おごるなよ 月の丸さも ただ一度」 という歌があります。 順風満帆、すべてが思い通りに事が運び、 どこにも不足、欠点のない、理想的な状態を、 この歌では「まん丸の満月」に例えています。 平安時代、権勢を誇った藤原道長も、人生を満月に例えた歌を詠んでいます。 「この世をば わが世とぞ思ふ 望月(もちづき)の 欠けたることも なしと思へば」 「この世はオレのものだ。今夜の満月のように、オレの人生には少しも欠点がない」 娘三人が后の位につき、磐石の権力を手中にした道長が、祝宴で詠んだ歌です。 オレの人生に欠点はない、何の不足もない、と言い切っているのだから、すごい境地です。 こんなことを言えた時って、今までの人生で一度でもあったでしょうか。 たとえ、そんな時期があったよ、という人でも、 その状態は決して長くは続かなかった、のではないかと思います。 私自身のことを振り返っても、

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    kikuutan
    kikuutan 2019/01/18
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  • アメリカで交通事故に遭った - 親鸞に学ぶ幸福論

    【無常(3)】 私は20代の頃、アメリカ交通事故に遭うという、ちょっと特殊な経験をしています。 ロサンゼルスの大学のミーティングルームで勉強会があり、 徒歩でその大学に向かう途中、車にはねられました。 信号のない横断歩道で、歩行者である私のために停車してくれた車の前を小走りに通り過ぎたその瞬間、 停車した車の脇から突っ込んできた車にぶつかったのです。 甲高いブレーキ音に反応して、とっさに後ろを向いたので、 ひざ裏がちょうど車体の先端にぶつかって、 体ごとボンネットに乗っかる形になり、 それから一回転して、背中からアスファルトに叩きつけられました。 これは一緒に歩いていたイランの友人が言っていたので、 こうして描写できるのですが、 そのときの私は、景色が一回転したと思ったら、 アスファルトに肩がぶつかった衝撃がドンと来て、 呼吸が困難になり、自分がどうなったのかわかりませんでした。 ただな

    アメリカで交通事故に遭った - 親鸞に学ぶ幸福論
    kikuutan
    kikuutan 2018/12/07
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