煩悩に関するkikuutanのブックマーク (20)

  • ネット上の誹謗中傷の本当に恐ろしいところはここだ - 親鸞に学ぶ幸福論

    【業力(1)】 私がメルマガを書き始めたのが2010年のちょうど今ごろですから、もう10年近くになります。 早いものです。 こうして情報発信を続けていると、さまざまな方から感想、意見をいただきます。 メッセージでくださる方もあれば、 他の方も閲覧できるコメントで送ってこられる方もあり、 その言葉にいつも励まされ、学ばせていただき、 私が発信を続けるモチベーションになっております。 一方で数は少ないですが、中にあからさまな非難中傷のメッセージ、コメントもあります。 それも正鵠を射るご指摘なら耳痛く学ばせていただきますが、 的違いも甚だしいものもあります。 「そういうことではないですよ」と送信者に返信しますが、 文章からして、人としての礼儀を欠くというか、 もし実生活の場でこんな物言いを人にしていたら、 健全な人間関係はおろか、仕事もままならないだろうという文面で送ってくる人もあり、 そういう

    ネット上の誹謗中傷の本当に恐ろしいところはここだ - 親鸞に学ぶ幸福論
  • さるべき縁がきたら何でもしてしまう - 親鸞に学ぶ幸福論

    【さるべき業縁の(1)】 アメリカの大学で自殺未遂の経験を持つ60人の学生に、 「なぜ自殺しようと思ったか」理由を尋ねたところ、 85%が「人生が無意味に思えたから」と答えました。 自殺者や未遂者があると、周りの人は、その原因を、 家庭不和だとか、病気だとか、いじめだとか、 何らかのわかりやすい動機を特定しがちですが、 少なくとも自ら死を選ぶ人はそんな明確な理由では片付けられないものだと思っており、 最もしっくりする動機があるとしたら 「人生が無意味に思えたから」だというのです。 しかも生きる意味なんてないと感じているこの学生たちの大半は 成績もよく、家族との関係も良好でした。 冷たい家庭に育ったわけでもなく、 クラスに友人がいないわけでもない、 どこにでもいる一般の学生だったのです。 周りは「こんな人だったから自殺したんだ」と、自殺をする人の特徴も分類したがります。 「自分は、自分の子

    さるべき縁がきたら何でもしてしまう - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 「よもすがら仏の道に入りぬれば」源信僧都 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【法鏡(2)】 お釈迦さまは仏教を『法鏡』と言われ、 私たちの当の姿を映す鏡だと教えられました。 仏教とは自己を知る教えなのです。 平安時代の高僧、源信僧都は 「よもすがら仏の道に入りぬればわが心にぞたずね入りぬる」 と歌いました。 よもすがら(夜も徹して) 仏の道に入りぬれば(お釈迦様の教えを聞き求めていくと) 月灯りの下、あるいはろうそくの灯の下でお経を読み進めていくと わが心にぞたずね入りぬる(いつしか自分の心の中にたずね入っていく心地がした) と源信僧都は言われています。 これは源信だけでなく、仏教を重ねて聞かれれば、 みなさんも自分の姿に訪ね入っていく感覚を持たれることと思います。 1日よりも1か月、1ヶ月よりも2ヶ月、1年よりも3年、 聞けば聞くほど知らされて来るのは当の自分の姿です。 「私は仏教を聞いてもう3年になるけれど、自分が何者かなんて少しも考えたこともないし、問題

    「よもすがら仏の道に入りぬれば」源信僧都 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 貪欲(とんよく)で造る恐ろしい悪業を解説する | 生きる意味が分かる親鸞の教え

    こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。 事件の裏に貪欲あり 私たちの持つ欲の中でも代表的なものをお釈迦様は五つ挙げて『五欲』と教えられます。 そして人間は常に五欲で動いている、と説かれています。 五欲とは【欲】【財欲】【色欲】【名誉欲 】【睡眠欲】の五つです。 【欲】とは、べたい、飲みたいという欲。 【財欲】とは、お金が欲しい、お金だけでなく、車が欲しい、服が欲しいといった物欲もこの財欲に入ります。 【色欲】とは、男性なら女性が欲しい、女性なら男性が欲しい、と異性を求める欲。 【名誉欲】とは、人からほめられたい、認められたい、嫌われたくな

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  • おカネを手に入れる方法よりも大事な問いとは - 親鸞に学ぶ幸福論

    【財欲(1)】 おカネを「どうやって手に入れるか」に悩む人はあっても、 おカネを「何に使うか」に悩む人はほとんどありません。 人類の知りたいこと、求めてやまないこと、古今東西変わらぬニーズは 「どうしたらおカネを自分のものにできるか」です。 手替え品替え、金儲けの方法が語られ続け、 今も書店の表紙にはそのテーマのが並ぶことからもそれはわかります。 ところがお釈迦さまは「どうやっておカネを手に入れるか」よりも 「おカネを何に使えばいいか」の方がずっと難しい、と教えられています。 そして「ここを間違えると幸せになれるどころか、不幸、破滅を招きますよ」 と説かれています。 実は私たちの幸福に直結する問いは 「おカネをどう手に入れるか」ではなく「お金をどう使うか」なのです。 47歳のビリー・ハレルJr.は宝クジで3100万ドル(約33億円)当選しました。 と3人の子供を養っていくのがやっとの彼

    おカネを手に入れる方法よりも大事な問いとは - 親鸞に学ぶ幸福論
  • モンスターには決してムキになってはいけない - 親鸞に学ぶ幸福論

    【瞋恚(2)】 先回のメルマガでお釈迦さまの「怒りに怒りをもって報いるは、げに愚かもののしわざなり」のお言葉をお話ししました。 この釈迦の一節は 「ののしられた時ののしり返し、怒りには怒りで報い、打てば打ち返し、闘いを挑まれ闘い返す、それはは愚かなことですよ」 と教えられたものです。 批判体質の人はどこにでもいるもので、 そんな人を最近は「モンスターペアレント」「モンスタークレーマー」「モンスター部下」などと言われ、 周りからおそれられます。 「モンスターペアレント」・・・学校などに自己中心的かつ理不尽な要求をする親 「モンスタークレーマー」・・・商品やサービスにクレーム(苦情)をつけ、身勝手で不当な要求をする客 「モンスター部下」・・・常軌を逸した要求や主張で上司を悩ませる部下 こういうモンスターたちのつまらぬ中傷にむきになって応じているうちに、 やがて非難の応酬となり、こちらの心も荒み

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  • 「瞋恚(怒りの心)」が自分と周りに与える悪影響について | 生きる意味が分かる親鸞の教え

  • 「つい言ってしまう」こんな悪口に気をつけよう | 生きる意味が分かる親鸞の教え

  • 石川五右衛門辞世の句「石川や浜の真砂は」 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【貪欲(1)】 「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」 石川五右衛門の辞世と伝えられる歌です。 “川浜の砂がたとえ尽きることがあろうとも、この世の中に盗人がいなくなることはない、 なぜなら盗人の種が尽きることがないからだ”という意味です。 ここでいう「盗人の種」とは、人のものを盗みたいという心のことです。 奪ってでも、盗ってでも自分の物にしてしまいたいという欲の心が 人を泥棒という犯罪に走らせるのですから、 まさにその心は「盗人の種」です。 天下の大泥棒と知られる石川五右衛門は 武将の城に忍び込むその大胆で勇敢な盗みの手口から泥棒界の英雄となり、 五右衛門にあこがれ、泥棒稼業を目指す若者も現われる始末で、 ときの為政者は、このまま五右衛門を野放しにしていては都の治安はよくならないと 威信をかけた大捕物を断行した末、ついに五右衛門は逮捕されます。 第2,第3の五右衛門を

    石川五右衛門辞世の句「石川や浜の真砂は」 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 怒りは美容と健康の大敵 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【瞋恚(1)】 美容と健康に、怒りの感情はジャンクフードとコーラのランチよりよくないとのこと。 人間の免疫力はリラックスして副交感神経が優位に働くとアップしますが、 普段怒ってばかりいる人は交感神経ばかりが優位になり、 免疫力が落ち、病気にかかりやすくなってしまうそうです。 カッとなったのはほんの数秒でも、その時に過剰に働いた交感神経は元の状態に戻るのに3時間もかかるのだとか。 怒りは血液にもよくありません。 イライラした時に体内に発生する活性酸素で血液がドロドロになり、 血栓で血管が詰まりやすい状態になります。 そこへきて激怒して血圧が急上昇すると、 心筋梗塞や心臓の発作の危険率もグンとあがってしまうのです。 他にも、不整脈、肝臓や堪能へのダメージ、筋肉痛、下痢、胃炎、皮膚炎の原因になり、 怒りは身体にいいことが1つもないです。 また怒りは美容にも相当悪い影響を与えます。 特に肌に悪いよ

    怒りは美容と健康の大敵 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • キレる高齢者問題。気をつけるべきは瞋恚 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【瞋恚(1)】 コンビニのレジで60~70代の男性が、 10~20代の女性店員に当たり散らしている場面を見たことがあります。 店員も何で怒られているのかわからない様子で戸惑っていて、 店長らしき人がなだめにかかりますが、うまくコミュニケーションもできず、 耳が遠いせいか、どなる声は大きいし、 その場にいた客の人たちもマユをひそめていました。 こういうのが最近言われる「キレる高齢者」というのでしょうね。 人間は誰でも歳を取っていきますが、 そうなった時に特に気をつけなければならないのは『怒り』です。 年を重ねると丸くなり、寛容になるかと思いきや、実はその逆で 歳を取るほど短気になる傾向があるようです。 高齢者が怒る要因はいろいろ挙げられますが、 脳科学的にもいえることです。 怒りの感情は脳の大脳辺縁系で作られるのですが、 それを抑制するのが前頭葉です。 ところが年を重ねると前頭葉の機能が衰え

    キレる高齢者問題。気をつけるべきは瞋恚 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • SNSいじめは、恥知らずの恥かかず - 親鸞に学ぶ幸福論

    【愚痴(1)】 最近では、小中高生の間でSNSいじめが横行していると聞きます。 LINEグループから一人だけ外す、 グループ内で悪口、噂を流す、 「裏チャット」で盛り上がる、などのいじめです。 以前なら学校では針のむしろであっても、 帰宅後は家が避難所となり得ましたが、 現今のいじめは学校から帰ってもSNSで続きます。 LINE上のクラスメイトのやりとりに自分だけ入れず、 勇気を出してたまに発言すれば、その発言だけはみなから無視され、 返ってくるとしたら、自分の出席番号を暗喩して「13うざい」などの反応。 朝起きてから夜寝るまでLINEの着信音、SNSのコメントが、 その人を追い詰めていくのです。 いじめの方法は時代に応じて形を変えていきますが、 いつの世も絶えて無くなることがないのは これらいじめの根っこに、人間の心に巣くう「愚痴の心」があるからです。 「愚痴の心」とは、仏教で108ある

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    kikuutan
    kikuutan 2019/06/27
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  • 『虚仮』とは「嘘偽り」という意味。親鸞聖人は『虚仮不実』といわれている | 生きる意味が分かる親鸞の教え

    こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。 「虚仮」とは「嘘偽り」ということで、歎異抄には「万のこと皆もって、そらごと・たわごと・まことあることなし」とそれを説かれます。 親鸞聖人は世の中の一切は「そらごと」「たわごと」「虚仮(うそ偽り)」であり、「何一つまことはない」と、一見反社会的な、常識を逸脱したことをいわれていますが、「虚仮」とはいったいどういうことなのか、いくつかの事例を通してお話ししてまいります。 情や慈悲に虚仮(嘘偽り)が隠れている 和牛の高級ブランド「松坂牛」は、美味しい霜降り肉にするために、畜産農家が牛にビールを飲ませるのは、よく

    『虚仮』とは「嘘偽り」という意味。親鸞聖人は『虚仮不実』といわれている | 生きる意味が分かる親鸞の教え
  • モンスターペアレントVSダメ教師 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【正邪(1)】 親からの無理難題やクレームに悩む小学校の教師が増えています。 いわゆる「モンスターペアレント問題」ですね。 「うちの子と仲の良いあの子とあの子を一緒のクラスにしてくれ」 と迫ってくる親御さんもあるそうで、 それはできないと説明すると、怒り出す始末、とのこと。 「子供が好きで小学校の教員になったのに、親への対処で神経をすり減らしてしまう」 と新任教師は、その実態にまず面らうそうです。 ところが親の立場に立つと、また違った悩みがあるようで、 小学生の子供さんを持つお母さんから、こんな話を聞いたことがあります。 そのお母さんが担当の教師に、 自分の子がいじめを受けていることをなんとかしてもらいたいと相談したところ、 その教師、顔色変えて「いじめなんてない」と逆ギレしたそうです。 調査もせず、頭ごなしに否定されたことでお母さんは不信を持ち、 一年間、こんな先生が担任だなんて、と相

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  • 六大煩悩の一つ「慢心」は私たちをどう苦しめるのか | 生きる意味が分かる親鸞の教え

  • 色欲とはどんな意味か。仏教では否定されるのか。 | 生きる意味が分かる親鸞の教え

    こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。 色欲は常に物語の主役だった 『思い出すよじゃ 思いがうすい 思い出さずに 忘れずに』 これは京都のある遊女が、江戸に戻ることになった恋仲の男に贈った粋な歌です。 別れの際に「これを私だと思って」と、遊女が男にかんざしをプレゼントしました。 その時に男が「このかんざしを見るたびに、お前のことを思い出すよ」と言ったところ、遊女が悲しそうな顔をして詠んだのがこの歌です。 「思い出すようでは、思いがうすいのではないですか」とは、こういうことです。 「このかんざしを見るまでは、私のことを忘れているということですか。

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    kikuutan
    kikuutan 2019/03/31
  • 雑毒の善を説かれる龍樹菩薩(ナーガールジュナ) - 親鸞に学ぶ幸福論

    【雑毒の善(2)】 お釈迦様は、私達のやる善には毒が雑じっている、と言われ、 これを『雑毒の善』と説かれていることを、先回から話をしております。 ここでいう「毒」とは、「私が、誰々に、何々をしてやった、してあげた」という心です。 親切は「受ける」よりも「与える」方が喜びが大きい、 という事実を知っている人はあっても、 親切したとき「与えた」という意識から離れきれる人はありません。 「私が与えたんだ、誰のおかげで与えてもらったと思ってるんだ、他でもない、この私がしたんだ」 という心が毒なのです。 「あなたに与えたんだ、あなたが困っていると思って、あなたのためと思って与えたんだ。 あなたねぇ、涼しい顔して受け取ってるけど、私があなたのためにと思ってしたことなんだよ」 と言いたくて仕方ない。 「私だって余ってたから与えたんじゃない、こんな苦労もあったし、こんな大変なこともあった、それなのに与えた

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  • 人間の善には毒が雑じっている - 親鸞に学ぶ幸福論

    【雑毒の善(1)】 仏教に『雑毒の善』という言葉があります。 「毒の雑じっている善」という意味です。 私達のやる善行には毒が混じっている、とお釈迦さまは説かれています。 ここでいう「毒」とは、見返りを期待する心、お礼を要求する心、手柄心、恩着せ心のことです。 私が、あなたに、こんなことを、してあげた、してやった、と思う心です。 ある商店街で「正直魚屋さん」の記事が町内新聞に出ました。 拾った千円札を商売道具を放り出して、警察へ届け出たとの記事を読んだ近所の人が、 「馬鹿正直だなあ、千円ぐらい貰っておけばよかったのに………」 と言うと、その魚屋さん、 「いやいや、千円だったから届けたのさ」 と言ったそうです。 千円が落ちているのを見た瞬間、頭の中で算段を始める。 さて、ポケットに入れてしまうか。 それとも拾得物として届けるか。 届けたら町内新聞なんかに「正直な魚屋さん」の記事が出るかもな。。

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  • 飢餓で苦しむ人と飽食で苦しむ人。食欲という煩悩の実態 - 親鸞に学ぶ幸福論

    欲(2)】 仏教で説かれる『欲』は、 『貪欲』という煩悩の一つに数えられています。 欲は私たちを悩ませ煩わせるものだと、釈迦は説かれているということです。 これはお釈迦様に言われるまでもなく、 人類にとって何千年にわたって最大の敵は「飢饉」だったので、 人間は、自らの持つ「欲」が強いものであるか、 その欲のためにどれだけ苦しみ悩んでいるか、 骨身にしみて理解していました。 いつでもべたい時にべられ、飲みたい時に飲めたら、どんなに幸せだろう、 そうなれば欲に煩わされることなく生きられるのに、 とどんなにこそあこがれたことでしょう。 しかしそれは叶わぬ夢でした。 ところがこの100~200年の間に劇的に事態は改善し、 現在では、世界の一部の地域を除いては、飢餓による死亡はほとんど無くなりました。 冷蔵庫を開ければ、お湯を注げば、缶詰開ければ、ビニールの封を開ければ、 お手軽に空

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  • 三毒の煩悩【貪・瞋・痴】とは | 生きる意味が分かる親鸞の教え

    こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。 仏教に「三毒の煩悩」という言葉があります。 全部で108ある煩悩の中でも、特に私たちを苦しませ悩ませる三つの大きなものが「三毒の煩悩」です。その三つとは、【欲】【怒り】【愚痴】の三つです。 三毒・貪瞋痴の煩悩をそれぞれ形容詞で表すと、【欲】は「汚い心」。【怒り】は「恐ろしい心」。【愚痴】は「醜い心」。 それぞれどんな心なのか、事例を通してお話ししましょう。 【貪欲】三毒の煩悩(貪瞋痴)の筆頭 貪瞋痴の筆頭【貪欲】とは、金がほしい、ほめられたい、好かれたい、という心です。 それを得るためには人はどうなっても

    三毒の煩悩【貪・瞋・痴】とは | 生きる意味が分かる親鸞の教え
    kikuutan
    kikuutan 2019/02/07
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