【諦観(1)】 『あきらめる』という言葉があります。 司法試験を目指していた学生が、6度目の不合格通知を前に、 もうすぐ30歳、親にこれ以上心配かけられない、との思いから 「もうあきらめようかな」とつぶやく。 彼女ができず、結婚相談所に登録し、何人もの人と会うも、進展しない、 「これはもう結婚するのあきらめろ、ってことかな」と自嘲する。 そんなときに使う「あきらめる」という言葉は、 ユメを捨てる、目標達成を断念する、という意味で使われ、 ネガティブな意味合いを持ちます。 逆にあきらめない姿勢こそポジティブであり、 あきらめない人が強い人であり、道を切り開ける人だと賞賛されます。 スラムダンクの安西先生の名言の、 「あきらめたらそこで試合終了ですよ」のように、 あるいは成功者を追う番組でも 「あきらめない」姿勢が視聴者の感動を誘います。 さてこの「あきらめる」という言葉、実は仏教由来の言葉で
![あきらめるのが大事と説く仏教 - 親鸞に学ぶ幸福論](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e6406adf631bebbbcb164e0ed2658db1ef971694/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fk%2Fkikuutan%2F20190910%2F20190910170538.jpg)