2019年10月5日のブックマーク (2件)

  • 忍辱(忍耐)の意味とは。仏教の六度万行の一つを具体的に解説する | 生きる意味が分かる親鸞の教え

    こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。 仏教では、幸せの花が咲く六つの種の一つに「忍辱(にんにく)」が説かれています。 今日の言葉で言えば「忍耐」、腹が立つ心を抑えて耐え忍ぶことです。 「忍辱(にんにく)は、私たちを幸せに導くすばらしい行いですよ」と釈迦は説かれています。 今回は忍辱についてお話しします。 忍辱の行が試されるとき「ならぬ堪忍 するが堪忍」 「ならぬ堪忍、するが堪忍」ということわざがあります。 “堪忍”とは“耐え忍ぶ”こと。 「ならぬ堪忍」とは、「今度ばかりはもう堪忍できん」という時の言葉です。 「こんなことで腹は立ててはと、今ま

    忍辱(忍耐)の意味とは。仏教の六度万行の一つを具体的に解説する | 生きる意味が分かる親鸞の教え
  • 治らない人のための情報がない - 親鸞に学ぶ幸福論

    【人身受け難し(1)】 仏教に教えられているのは「なぜ生きる」の答えです。 「なぜ生きる」とは砕いて言えば 「(必ず死ぬのに)なぜ生きる」ということであり、 「(どんなに苦しくても)なぜ生きる」ということです。 人は必ず死んでいくのに、 なぜそれまでさまざまな苦しみに耐えてでも、 一生懸命生きねばならないのか、 この問いが仏教で言うところの「なぜ生きる」です。 「なぜ生きる」一つの開顕が釈迦45年の教えでした。 世の中には「どう生きる」を教える人は多くあります。 どうしたら健康になれるか、 どうしたら稼げるか、 どうしたらあの人とうまくやっていけるのか この「どうしたら」でみな一生懸命ですから、 そのニーズに応えんとして 「自分はこうして健康になった、もうかった、仲良くなれた」と実体験を交え、 あるいは心理学や物理学や経済学や医学の根拠を用いて 説得力ある「どう生きる」の答えを提供する人は

    治らない人のための情報がない - 親鸞に学ぶ幸福論