他人の褌と個性に関するkilreyのブックマーク (1)

  • 努力の成果に向けられる不快感 - よそ行きの妄想

    なんか勉強系の話題が流行っているようだ。 何かにつけて、後出しの自分定義によって我田引水をはかるみっともないアルファブロガー(笑)の話はおいておいて、以下に引用するエントリーは少し興味深い。 たとえば体育や音楽でずば抜けた能力をもつ場合、その子は胸を張っていられる。 でも、「お勉強」の教科に秀でている場合、その子はそれを無邪気に誇りに思うことはできないばかりか、後ろめたいことのようにすら思うことを強制させられる。 この非対称性は、なんなのだろう? どうにも不思議だ。 なぜ、かけっこが速くてもいじめられないのに、勉強ができるといじめられるのだろう? ぽりあんてな 確かに、小学校や中学校において、「お勉強」の成績がいいことについての評価が、走る速さなどの身体的な能力に対するそれと比べて、相対的に低いということについて、私にも思い当たる節はある。私は意外といじめられたことはまったくないのだが、成

    努力の成果に向けられる不快感 - よそ行きの妄想
    kilrey
    kilrey 2008/12/25
    天才に負けるのは格好が付くが、努力家に負けると救いようがない。
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