ブックマーク / anond.hatelabo.jp (81)

  • 発言小町に掲載してもらえなかった続編。夫に隠し子がいた。

    http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0624/420617.htm「夫に隠し子がいました」トピ主です。簡単に言うと、夫との間には二人の子供がいて、夫から「昔孕ませた女性の子供に認知もせず養育費も払わなかった。母親から要求されたけど無視し続けたら諦めた。しかし20年近く経過した今、その子供人から認知と養育費を求められており、調停を申し立てられている。DNA鑑定に応じるよう要求されており、応じなければ裁判に訴えて強制認知させる。認知は避けられないであろうから子供たちには内緒にしていてくれ」という告白を受けたという話です。 「親子の愛情」を信じたい人たちを傷つける内容だからでしょうか、続編を投稿しても編集部は掲載してくれませんでした。目を背けたくなる話は掲載しないサイトなんだなあとほとほと呆れました。仕方がないので規制がないこちらのサイトに続編を投稿します。

  • 婚活を終えた喪女からの伝言

    こんにちは、新婚です。タイトルはホッテントリメーカーから。 いや結婚はいいよマジで。仕事終わってクタクタで帰るだけで好きな人にくっつく特権が!そして相手も満更でもなさそうな顔でニヤニヤしてたりして!それより何より家に男の人がいるってだけですごく安心するよ。ありがとう夫、愛してる夫! ……そんな幸せいっぱいの三十路喪女ですが(ええ、結婚しても喪は喪です)、かつては婚活なんかもしておりました。結婚を意識して動き出して結婚まで7年ほどかかりましたよ。何しろ喪ですから。そんでも!そんでも!アタシいま愛されちゃってるしぃ~、幸せのおすそ分けに?これは効果あったんじゃないかなぁって思ったことを増田に書いてみるよ。だって自分が結婚できたからってリアル友人に上から目線でアドバイスするの恥ずかしいんだもん。 . 目次手に職をつける女装するマーケティング男の人がいそうなところに行くルールズ. ==== . 手

    婚活を終えた喪女からの伝言
    kintaorgH
    kintaorgH 2011/07/18
    「身体を売らなくても、ババアになってもなんとか食いつないでいけそう」紹介されてる RULE の半分くらいは客に、のこりはピンプに 人間の種類 → 処女・少女・娼婦・淑女と、客・女衒
  • 先週、兄が自殺しました。 とりかえしのつかないことになってしまいました..

    先週、兄が自殺しました。 とりかえしのつかないことになってしまいました。 過激な手段をとってしまったことを反省しています。 同じ過ちを犯す人がおりませんように、報告しておきます。 もう書きこむことも二度とないと思いますが。 それでは。

    先週、兄が自殺しました。 とりかえしのつかないことになってしまいました..
  • 猫を保健所に連れて行くことにした。2 追記の追記

    http://anond.hatelabo.jp/20110103180402あなたを始め殆どの方々は兄の性格をわかっていなさ過ぎる。 兄は何事ものらりくらりとかわすだけで何事もまじめに受け取らず、取り組もうともしない人間だ。 あなた方に通じるとも思えないが、8度の交渉で身にしみている。 短絡的で幼稚というが、確かにそのとおりである。しかし私はその手段に訴えるほかに手を持たない。 具体的に言えば、兄を改心させる方法など私にはわからないし、 30歳にもなった男に「これから気持ちを入れ替えろ」といったところで人間が代わるとも思えない。 ペットホテルに預けて様子を見てみろという意見が散見され、 それについては私も良案であると思うが、 それによって兄の性根が代わるとはやはり思えない。 取り返せばまたしても元のもくやみになるだろう。 では兄を精神病院に連れて行って治療を受けさせるか? その間に母は帰

    猫を保健所に連れて行くことにした。2 追記の追記
  • 猫を保健所に連れて行くことにした。2 追記

    http://anond.hatelabo.jp/20110102171207どうも私が兄に刺されるかもしれないよ。などと言っている人がいるようだ。 おそらくは、危機感を与えることにより私がの殺処分を思いとどまることを期待しての警告だろうが、 なるほど一理あると思った。なので、兄には保健所に連れて行った場合も「里子に出した」と嘘を言っておくことにしようと思う。 なのでこれ以上の警告は無意味かつ無用である。 それと、私の人格へのバッシングは私の心に全く届かないことを留意しておいてほしい。 実際に甚大な被害を蒙っている私にとり、その言葉は絵空事にしか聞こえない。 実際的な次善案の提示以外は無用である。 行動を伴わない口だけのことで、状況を簡単に動かせるとは考えないことだ。 は明後日連れて行くことになっているので、連絡はそれまでに。

    猫を保健所に連れて行くことにした。2 追記
  • 猫を保健所に連れて行くことにした。2

    http://anond.hatelabo.jp/20110102171207ずいぶんと多くの反対意見や代替案を貰ったので、私なりに検証してみた。 大抵が「私と父の行動は過激である」というものだった。 もう少し情報を足すと、厳密に言えば今の家には母親がいない。 今は入院していてそのうち退院する予定である。 病名は子宮がんで、体力的問題があり手術はしないことに決まった。 端的に言えば自宅療養に移るのでの存在は許容できない。 の毛自体が免疫機能が衰えている母には害と思えるし、 退院してきた当初ならば兄も爪を切るだろうが、前科からして それもいつかは怠るようになるものと考えられるからだ。 の汚れた爪が重病患者の皮膚を抉ることについて、医学的に問題がないと考える人間は少ないと思う。 私と父はを保健所で、はっきり言えば殺すことを最善の解決策とは思っていない。 しかし、他人に懐かない(兄以外の

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  • オサマ・ビン・ラディンの人生

    外国人ジャーナリストに珍しく顔を見せるとき、 オサマ・ビン・ラディンは自分の手に視線を落とすのが常だった。 柔らかで少しかすれた声、優しいまなざし。 通訳を好まない彼がインタビューで伝えたのは、その顔と裏腹な言葉だった。 不信心者を殺すのはムスリムのつとめである。 2001年9月11日「ゴミのように」空を舞う不信心者を見て自分は心から愉悦を覚えた。 その容貌は、殺人者というよりも賢者を思わせた。 自らの手を血に染めることはほとんどなかったが、 愛用のカラシニコフはアフガニスタンの戦闘でロシア兵から奪ったものだという。 サウジアラビアのアメリカ基地、イエメンのアメリカ軍駆逐艦、ケニアとタンザニアのアメリカ大使館。 いずれの場合も「子供たち」の攻撃を遠方から見届けるのが彼の常だった。 賞賛されるテロリズムも批判されるテロリズムもある、と認めながら、 これは「聖なるテロ」だとしてイスラムを擁護し

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  • 私の父は、妻を専業主婦にして一馬力で中流家庭を維持できるほどには稼ぐし、

    私の父は、を専業主婦にして一馬力で中流家庭を維持できるほどには稼ぐし、 倹約家で、唯一の趣味はヤフオクでの小遣い稼ぎという地味で真面目な人間である。 経済面で言えば、一家の父として非常に好人物であると思う。 しかし人格の面で言えば、かなり破綻した危険人物である。 父は高圧的でモラハラ思考で、うつ病の母を毎日「養ってやってるのに毎日寝ている」と責める。 別に母は毎日寝てるわけではなくて家事もしているが、汚れている所、家事の至らない所をわざわざ見付け出して責める。 またニュースで報道される事件について、たとえ女性が殺害等の被害者であっても、いかなるケースでも「女が悪い」といったコメントをせずにおれない。 女性側に少しの非もありようがない通り魔事件等だと、苦し紛れに「女が生意気に外なんか出歩くからだ」と言い捨てる。 車を運転すれば、すれ違う車の女性ドライバーに対して「チッ!女か」「女は車を運転

    私の父は、妻を専業主婦にして一馬力で中流家庭を維持できるほどには稼ぐし、
  • 叔父の無縁死

    昨日、一度しか会った事のない叔父さんを荼毘に付した。 朝一番の斎場はとても静かだった。 到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。 部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で 叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。 部屋はエアコンがつけっぱなしで 部屋には500mlビールの空き缶が百以上もあった。 叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。 息を引き取ってから約3カ月後の発見だった。 俗に言う、孤独死、無縁死。 叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは 同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。 たまに声をかけてくれていたそうで 最近見ないから、管理会社に連絡してくれたとのこと。 当にありがたい。そして当に申し訳ないとおもった。 叔父さんの部屋は最近の部屋で、 ポスト窓がなく、窓も占めていたから密閉空間。 だから、臭いで発見される、というケースではなかったわけだ。 部屋

    叔父の無縁死
  • 介護うつになりそうだ

    問題点 その1、母親に認知障害があり(認知症ではないので進行はしない)24時間見守りが必要。 その2、見守っていればいいだけで、実際に介護しなければならないことはほとんどない。例えば、布団をめくることが出来ず一緒に起き上がろうとするので布団をはぐとか、トイレに行ってもパンツを下ろしたり上げたり出来ないので支度するとか。 その3、それゆえに、娘である私の拘束時間は果てし無く長く(24時間中23時間)、でも、作業を凝縮して時間にしてみれば2時間にも満たない。 その4、父親は認知症であるがゆえに正しい認識が出来ない。 その5、私と父親の間で「介護」に対する認識がまったく違っている。 こうして、ますだに書き込んでいる時間があるのだから、ラクな介護であることは否定しない。今も両親は隣の部屋でテレビを観ており、今の状態だけを見れば、2人とも病気療養中とはとても思えない。特に母親。普通に父親と日常会話を

    介護うつになりそうだ
  • 飯つくれと父が言う2

    http://anond.hatelabo.jp/20100603223423 この記事の事後報告です。 母は順調に回復しましたが認知症のような障害が残るとかで、24時間見守りが必要な状態となりました。 で「在宅介護」か「施設を探すか」と決断を迫られているわけですが、私としては当然「施設行き」なわけです。今のように離れて暮らしていて、ときどき会うのはお互いに励まし合って良いようですし、モラハラ男の常で、父も他人の前では良い格好をしたがりますから、をいたわっているような素振りを見せます。 そして、病院側と今後について相談している最中「ですから家に連れて帰って、自分が介護します」と言い出しました。(出来るわけないだろっ)と思いましたが、他人の前で逆らうと「恥をかかせた」とぶんむくれるので、ひたすら我慢。 家に帰ると「母さんが帰ってきたら、もう飯を作るしかないな。3カ月も逃げ回ってきたんだか

    飯つくれと父が言う2
  • 母をぶった

    認知障害のある84歳の母を85歳の父と一緒に介護している。母は「ここがどこで、今がいつで、自分が誰で、自分が何をしているのか」がわからない。見当識が無いというのだそうだ。半年前に在宅介護を始めてから、毎日毎日「私、どうしちゃったの? どうなってるの? なんで誰もいないの?」と聞く。最初のうちは「病気なんだから」と辛抱強く答えていた父は、すっかりうんざりしてしまい、母がいつもの質問を始めると無視するようになった。私が代わりに答えると母は「なんでパパに聞いてるのに、あんたが答えるの?」と言うので「同じ質問を千回繰り返しているから、もう答えるのがめんどくさいんだよ」となだめている。 一昨日の夜、10時に就寝し、父は寝室に引き取り、私と母は病室としてしつらえた部屋で休んだ。11時ごろ、母がむくっと起き上がった。「何?」と聞いたら「パパに聞きたいことがある」とベッドから下りて、父の寝室のほうへ行こう

    母をぶった
    kintaorgH
    kintaorgH 2011/04/07
    4「半年前」より前はなにか 親が子をどこかまで育てる 子が親をどこかから介護 時期が重なることはあるか パパは親か / 追記があった 「半年前」より前も読む 父は親か 親ってなにか
  • 俺が派遣村叩きを直感的に嫌がったのは、死んだ自営業のおとんを責めたくなかったから

    http://anond.hatelabo.jp/20090112165017の、まあどうでもいい追記ね。 おかんはおとんと自分が可哀想だと思ったから派遣村を叩いたのだけれど、 俺は多分無意識に、おとんとおかんを擁護したいが為に派遣村叩きを嫌がったのだと思う。 だっておとん、商才なかったんだよ。一人で仕事して50代で年200万とか。下手すると俺の初任給の方が良いくらい。ひどいもんだ。 それで結局借金があって、俺がそれを背負ってる。もっと収入を得られる仕事は探せばいくらでもあったかもしれない。 でも、そんなおとんに、別の仕事探せとか、資格取れとか、東京いけばビジネスチャンスいくらでもあったじゃんなんて言えるか? 借金してつなげばどうにかなっただろうとか言えるか?弁理士の知人に頭下げて雇ってもらえばよかったのにとか言えるか? 義兄弟に土下座して単身赴任みたいなことして家に金送った方が良かったな

    俺が派遣村叩きを直感的に嫌がったのは、死んだ自営業のおとんを責めたくなかったから
    kintaorgH
    kintaorgH 2011/02/24
    「最近ガンで死んだの。」→http://anond.hatelabo.jp/20090112165017
  • 猫を保健所に連れて行くことにした。

    私は家族と家に住んでいるのだが、 今年30歳になる兄も同居している。 兄は仕事をしているのだが、一人暮らしをできるほどの収入がないので家にいる。 一昔前の言葉を使えば「パラサイト・シングル」ということになるだろうか。 その兄は一匹のを飼っていて、可愛がっている。 そのは兄にはとても懐いているのだが、私や家族にたいしては懐かない。 気性が荒く、へいきで牙を突き立てたり爪で皮膚をえぐってくる。 再三にわたって兄に「用爪きりで爪を処理しろ」と要求しても聞かない。 何度か「爪を処理しないなら保健所へ連れて行く」と家族から警告したのだが そのときだけ爪を一回処理するだけで、あとは面倒くさいのか放置だ。 なにをやっても長続きしない兄の性根の問題なのだろう。 母親も兄の性格を心配してか、一人暮らしをさせるのが不安なようで家を追い出すのは乗り気ではない。 だが、こちらとしてはが生きているだけで十分

    猫を保健所に連れて行くことにした。
  • 有村悠くんへ

    今は、タヒぬことだけ考えてください。タヒぬだけで十分です

    有村悠くんへ
    kintaorgH
    kintaorgH 2010/08/17
    ある晴れタヒるさがり
  • オナニーしながら読んだらむなしくなった   デリヘル嬢を呼ぶことにした ..

    オナニーしながら読んだらむなしくなった デリヘル嬢を呼ぶことにした お前のせいだぞ Gカップのゆうこちゃん 早く来て

    オナニーしながら読んだらむなしくなった   デリヘル嬢を呼ぶことにした ..
    kintaorgH
    kintaorgH 2010/07/22
  • 俺が誰かに言いたいこと

    どうでも良い話だし、誰にあてて書くでもない。 でも、自分一人しか知らないと悲しむ連中が居るので書いておく。 我が家は男ばかり3人兄弟だった。3人も男がいれば、近所でも学校でもそれなりに有名と言うか、 誰からでも「3人もいると将来楽しみですね」って言われる様な感じだった。 親父は自営業なので、「3人で跡を継ぐんだね」云々と言うのは、枕詞みたいなもんだった。 真ん中の兄貴が中学に入った頃から、何かが変わって来た。 真ん中の兄貴は剣道をやっていて、それなりに強かった。 ガタイもデカいので、ケンカも強い、そんな奴だったんだが、 いつの頃からか登校拒否をするようになった。 何やら蛇の様にネチネチしつこい担任に目をつけられて、 毎日の様にいびられる様になったらしい。 教師からのいじめだな。 そこで登校拒否になるわけだが、そんなのは学校だけのせいじゃなくて、 家の責任でもあるので恨み言は書かない。 (ま

    俺が誰かに言いたいこと
    kintaorgH
    kintaorgH 2010/07/22
    「一人は事故、一人は自殺。次の俺は何だ?病気? もうそんな事に頭の中を占領されていた。」
  • 生まれて初めて父の死因を知った。

    なんか色々と混乱してて何から整理していいのかわからないから、書き出してみることにした。 私は1992年生まれの17歳(大学受験生)で、父が死んだのが1996年で3歳の時。今は2010年だから、14年経ってる。 父に関する記憶は、ほとんど無い。あるとしても、棺が焼却炉に入っていく場面しかもう覚えていない。 17年間生きてきて、母から父については何も教えてくれなかった。「3歳の時に事故で死んだ」くらい。 だから私は周囲の人が「父はこういう人だったんだよ」と言ってくれるのを頼りに、自分なりの父親像を描いていた。 きっと父がいたら、こうしているだろうな、とか。父さえいれば、とか思ってた。 そんなこんなで今日2010年7月、私が家の掃除をしていたら、いつも閉まっているはずの金庫が開いていた。 母が書類を持ってどこかへ急ぎ足へ行ったことから、急いでいて鍵を閉めるのを忘れていたんだと思う。 私は興味

    生まれて初めて父の死因を知った。
    kintaorgH
    kintaorgH 2010/07/20
    「父に関する記憶は、ほとんど無い。あるとしても、棺が焼却炉に入っていく場面しかもう覚えていない。」
  • 飯をつくれと父が言う

    母が入院して一人暮らし。高齢なんで家事はほとんど出来ず、ご飯を作るのがやっとの状態。日常のことは娘である私が通って、いろいろやっているのだけれど、事の支度だけは避けてきた。 例えば、こんな光景。 「おかわり」と父が茶碗を出す。「もう、ありません」と母がおひつを開けて見せる。「なんで、俺の腹がいっぱいになるように炊いておかんのか。誰のおかげで飯をえてると思うのか!」と母を怒鳴りつける。 母は倍量のご飯を炊く。でも、いつもたくさんべるわけではないから、冷や飯を工夫してべていても、だんだん余ってくる。夕に炒めご飯を出す。「なんだ、この硬い飯は?」と父がとがめる。「ご飯が余ってきたので、炒めました」と母が答える。「なんで、一日一生懸命働いてきて残飯わねばならんのだ!」と母を怒鳴りつける。 母はたくさんご飯を炊き、余らせてどうしようもなくなると捨てる。すると父がとがめる。「俺が稼いだ金で

    飯をつくれと父が言う
  • それでも繋がっている

    いつ吹き飛んでもおかしくない吹けば飛ぶ小さな会社を経営している父親はどんな時でも 「どうにかなる」 と家族に言い聞かせ、僕達を育て上げた。 人が良いので時々騙されたりもするし、安い仕事仕事の付き合いから受けてしまって、何度も辛いことがあったはずなのに子供たちには仕事の辛いそぶりを見せたことはまずない。 アル中であること以外の問題はない。 僕達は父親にそう教わったので、僕は楽天的に生きてきた。 当はどうにもならない時でも何の根拠もないのにどうにかなると思って生きている。 僕以外に姉妹が3人いるが、残念ながら1人どうにもならない家族が居て、妹だけ歯車が外れてしまった。 妹はテレビ番組の制作会社でADをしていたが、下っ端はこき使われる、暴力を振るわれるので精神的に追い詰められてテレビ局のトイレから出られなくなり、母親が迎えにやって来て、その後は知り合いの店でバイトを始めた。 地方で洋服屋のバ

    それでも繋がっている