ブックマーク / fujinkoron.jp (11)

  • 夏井いつき「私が「毒舌俳人」として活躍できるのは、再婚夫のおかげ」 「妻としては適当でいいよ」と言ってくれた夫|人間関係|婦人公論.jp

    〈11月10日の『徹子の部屋』に登場!〉上品な着物姿で芸能人たちの作る俳句を一刀両断にする辛口の俳句指導者として、バラエティ番組でおなじみの夏井いつきさんですが、その素顔はあまり知られていません。地元・松山で結婚生活を送るも、43歳で離婚。その後、50代後半でブレイクするまでの日々は、再婚相手である現在の夫の存在なくしては語れないようです。 もう一度結婚するなんて、冗談じゃない いまから10年以上前、私は49歳で再婚しました。当時、私には23歳の娘と22歳の息子がいましたが、正直、まさか自分が再婚するなんて、想像もしていなかったのです。 43歳で離婚したとき、「あぁ、自由になった」と思いました。だから、二度と結婚するつもりはなかったのです。離婚にはものすごく負のエネルギーを使いましたし、姓が変わることによる膨大な手続きが面倒で、もう、こりごり。結婚さえしなければ、離婚する心配もありません。

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    kinushu
    kinushu 2022/02/14
  • いとうまい子「アイドルだった私が遺伝子の研究者になるなんて」 45歳から手に入れたのは壮大な趣味|芸能|婦人公論.jp

    芸歴37年、女優・タレント活動を続けながら、大学院へ通う学生生活を送っている、いとうまい子さん。45歳で大学進学を決意した経緯と、現在の日々について聞いてみると――(構成=内山靖子 写真提供=いとうさん) 夫の言葉に背中を押されて 芸能生活25周年を迎えたころ、社会に対して何か恩返しがしたいと思うようになりました。18歳でデビューして以来、この世界で仕事を続けることができたのも、長年、私を支えてきてくれたスタッフや仕事関係者、ファンのおかげ。周囲の方々に、何らかの形でお返しをしたかったのです。 でも、高校を卒業してすぐに芸能界に入った私は、恩返しの術を何も持っていなかった。そこで、まずは大学に入ってさまざまな知識を身につけ、自分にできることは何かを考えてみたいなと思って。 とはいえ、ドラマやバラエティ番組の仕事をしながら大学に通うのは時間的にかなり厳しい……。なかなか踏ん切りがつかないまま

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    kinushu 2021/02/26
  • 山口もえ「恋愛スイッチはオフだった私が、彼との再婚を決意した瞬間」 「ああ、私たちは家族になれる」|芸能|婦人公論.jp

    「子育てと仕事に追われていた私の“恋愛スイッチ”は、長らく完全にオフ状態。彼と共に過ごす時間は心地良くて幸せだった。にもかかわらず、それが恋愛とは結びつかなかったのです。」(撮影:大河内禎) 日9月15日の『徹子の部屋』で、再婚5年目の今を語った山口もえさん。ともに離婚経験のある2人が再婚、一方は初めて父になる──。芸能人ならずとも難しそうな再婚までの道のり、山口もえさんの背中を押したのは、子どもたちの「家族になりたい」気持ちの強さでした。4年前、爆笑問題の田中裕二さんと再婚について語ったインタビューを再配信します。(構成=平林理恵) 恋愛スイッチは完全オフ。ママ業最優先の日々に 2015年10月、「爆笑問題」の田中裕二さんと結婚しました。以前からお付き合いをしていたのに、それを明かすわけにいかず、とても心苦しく思っていました。結婚の意思を固めたのはもうずいぶん前です。でも、万が一にでも

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    kinushu 2020/09/16
  • 壇蜜「清野とおるさんとの結婚を決めたのは、ひとりで生きる自信がついたから」 「40歳までは生きろ」が家訓でした|芸能|婦人公論.jp

    日の『徹子の部屋』に登場する壇蜜さん。独特の存在感で男女問わずファンの多い壇蜜さんは、2019年11月に漫画家の清野とおるさんと結婚し、話題になりました。一風変わったペットを飼うなど、マイペースだったひとり暮らし。はたして2人の新婚生活はいかに(構成=内山靖子 撮影=宮崎貢司) 毎晩の日記とペットが私をリセットしてくれる 小学生の頃から、ずっと日記を書いています。最初は、学校の先生に言われて始めたのですが、自分の中で続けられることが、せめてひとつでもあったらいいなと思って。芸能界に入ってからも、ほぼ毎日、寝る前にタブレットで書くのが習慣になっています。 私の場合、日記は物事を忘れるために書くんです。嬉しいことも、そうじゃないことも、書いてしまえば次の日まで持ち越さずに済みますから。たとえ嬉しかったことでも、その感情をずっと抱えたままだと、生きていくうえで足かせになってしまうことがある。だ

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  • 〈独占告白〉「このハゲ~!」騒動から3年・豊田真由子「意識のあるときは、死ぬことばかり考えていた」 終わりのない後悔と絶望にさいなまれ|人間関係|婦人公論.jp

    「戸惑う私の背中を押してくれたのは、「多くの人の命がかかっているときよ。不安な気持ちはわかるけど、あなたの知識をもっと広く伝えるべきだと思う」という友人の言葉でした」(撮影:大河内禎) 2017年、週刊誌の報道で秘書への暴言が明るみに出て、世間から大バッシングを受けた豊田真由子さん。順風満帆だった人生が一変しました。当時のことは「パニック状態で記憶が定かではない」というものの、沈黙を貫いてきた3年をどう過ごしてきたのでしょうか。現在発売中の『婦人公論』6月9日号に掲載された、ロングインタビューを配信します。(構成=丸山あかね 撮影=大河内禎) 情報番組の出演依頼を受けた理由 現在、新型コロナウイルスにどう立ち向かうか、テレビで解説する機会をいただいていますが、出演オファーをお引き受けするまでは、ずいぶん悩みました。「あいつの顔など見たくない」といった視聴者からの抗議が殺到したらどうしようと

    〈独占告白〉「このハゲ~!」騒動から3年・豊田真由子「意識のあるときは、死ぬことばかり考えていた」 終わりのない後悔と絶望にさいなまれ|人間関係|婦人公論.jp
  • 〈独占告白〉藤原しおり「ブルゾンちえみを卒業した理由。自分を偽り続けるのはもう限界だった」 〈本能で生きてる~!〉と叫べるように|連載|婦人公論.jp

    「「ブルゾンちえみ」というペルソナをつけて、自分とはまったく違う性格を演じることは当に楽しかった。それによって自分自身を解放できて、何度も救われてきたのも事実です。でも、仮面をつけて自分を偽り続けるのはもう限界でした」(撮影:社写真部) 現在発売中の『婦人公論』5月26日号で表紙に登場したのは、3月31日をもって所属事務所をやめ、お茶の間に知られた芸名も手放した元「ブルゾンちえみ」こと藤原しおりさん。フリーになりたての4月1日、藤原さんにインタビューを敢行。「35億」ネタでの大ブレイクから3年、なぜこの道を選んだのでしょうか(構成=大西展子 撮影=社写真部) 自信に満ち溢れ、私は無敵だと思える 2020年3月31日をもって、5年間お世話になった事務所を退社しました。これからは芸名「ブルゾンちえみ」ではなく、名の藤原史織(藤原しおり)で活動していきます。 いまの気持ちを表すとしたら、

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    kinushu 2020/05/20
  • 〈追悼・志村けん〉由紀さおり「正気と狂気を行ったり来たり。喜劇に人生を捧げた孤高の人」〈2020年ヒット記事〉 追悼・志村けん「天国でも、みんなを笑わせて」|芸能|婦人公論.jp

    〈婦人公論.jp ベストセレクション2020〉今年『婦人公論.jp』が配信した中から、反響のあった記事を再配信します! 3月29日、新型コロナウイルスに感染し入院していた志村けんさんが息を引き取った。享年70。入院からわずか10日後のことでした。1970年代にザ・ドリフターズのメンバーとして『8時だョ!全員集合』などの番組に出演し、一躍スターに。以来、「バカ殿様」「変なおじさん」などのキャラクターで親しまれてきました。志村さんといっしょにお茶の間に笑いを届けてきた由紀さおりさんが、生前の思い出を語ります。由紀さんは付き人時代の思い出をーー。(構成◎樋田敦子) 誰も考えつかないようなギャグを考え出そうと 私がデビューしたのは1969年の3月で、その年の10月から『8時だョ!全員集合』がTBSで始まりました。歌謡曲の全盛期でしたが、歌い手は歌だけ歌っていればいいというものでもなく、テレビという

    〈追悼・志村けん〉由紀さおり「正気と狂気を行ったり来たり。喜劇に人生を捧げた孤高の人」〈2020年ヒット記事〉 追悼・志村けん「天国でも、みんなを笑わせて」|芸能|婦人公論.jp
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    kinushu 2020/05/05
  • 〈追悼・志村けん〉小柳ルミ子「ボーヤの頃に出会って48年。同志であり、戦友だった」 追悼・志村けん「天国でも、みんなを笑わせて」|芸能|婦人公論.jp

    3月29日、新型コロナウイルスに感染し入院していた志村けんさんが息を引き取った。享年70。入院からわずか10日後のことでした。1970年代にザ・ドリフターズのメンバーとして『8時だョ!全員集合』などの番組に出演し、一躍スターに。以来、「バカ殿様」「変なおじさん」などのキャラクターで親しまれてきました。遺作となった朝の連続テレビ小説「エール」での演技も話題になっています。 現在発売中の『婦人公論』5月12日号では、志村さんの追悼記事を掲載。志村さんといっしょにお茶の間に笑いを届けてきた由紀さおりさん、小柳ルミ子さん、研ナオコさんが、生前の思い出を語ります。小柳さんにって志村さんは弟のような存在でーー。(構成◎上田恵子) 楽屋で見せた弱々しい姿 一体なぜこんなことになってしまったのでしょう。今はけんちゃんの映像を目にするたびに涙がこぼれ、関係者の方がどれだけショックを受けているか、考えただけで

    〈追悼・志村けん〉小柳ルミ子「ボーヤの頃に出会って48年。同志であり、戦友だった」 追悼・志村けん「天国でも、みんなを笑わせて」|芸能|婦人公論.jp
  • 〈追悼・志村けん〉研ナオコ「もう二度といっしょに仕事ができないなんて」 追悼・志村けん「天国でも、みんなを笑わせて」|芸能|婦人公論.jp

    3月29日、新型コロナウイルスに感染し入院していた志村けんさんが息を引き取った。享年70。入院からわずか10日後のことでした。1970年代にザ・ドリフターズのメンバーとして『8時だョ!全員集合』などの番組に出演し、一躍スターに。以来、「バカ殿様」「変なおじさん」などのキャラクターで親しまれてきました。 現在発売中の『婦人公論』5月12日号では、志村さんの追悼記事を掲載。志村さんといっしょにお茶の間に笑いを届けてきた由紀さおりさん、小柳ルミ子さん、研ナオコさんが、生前の思い出を語ります。追悼特番にも出演した研さんはーー(構成◎誌編集部) 涙を流しながら、たくさん笑いました 最初にけんちゃんの訃報を聞いたときは、「もう会えなくなっちゃう」ということしか考えられませんでした。今もまだ、現実を受け入れられていません。 けんちゃんがこの世を去った3日後の4月1日に、フジテレビで追悼特番が放送されま

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  • ガンダム芸人・若井おさむが語る親との確執「母を手にかけずにすんだのは、人生を失いたくなかったから」 絶縁して得た幸せを噛みしめて|芸能|婦人公論.jp

    「親父にもぶたれたことないのに!」。アニメ『機動戦士ガンダム』の主人公アムロ・レイのこの名ゼリフの物まねでブレイクした芸人・若井おさむさん。しかし、自身は家族から壮絶な虐待を受けて育ち、一度もこのセリフに共感したことがないといいます。(構成=平林理恵 撮影=帆刈一哉) 優秀な兄と比較され、怒鳴られしばかれて 小学生のころから「死にたい」「僕なんか生まれてこなければよかったんや」と思いながら生きてきました。僕は、家族から暴力を受けながら育ったんです。母は兄にばかり愛情を注ぎ、僕は何をしても怒られた。 最初の記憶は幼稚園のときです。おもらしをした僕を怒鳴りつけながら、マッチで僕のお尻に火をつける母。ビンタされ、グーでどつかれ、「ずっと立っとけ」とトイレにとじこめられました。父は仕事ばかりで、家の中で顔を合わせることがあまりなかったんやけど、やはり暴力をふるいましたね。 兄からもやられっぱなしで

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  • ダイアモンド・ユカイ「免許返納に納得しないおふくろ。オレがとった最終手段は」 するかしないかで大ゲンカ|芸能|婦人公論.jp

    85歳までは車であちこち出かけていたダイアモンド・ユカイさんの母。説得を始めてから免許返納に至るまで5年かかったという、ロックンローラー親子のバトルはいかに──(構成=平林理恵 撮影=大河内禎) 「あんた、何言ってるの?」強く正しいおふくろ うちは両親とも公務員、自分は共働き家庭の一人っ子として育ちました。親父は体が弱いながら、遠い職場まで通い家族のために頑張ってくれていたのですが、オレが21歳の時に亡くなりました。一方おふくろはバリバリ働き、役所では課長にまで昇進して、キャリアウーマンの走りだった。 四十何年勤め上げて定年退職してからは、もう羽を伸ばしちゃってね。まさに第二の人生を謳歌していました。家庭菜園を始め、そこで育てた野菜を使ってむちゃくちゃ手の込んだ料理を作る、世界各国を旅行する、行きたい所へはどこにでも自分で車を運転して出かける……。 おふくろは、2年前に90歳で亡くなりまし

    ダイアモンド・ユカイ「免許返納に納得しないおふくろ。オレがとった最終手段は」 するかしないかで大ゲンカ|芸能|婦人公論.jp
    kinushu
    kinushu 2019/12/03
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