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2008年7月26日のブックマーク (3件)

  • 書籍出版 双風舎:【連載】「思想の死相」

    「人間の終焉」とは何か? 前回はデリダのエクリチュールに付きまとう「死」の問題について考えてみました。今回、取り上げるフーコーもまた、ある意味、「死」の思想家だといえます。彼は、近代の前提となっていた「人間」をめぐる、生き生きしたエクリチュールが終焉する可能性を示唆しています。その主著『言葉と物』の末尾のほうで、ニーチェの「神の死」とからめて、神を殺してしまった「最後の人間」の運命について、彼は以下のように述べています。 彼は神を殺したのだから、みずからの有限性の責任をとらねばならぬのは彼自身であろう。しかし、彼が話し思考し実存するのは神の死においてであるから、その虐殺そのものも死ぬことを余儀なくされる。新しい神々、おなじ神々がすでに未来の大洋をふくらませている。人間は消滅しようとしているのだ。神の死以上に――というよりはむしろ、その死の澪のなかでその死とのふかい相関関係において――ニーチ

    kiomushi
    kiomushi 2008/07/26
    仲正昌樹
  • テクスチャ・空間・サバイバル

    原題: TEXTURE-SPACE-SURVIVAL 出典: Perspectives of New Music, Vol. 26, No. 2 (1988), p.272-280. 多声的/単声的 新ハーバード音楽辞典で「テクスチャ」ということばを引くと、次のように書いてあります。「…作品のテクスチャは、複数のメロディーラインの組み合わせから構成されるように知覚される場合、多声的あるいはポリフォニックである、と言われる。おもにコードの連続からなる作品がそのように聞こえる場合、和声的(chordal)もしくはホモフォニック(homophonic)なテクスチャを持つと言われる」。この伝統的な区分に従うならば、わたしの作品の大部分は、ことテクスチャに関しては、多声的であることは疑いないでしょう。西洋音楽史のなかでもっとも利用価値のある情報が存在すると思うのは、1200 年から1750年の間

    kiomushi
    kiomushi 2008/07/26
    ライヒ
  • ボリビア映画紹介(続き)

    立教大学ラテンアメリカ研究所事務局が講演会やラテンアメリカ講座に関する日々の様々な出来事とラテンアメリカ関連情報をお伝えします。La secretaría del Instituto informa las novedades sobre las conferencias y el curso del Instituto de estudios latinoamericanos de la Universidad Rikkyo. ボリビア映画上映会のご案内 久しぶりのウカマウ映画全作品上映会です。特別上映作品もあります(末尾参照)。 ぜひお出かけください。 8月1日(金)  17:00 革命+ウカマウ 19:00 最後の庭の息子たち 2日(土)  15:15 落盤+コンドルの血 17:00 駐日ボリビア大使挨拶 対話「ウカマウ映画をめぐって」 児島峰(独協大学、ラテンアメリカ文化論) VS

    kiomushi
    kiomushi 2008/07/26
    ウカマウ集団上映会