介護技術における身体の使い方や心理学における一連のテスト、面接技法などは無論実践を伴わなずに伝承できるものではないが、言語を用いてもある程度伝えることができる。 しかし、ソーシャルワークはどうだろう。 視点の置き方、人権や自己決定など守るべき姿勢、対人援助ということへの意識…これらは言語的に伝えることはできるが、それと実践での技術とはまた別なもののような気がする。様々な介入技法も介入のための視点や介入の過程を示してはいるが、「どのようにして」の部分の言語化が難しい。 誤解を招きそうなので整理するが、だから問題だと考えている訳ではない。この違いは一体何かということを考えているのだ。 実践場面では、様々な知識や経験を基に判断し、自分自身の行動を決める。この行動が「介入」という部分になるのだが、それはあくまで援助の一部分にすぎない。つまりソーシャルワークにおける援助は、自分が社会をどのよ
クルーグマンが経済論争に関して面白いことを書いている。以下はその拙訳。 ゴドウィンの法則の拡張提案 ゴドウィンの法則――ネットでの議論がある程度長引くと、相手をヒトラーに喩える輩が必ず出てくる――は、もし実際に相手をナチに喩えることに走ったら、議論に負けたことになり、もはやまともに相手にされなくことを意味する、と解釈されることが多い。私はその解釈に全面的に同意する。(それは共和党の重要人物の意見をもはや真剣に受け止めるべきではないことを意味するのか? 答えはイエスだ) しかし、倫理的にナチの喩えと同等の喩えは数多く存在し、それらはやはり同じ扱いを受けるべきである。私がここで提案したいのは、 ある分野での一層の政府の行動を求める声――雇用創出、医療改革、その他諸々――に対し、ソ連の例を引き合いに出して反応する人 もしくは 適度なインフレないしドル安が受け入れ可能という提案に対し、ジンバブエの
今日も終日自宅でのんびり過ごす。語学講座(NHK中国語&フランス語)、「乱読ノート」更新、『現代社会論のキーワード』を読み始める、ドラムで遊ぶ、等々。 何度も挫折しそうになりながらも、断続的な形で、中国語&フランス語の学習を続けられている。一時期、かなり録画をためこんでしまったが、ここ数日で7月中旬放送分くらいまで挽回した。 毎日少しずつ学習を進めるほうがベターなのはわかっているが、昨今の仕事状況だとそれが無理なのもわかっているので、実行不可能な目標を自分に課したりはしない。 この日記や筋トレがまさにそうなのだが、内容は問わないことにして、断続的でもかまわないということにすれば、心理的負担が軽くなり、たいていのことは続けられる。僕の場合、実行可能な目標を設定することが肝心なようだ。語学の勉強のほうも、そんなお気楽な気持ちでやっているから、何とか続けられているのだと思う。 腹筋6セット。BG
終日、研究室にて「乱読ノート」更新&読書。来客や電話で中断させられることもなく、ひたすら集中できた。こんな日はめったにない。 松原隆一郎『失われた景観―戦後日本が築いたもの (PHP新書)』を最初に読んだのはずいぶん前なのだが、その時は多忙ゆえ「乱読ノート」で採り上げることができなかった。この夏、真鶴へ行く時の新幹線の中で再読し、本日ようやくアップロードできた。 頂戴してから2か月が過ぎてしまったが、佐伯啓思・柴山桂太編『現代社会論のキーワード―冷戦後世界を読み解く』をようやく読了する。なかなかの好著。理解不十分な章がいくつかあるので、「乱読ノート」にはもう一度丁寧に読んでから採り上げるつもり。 どんな本でも最低2回は読むことが習慣になっている。1回目は斜め読み、2回目は精読。この読み方がいちばん頭に残る。 ダンベル3セット。BGMはこれ。 Singles Collection [DVD]
世の中には届く批判と届かない批判の2種類の批判がある。「効かなかったら意味がない!」と道場にハイキックの轟音を響かせた後、佐山が語ったように、批判についても有効性を問わなくてはならない。批判もまた「効かなかったら/届かなかったら」意味を失うのだ。文芸誌に寄稿する批評家が「今の中高生はケータイ小説ばっかり読んでるんだって?世も末だな」と批判した、とする。しかし、それは批判としての意味を形成しない。そもそもケータイ小説を実際に読んでいる人は文芸誌なんて読んでいない。よってお、そのような批判的な文章は、同じように「世も末だ」と思っているごく限られた読者の共感を集めることしか出来ない。 コメント、ブックマーク、トラックバック……そのようなものを通して、批判は直接届けられる相手がいる、ということは少なくとも「有効性のある批判として批判が意味を持つ」ということを容易にしている。「あなたの文章は不快だ。
アシモフの翻訳をまったくサボってしまってます。すいません。いや、アシモフ先生、実は自伝の中で女子大生との不倫をサラっと告白してまして、その事に衝撃を受けたために翻訳ができなくなりました...って嘘ですけど、不倫の告白は本当です。いやぁ、非モテだったアシモフ君がそんなプチ宮台先生のようになれるなんて、おじさんうれしいなぁ! さてそんな関係の全然ない事を書きましたが、今回もまたまたクルーグマンのブログからです。池田先生がよく「クルーグマンもリフレを捨てたんだよ、グハハッハ!」みたいな事を適当に書かれてますが、ちょうどそれについてのクルーグマンの説明のようなエントリーがアップされたので、翻訳。要するに、理論的には問題ないが、現実的には池田先生(みたいな人達)がいるから、ということですね。 このくそバカな経済 ポール・クルーグマン 2009年11月13日*1 というか、まあもうちょっとお上品にいう
前の記事 「時代を超えていた自動車」7選 雷のガンマ線から「電子の反物質」の痕跡を発見 2009年11月 9日 Ron Cowen Image credit: Flickr/thefost ワシントンDC発――太陽系から何千〜何十億光年も離れた天空を観測するために作られた『フェルミ・ガンマ線宇宙望遠鏡』は、もっと地球に近いところで起きている現象もとらえているようだ。この宇宙望遠鏡は、運用開始から14ヵ月間に、地球の雷雨に関連するとみられるガンマ線現象を17回検出したのだ。 [フェルミ・ガンマ線宇宙望遠鏡は2008年6月に打ち上げられ、2008年8月から運用が開始された。米国、フランス、ドイツ、イタリア、日本、スウェーデンの政府機関、研究組織による共同研究] 全世界の落雷位置をリアルタイムで推定しているシステム『World Wide Lightning Location Network』(W
Irrational fear of science collides with justifiable fear of the irrational. Abstract video synthesizer composition produced with Lumen and a LZX Vidiot remixed live with VDMX and edited in Adobe Premiere. YouTube – https://youtu.be/GHsjj7CLkG8 YouTube 360 – https://youtu.be/J2t6N2NlLoU Daily Motion – https://dai.ly/x84nzdv Vimeo – https://vimeo.com/622627383 Facebook – https://fb.watch/8I2nc2JjX
2022 https://www.mikihiko.com/test/wp-content/uploads/2022/12/2022_02_24_9999_13.jpg https://www.mikihiko.com/test/wp-content/uploads/2022/12/2022_02_24_9999_144.jpg https://www.mikihiko.com/test/wp-content/uploads/2022/12/2022_02_23_9999_45.jpg https://www.mikihiko.com/test/wp-content/uploads/2022/12/DM-new-e1671455717630.jpg https://www.mikihiko.com/test/wp-content/uploads/2022/12/久兵衛14JPG.jpg h
このブログがヒットする検索ワードで最も多いのが「機械式カメラ」という言葉のようだ。以前ハッセルブラッドについて書いた時に機械式カメラという言葉を使ったのだけれど、今再び僕の中で機械式カメラがブームなのである。そんな訳で今回のブログは今が底値だと思える機械式カメラについての備忘録である。今回はその中でも特にお買い得感の強い国産35㎜一眼レフについて書く。機械式カメラは新品でも売っているが、ここでは中古カメラについてのエントリーである。はっきり言って新品で買える機械式カメラより、中古機械式カメラの方がバリエーションも広く値段も安くて楽しいのである。 機械式カメラとは何かというと、電池を使わなくても撮影できるカメラのことを指していう。しかしながら大抵はTTL露出計というモノが内蔵されている。露出計は電池で動かしているのだが、電池が切れて露出計が動かなくても、シャッタースピードが全速切れてフィルム
裕福な家にひとりの女の子が産まれた。両親は厳格だったが忙しく、彼女の養育に関わる時間が持てなかった。だから彼女は使用人によって育てられた。ある時期まで彼女にとって世界は完全であった。欲しいと思うものは特になかったし、何かが足りないと感じることもなかった。 彼女は大人になり写真家になった。そして同じく写真家の男性と結婚し、二人の子どもを授かった。そこでも彼女の世界は完全であり続けた。完全な世界、それは逆に言えば壁に閉じられた世界でもあった。壁の中で、何かに守られながら彼女はその世界を全てであると感じていたし、何から守られているのか、という問いが脳裏に浮かぶこともなかった。 異質なものへの興味は元々持っていた。しかし異質なものは壁の外にあり、それらが存在することは感じていたが、見ることも聞くこともなかった。夫妻の仕事はファッション業界の写真撮影だった。ファッション写真、それは演出と構図を重要視
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