社会経済的な平等へ 戦前日本のデモクラシー論者としての吉野作造の再評価は、1960年代に始まり今日では定着している。 明治憲法の定めに従って天皇主権を容認した点で吉野の「民本主義」を批判する議論は、今日では姿を消した。1925(大正14)年の男子普通選挙制をもたらした「大正デモクラシー」を代表する思想家として吉野の評価は定着した。 その一方で、吉野への関心も失われてしまったように思われる。 しかし、吉野の真の魅力は、普通選挙という政治的平等の実現にとどまらない。彼の「デモクラシー」には、初めから社会経済的な平等の実現が含まれていたのである。 社会経済的「平等」というものは、選挙権の平等とは性格の違った課題であり、貧富の差が存在しない社会などはありえないから、それを実現すると称した革命はすべて失敗した。そして社会主義革命の失敗と同時に、「社会主義」そのものが死語になりかかっている。 しかし、
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