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2006年3月24日のブックマーク (5件)

  • 学生のための知的生産の技術

    ……だから気をつけろよ、身をまもるには用心が第一だ、 青春はほうっておいてもおのれにそむくのが大好きだ。 -----シェイクスピア『ハムレット』第1幕第3場 「生きるだって? そんなことは下僕どもがやってくれるさ」 -----リラダン戯曲『アクセル』 L'essentiel est invisible pour les yeux.(大切なものは眼に見えないものだ)-----『星の王子さま』 自分の感受性くらい  茨木のり子 『自分の感受性くらい』 ぱさぱさに乾いていく心を ひとのせいにするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにするな なにもかも下手だったのはわたくし 【…】 駄目なことの一切を 時代のせいにするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ 人

    kiwofusi
    kiwofusi 2006/03/24
  • 小学校の修学旅行でのことだった

    小学校の修学旅行でのことだった。 我々は一路目的地をめざしてバスに乗り込んだ。 クラスのおどけ者、安川君はその日も元気良く、皆の前で おどけては、バスの中に笑いを振り撒いていた。私は彼と同じ班で 席も隣同士だった。少しテンションの高すぎる彼に閉口しながらも、 バスの旅は快調に進んで行った・・・。 しかし、バスに乗って1時間が過ぎた頃には、安川君はさっきまでの テンションがウソだったかのように静かになり、何か神妙な顔つきに なっていた。 「車酔いか?」 私は聞いてみた。 「うん、ちょっと酔ったみたい。」 「先生に言おうか?」 「いや、大丈夫、言わんといて」 「そうか、また気分悪くなったら言いや。」 「うん。」 まぁ彼が大丈夫だと言うのだから、それ以上のしようはない。 私も彼の車酔いにつきあって、せっかくの楽しい修学旅行をだいなしに するつもりは毛頭なく、彼を放って友人らとの会話を楽しんでいた

    小学校の修学旅行でのことだった
    kiwofusi
    kiwofusi 2006/03/24
  • 活字中毒R。

    読売新聞の記事より。 【経済協力開発機構(OECD)は7日、加盟国を中心とする41か国・地域の15歳男女計約27万6000人を対象に実施した2003年国際学習到達度調査(略称PISA)の結果を世界同時発表した。 2000年に続く2度目の調査で、日は前回8位の「読解力」が加盟国平均に相当する14位に落ち込み、1位だった「数学的応用力」も6位に順位を下げた。文部科学省は「我が国の学力は世界トップレベルとは言えない」と初の認識を示し、来夏までに読解力を向上させる緊急プログラムを策定する。 調査は、覚えた知識や技能を実生活でどれだけ活用できるか、を評価するのが目的。「読解力」「数学的応用力」「科学的応用力」に加え、今回は直面した問題に対処する力を測る「問題解決能力」を初めて調べた。日では昨年7月、全国143校の高校1年生計約4700人を対象に行われた。 その結果、文章を読みとる力を測る読解力は

    kiwofusi
    kiwofusi 2006/03/24
  • Winnyが残したもの - アンカテ

    (4/21 追記) Winnyは安全ではありませんでした。Winnyには、実装上の大きな問題があるという報告があります。Winnyユーザの方は、こちらをすぐ見てください→アンカテ(Uncategorizable Blog) - Winnyに実装上の欠陥あり! (追記終わり) Winnyはバージョンアップを停止しているにもかかわらず、致命的なセキュリティーホールが発見されてない。これは、天才プログラマー仕事としては当然のことなんだろうが、普通のことではない。このことによって、日の一般人が激しく勘違いしてしまったことがある。「P2Pは安全なものだ」と思ってしまったのではないだろうか。 Winnyは安全である。メーラーやブラウザのように、外部から来たデータがオペレータの意図に反して、間違って実行されてしまうことがない。来、ワームとは利用者に何の落ち度がなくても拡散するものであり、Winny

    Winnyが残したもの - アンカテ
    kiwofusi
    kiwofusi 2006/03/24
  • 「場のあり方を強制するアーキテクチャ」をだらだらと書き換えたもの。というか「世界と場の認識」と「ウェブという世界と場の模索」は読み返すとおもしろい。一方さいきんの文章は良くないのではないかと、気分が沈む。 - 反言子

    あの日、VIPピアノを聴いていましたけれど演奏が終了しましたので、ネトラジのほかの番組をいろいろと巡りました。そこで女子中学生の声を聞いていまして、いつものように、よいものであるなあ、と感じるわけです。そのような女子中学生に対して性的な話題をぶつけたがるのは、どうしてもない男の愚かさであるなあというのも、一部の純朴たる男性の方々にご迷惑ではありますが、おおむね仕方のない現実でございます。かくいう僕はどうなのかと考えてみますに、僕は乙女であると思いたがっているつもりなのですね。「僕は乙女である」とはどういうことかと考えてみますに、「じつは僕は女性である」ということなど、ほか八十四通りほどのさまざまな意味合いが考えられるのですが、およそ「彼女が乙女であると信じる乙女らしさ」であります。そうそう、きょう下校中に同じ学校の女子高校生が友達に「もっと乙女をもちなよ」と話しているのを耳にしました。なる

    「場のあり方を強制するアーキテクチャ」をだらだらと書き換えたもの。というか「世界と場の認識」と「ウェブという世界と場の模索」は読み返すとおもしろい。一方さいきんの文章は良くないのではないかと、気分が沈む。 - 反言子
    kiwofusi
    kiwofusi 2006/03/24
    いま読み返したら物凄い名文だと自賛してしまった。これは凄い。ただし「記号を記号のまま遣り取りする」あたりの意図が自分でもわかりづらい。さらに「見た目」が惜しい。これはこれで、なのだろうけれど。