池田勇人・満枝は、池田が「一万人に一人あるかどうか」と言われた難病の闘病中に結婚した。池田は大蔵省に入省して間もなく、天疱瘡にかかり、全身からうみが出、皮膚がただれてかさぶたにおおわれてしまうといった悲惨な生活を、4年弱よぎなくされている。うみを抑えるための全身の包帯を替えるだけでも2、3時間を要し、池田が苦しがるのを、看護している者が皆で手足を押さえる以外なすすべなしの状態だった。医者も、さすがにサジを投げたのだった。 当時、実は池田は広沢金次郎という伯爵の娘の直子と結婚していた。その直子は昼夜を問わずの看病疲れと心労から狭心症を起こし、亡くなっている。病状が悪化し大蔵省を退官、広島の実家で療養中、すでに前妻を亡くしていた池田は、折から行儀見習いとして池田家に身を寄せていた満枝と再婚することになった。 満枝も生まれは池田と同じ広島県竹原市で、家業は医者。両家は満枝の父親と池田がいとこ同士