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2018年6月13日のブックマーク (10件)

  • 人を育てるラボの特徴 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Leica M3, 50mm C-Sonnar F1.5, Fortia @伊勢 これはHashさんから頂いたコメントに対するレス的なエントリです。 > 「研究を進めるための実務的な能力をいかにして身につけるか」、、、「学生の育て方」や「スキルの磨き方」と言った視点で、生産性の高いラボで気付くことはありますでしょうか? うーん、「圧倒的に生産性の高いラボ」がヒトを育てる生産性も圧倒的に高いのか、というのは一つ検証の価値のあるところですが、(ある種スポイルされて、当に自分で極端な困難を切り開く能力を身につけられないかもしれないので)、圧倒的に生産性が高いラボかどうかは別として、非常に人を育てるのがうまい!とされているラボはいくつかありました。 端的な指標としては「学位を取らせるスピードが速い」ということがありますし、その「学生やポスドクたちの中でのreputation(口コミ的な評判)が非

    人を育てるラボの特徴 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
  • 「知る」ことと「わかる」こと - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Leica M7, Summilux 50/1.4, RDP III, @ Tuscany, Italy 「知る」ことと「わかる」ことは違う。そんな話をこの間、大学を出て入社したばかりの新人の子とした。まっすぐで、頭のいい子だ。 その二つってどう違うって思う? そう聞くと、その子は、 「知る」というのはその言葉を知っていること、 「わかる」というのは人に説明できること、 かな、と自信なさげに言った。 ー 悪くはない。けど、それは僕の理解とは違うんだ。、、僕はそう言った。 「知る」というのはあくまで他人事(ひとごと)として、そのことを知ること。「わかる」というのは自分がその感覚も含めて、自分の感覚を通じて理解することだ、と。 いくら説明できても実体のない「知っている」は沢山ある。*1 例えば、痛いという感覚、これは痛い目に遭わないと到底理解できない。観念論で、「痛さとはつらさを感じるような不

    「知る」ことと「わかる」こと - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
  • 悩まない。悩んでいる暇があれば考える - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Leica M7, 90mm Tele-Elmarit F2.8, PN400N @Santa Monica, CA これはだいぶ以前からの僕の仕事上の信念。 kaz_atakaの教えの1(イチ)と呼んでいる。 多くの人は悩むことに時間を使いすぎている。そして悩んだことを仕事をしたと思ってしまう。でもこれは僕は大きな無駄だと思っている。 考えることと、悩むことは違う。全く違う。僕はそう思っているのだが、なかなか分かってもらえない。 僕が一緒に働く若い人にいつも言っているのは大体こういうこと。 「悩んでいると気付いたら、すぐに休め」 「10分以上(君のbrilliantな頭で)真剣に考えても埒(らち)が明かないときは、もう考える筋がないのだから、そのことについて考えるのは一度やめたほうが良い。それはもう悩んでいる可能性が高い」 「悩んでいるかどうかも分からないのであれば、もう悩んでいる可能性

    悩まない。悩んでいる暇があれば考える - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
  • 青年よ、狭き門より入れ - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Leica M7, 35mm Biogon F2.0, RDPIII @from Nevada to California この5-6年、とみに学生の志望者が増えていると聞く。ぼくの長年勤めてきたあるプロフェッショナルファームのことだ。一説によると、日の一部のトップ大学の学生で就職を考えている人の過半数が来ているんじゃないかという話すらある。この業界(そんなものがあるとして)が全体的にそういう話であるという話もある。 僕はコレを聞いて即座に危ないと思った。必ずしも死への行進、レミング現象というわけではないが、みんなが目指すものは能的に避けるのが正しい選択なのに、それに逆行しているからだ。(註:会社としては実に喜ばしいことである。あくまで主語はこの学生たち。) 確かに教育は手厚い。激しいクライアントインパクト、バリュー優先の社会の中で成長は加速する(grow or goという)、ただし、

    青年よ、狭き門より入れ - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
  • 「大人たちにほめられるような馬鹿にはなりたくない」 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Leica M7, 50mm Summilux F1.4 @Singapore これは昨日のエントリ(「青年よ、狭き門より入れ」)の続編、補足です。 - 実は、僕らの同期の誰もが、親や周りの人からなんでわざわざそんな会社に行くんだ、もっと「ちゃんとしたところ」どこにでも行けるのに、という話を何度となくされている。会社の名前が未だにちゃんと発音できない親を持っているやつだって別に珍しくはない。 でも僕は当に正しい選択をしてきたと思っているし(きっと同期のみんなもそうだろう)、こんな人もろくに知らない会社に来て、奇獣、珍獣たちと実に面白い日々を送ることが出来て当に良かったと思っている。 そのあと、やっぱり研究するために大学に戻ったが(教授が退任していたこともあり、教授の奨めもありアメリカに行った)、これもいかにもビジネスエリートのビジネススクールに行くような人生を送らなくて当に良かった。

    「大人たちにほめられるような馬鹿にはなりたくない」 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
  • ある大学院時代の思い出、、、Joy of Life - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    最近は、前に書いたような状況で、昔、あるいはこれまで書いて下書き箱に入れてあるものを、ただアップしているだけなので(要は休載中)休みの日ぐらいは何か少し書いてみたいと思う。 Leica M7, 35mm Biogon F2.0 @Monument Valley 僕が日で学生をやっている頃、日でも世界規模のグラントを、ということで多分通産省の旗ふりでヒューマンフロンティア(Human Frontier Science Program: HFSP) という大きな研究グラントが出来た。ミリオン単位、億円単位のグラントというのは当時の日としては非常に例外的で、画期的なプログラムだった。で、割と立ち上げて間もない頃*1、その記念シンポジウムのようなものがあり、行った。僕はマスターの学生だった。X線解析の巨頭、Sir Aaron Klugや、当時、日のガン関連研究のリーダーであったであった西村

    ある大学院時代の思い出、、、Joy of Life - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
    kkoiro
    kkoiro 2018/06/13
    こういう重鎮がいる場で発言する勇気すごいなぁ
  • 今日、何人かの中学生たちに送った言葉 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII 日午後、とある奨学財団の率いる長野の中学生の皆さん、約15人と約3時間語り合った。 はじめに僕の年齢を聞いて、彼らの親とさして変わらないので、ほとんどの彼らが驚いていた。どうも10才は若く見られたようだ。人は好きなこと、自分が意味があると思うことを追求していれば歳をとらないんだと伝えることから始まった。笑 頂いた質問表を踏まえ「これからの未来をどう考えどう生きていくか?」をテーマに、簡単な自己紹介、なんでこんな人生になったのかから始まり、頂いたお題に応えるべく、1時間あまりやり取りをしつつお話しをした。その後さらに幅広くこってり質問に答えたり、ディスカッションした。 大人相手の講演は割としょっちゅうしているが、これらの未来を担う世代と話すのは、僕としてはなかなかめずらしい機会なので、伝えたこと*1をここに残しておこうと思

    今日、何人かの中学生たちに送った言葉 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
  • 圧倒的に生産性の高い人(サイエンティスト)の研究スタイル - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing

    Leica M7, 90mm Tele-Elmarit F2.8, PN400N @Santa Monica, CA アメリカで研究するようになって最も驚いたことの一つは、日では考えられないほど生産性の高い研究者が存在することだ。 たとえば僕がローテーションして、最後までそこでdissertation work(博士論文のための研究、活動)をすることにするか迷っていたあるラボ。そこはポスドク、テクニシャンを含めて(註:undergraduate=学部生は殆どアメリカの研究室には居ない)たった5人でやっているにもかかわらず、毎年5-6ぐらいはペーパーを出し、ほぼ全て一流紙。多いときは年に2ネイチャーに出し,一は表紙になったりしていた(#)。 しかも良く日では見かける深夜も土日も働いて、朝はどちらかというと崩れ気味、みたいな重労働系の生活ではなく、普通に朝来て、「うーん今日は狂ったよ

    圧倒的に生産性の高い人(サイエンティスト)の研究スタイル - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing
    kkoiro
    kkoiro 2018/06/13
    当たり前だがイシュードリブン重要
  • 卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごう - 発声練習

    はてな匿名ダイアリーで以下のようなエントリーを見ると、自分の研究室でうつ病になった子を思い出して心配になる。 自殺すると研究室にお金が入る仕組みってないのかなぁ 気持ちの整理になるかもしれないので書いてみる 私は、卒業研究や修士研究で得た経験が今後の人生においていくばくかの役に立つと信じているので、卒業研究や修士研究を真剣にかつ楽しく行って欲しいと思っている。でも、一方で、卒業研究や修士研究は長い人生において、何回か登場するちょっとした進級試験でしかないことも理解している。だから、はっきりいって卒業研究や修士研究で自分の心や体を壊すなんていうのはあまりにももったいないと思う。 博士研究は別として、卒業研究と修士研究は成果ではなく努力を評価の対象としている。「でも、中間試問や最終試問とかでは成果について問いただすじゃないか?」という疑問もあろうかと思うけれども、それは、努力の度合いを成果を用

    卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごう - 発声練習
  • 気持ちの整理になるかもしれないので書いてみる。

    就活が上手くいかない。 経済の動向も怪しいから今年度中にどうにかしないとまずいのに一向に内定が決まらない。 一応公務員優先で志望だけど大体面接まで行って落とされる。 隠してるつもりだけど、変わり者と呼ばれる自分の性格がバレてるのか 根が真面目な所為で納得できず、余計な不都合なことを考える所為か 記述や集団討論で空気の読めない持論をちょっと出したのが悪かったのか 滑舌が酷く悪く、それ故喋ることがあまり好きではないと見抜かされたか 何で決まりきった受け答えで着飾らなければいけないのか悩んでる所為か 学業がうまくいかない 卒論を仕上げなければいけないのに、 それが学問的に意義のあることで、そして自分で論理的に試行した結果なのか 納得できない、というよりよく分からない。 実証の不確かな独りよがりで考えたことを卒論にしていいのか…… どうでもいいことを考える性格だから上手くいかないのか 根は真面目だ

    気持ちの整理になるかもしれないので書いてみる。