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ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (2)

  • 「慰安婦像ツイート炎上事件」について、筒井康隆ファンのひとりとして思うこと - いつか電池がきれるまで

    www.asahi.com news.yahoo.co.jp 僕は高校生のときに『48億の妄想』を偶然手に取って以来、筒井康隆さんの大ファンであり続けています。 そもそも『48億の妄想』は、1965年に書かれたものであり、30年前の時点で、すでに20年くらい前の作品だったんですよね。 にもかかわらず、筒井作品には「いま、ここにある現在」が描かれていました。 差別とかエログロをあえて描く、という筒井作品は「潔癖な男子」だったはずの僕にはすごくインパクトがあったのです。 筒井さんが描く『悪』は「露悪的」であり、そこには「綺麗事で覆い隠されているもの」を面白おかしく引きずり出してやろう、という意思を感じていました。 ……というのは僕の「読者的きれいごと」であり、一種の「こわいものみたさ」とか「見世物小屋的な興味」のほうが大きかったのかもしれませんが。 ただ、筒井さんは、ずっと「露悪的エログロ作家

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  • 高倉健さんの訃報を聞いた夜に - いつか電池がきれるまで

    高倉健さんの訃報を聞いた夜に。 僕は任侠ものって苦手なので、健さんのイメージといえば、「不器用ですから……」と、映画『八甲田山』、そして『鉄道員』で、寡黙な駅員として笛を吹いている姿くらいだったのです。 正直、なんでみんな、「高倉健」という俳優に、ここまでこだわっているのだろう?と、ずっと思っていました。 でも、ここ数年、健さんのことが、気になってきたのです。 俳優としてはもちろんなのですが、人間・高倉健に惹かれてしまって。 健さんは、2012年9月に、NHKの『プロフェッショナル・仕事の流儀』に出演されています。 基的に、インタビューもほとんど受けず、テレビにも出演しない、という健さんなのですが、この番組のなかで、「もう何十年も生きるわけじゃないから、音のところを言っておかなくちゃ」と仰っていたんですよね。 年齢を考えれば、自然なことなのかもしれませんが、健さん自身も「自分のキャリア

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