12月21日。成田空港第2ターミナル。人もまばらな午後9時の出発ロビーに、浦和MF阿部勇樹が現れた。「2010年のW杯直前に、グラーツでイングランドと親善試合をしたときに、現地で会って以来です
「『オシム』って言っちゃった」事件から約1カ月後の2006年7月、オシムは日本代表の監督に就任した 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】 「そういえば、やり直したいことが、ひとつだけあったな……。『オシム』って言っちゃった、あの時だよ」 これまでの仕事の中で、もしやり直せることがあったならば、それはどんな瞬間ですか──そんな質問を川淵三郎にぶつけたことがある。今から10年前、彼がJFA(日本サッカー協会)の会長だった時のことだ。インタビュー中は「これまでの決断で後悔していることはひとつもない」と答えていた川淵だったが、インタビューを終えて撤収作業をしていたときに、ふと上記の言葉を思い出したように漏らした。当時、ジェフユナイテッド千葉の監督だったイビチャ・オシムの名を、次期日本代表監督として「口を滑らせた」事件。それは、2006年6月24日、成田空港近くのホテルの会見場で起こった。 この年
イビチャ・オシムが旭日小綬章を受章したことは、すでにさまざまなニュースで伝えられた。そのオシムに、電話で話を聞くことができた。彼の喜びの声と、日本サッカーへの変わらぬ思いをここにお伝えしよう。 ――元気ですか。叙勲おめでとうございます。 オシム:今、家族でささやかな祝いをしていたところだ。勲章を貰ったが、正確にはこれはどういうものなのだろう? ――日本政府によるもので、とても名誉のあるものです。 オシム:とにかく関係者の皆さんには、くれぐれもよろしく伝えておいて欲しい。 ――ええ、外国人サッカー関係者の叙勲はとても少ないです。 オシム:身に余る光栄だ。よく聞かれるのは、どうすれば勲章を貰えるのかということだが、しっかり仕事して努力するしかないとしか言えない。天皇陛下をよく知っているジャーナリストと知り合いになるのもいいかも知れないが(笑)。それは冗談として、もう一度感謝の意を表したい。 と
5月、浦和MF阿部勇樹(34)と、J2熊本FW巻誠一郎(35)のもとに、メッセージが届いた。 「2人が頑張っていると聞いたので、それは指導者としてなのかと聞き返してしまったよ。それほど年月が過ぎても、まだ現役選手として頑張っているというのは、私にとっても何よりも喜ばしいことだ」 言葉の主はイビチャ・オシムさん。元日本代表監督にして、2人がプロデビューした千葉時代の恩師だ。 メッセージは、リーグ100試合連続フル出場を果たした阿部と、熊本地震の復興支援に奔走する巻をたたえるもの。 もちろん、阿部と巻が現役を続けていることを、知らないわけはない。愛情をウイットのオブラートにつつむのが、変わらぬオシムさんの流儀だ。 しかし、久々のやりとりにしては、メッセージはあっさりと終わった。第三者からすれば、拍子抜けするくらいに短かった。 ◇ ◇ 「十分ですよ、それで十分」。ピッチからようやく引き揚げて
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